「福岡の土産菓子」といえば、現代においていの一番に挙がるのは何と言っても「博多通りもん」であるかと思います。筆者の幼少期(筆者は両親ともに福岡県。ちなみに「林田」という名字はどこでもありそうに見えて長崎・熊本を中心とした九州にかなり極端に偏在しているので、「林田さん」という人と知り合ったら「九州の方ですか?」と聞くと高確率で当たります)は二〇加煎餅とか鶴乃子とかひよ子とかが定番だったものですが、93年に登場してからは、すっかりこの菓子が福岡みやげのチャンピオンとなりました。実際美味い。筆者も福岡行った際の土産は基本これ、ときどき鶏卵素麺(お菓子っぽくない名前だがポルトガルから伝来した由緒正しい南蛮菓子。小便チビリそうなくらい甘い。「日本甘い菓子選手権」やったら相当上位に来ると思う)という感じです。
で、福岡の人であれば、一度は「傑作まんじゅう〜 博多!通りもん〜」というこのお菓子のテレビCMを見たことがあるのではないかと思います。福岡以外の人だと「知らん」となるかとも思いますが、製造元が公式でアップロードしているのでちょっと見てみてください。今回紹介するのは、このCMに出演して「ま、通りもんば食べんね」等のセリフを言っている漫画家、長谷川法世の作品です。CM見たことはあってもこの人の作品読んだことないという人も現代では少なくないとは思うので……。
さて、この人の代表作と言えば、76〜83年に『漫画アクション』に連載された青春劇『博多っ子純情』(通りもんのCMに登場するキャラは本作のメイン二人)なのですが、これは単行本34巻とちと長い。というわけで、今回紹介するのは『サンデー毎日』に88〜90年にかけて連載された『荒涼たる野望』。タイトルからして殺伐としていますように、青春劇である代表作とは打って変わった、ドロドロの政界漫画です。
本作の主人公・捨石鬼一は、西日本の田舎で農家をやっている青年。両親を抑留や開拓村での苦労で早くに亡くしており、育ての親である老いた祖母と二人暮らしという経済的には恵まれない境遇ですが、幼なじみの野木田沙也という思い合っている女性もおり、決して暗くはない生活を送っています。そんな彼の運命を変えたのが選挙でした。急死した父親の地盤を引き継いで、与党・政大党の衆院議員になるべく立候補した地元のエリート・大日向鷹彦の選挙運動員の仕事を引き受けた鬼一は、彼にねぎらいの言葉をかけられてすっかり舞い上がってしまいます。そして、仕事の帰り道で対立候補のポスターを破ってしまうのです。
これは鬼一が完全によくなかった。選挙違反で警察にしょっぴかれることになります。しかしここで不運なことに、警察は自由妨害罪(ポスター剥がし)だけでなく、鬼一が実弾(現金)もバラまいていたのではないかという疑惑をかけるのです。ポスター剥がしと違いこちらは全く身に覚えのないことですから鬼一は否認し、拘留は長引きます。
しばらく時間が経ち、証拠不十分で釈放された鬼一は、沙也が失踪してしまったことを知ります。彼女は鬼一を助けてもらえないか大日向に頼むためにはるばる東京の議員宿舎まで出かけていたのですが、そこで大日向にホテルに連れ込まれて犯されてしまっていたのです。しかもその場を写真週刊誌に新人議員のスキャンダルとしてすっぱ抜かれたことで関係が地元に知れ渡ってしまい、それを苦にしたのでした。
大日向の実家に怒りをぶつける鬼一ですが、大日向家が雇うヤクザによって逆に袋叩きにされてしまいます。彼我の力の差にどうにもならず、スナックでやけ酒をあおる鬼一の前に、孫田兵六という謎の老人が現れ、「国会議員になって大日向より偉くなればよい」と焚き付けます。孫田もある事情から大日向家を憎んでおり、自らの手で総理大臣になる男を育てることで復讐を図っていたのです。こうして鬼一は孫田の指導により、大日向と同じ地元選挙区の政大党議員(当時は衆院中選挙区制)・高宮茂太郎の下へ秘書として潜り込み、金もコネも何もない状態から国会議員を、そして総理大臣を目指すというのがストーリーです。
本作の特徴は、最初の単行本時のあとがきで「政治は劇画より妖しく魅力的」「本編の場合かなりアンダーなフィルターをかけている」と書いているように、政治の場をひたすら権謀術数が渦巻く醜い闘争の場としており、政策の話などはあまり出てこず(全く出ないわけではないです。鬼一は農家出身なので、当然に農政族として動きます)、与党・政大党(言うまでもなくモデルは自民党)の中での派閥争いの様子に焦点が当てられていること。本作の連載時というのは、リクルート事件という戦後最大級の汚職事件があったばかりで、現実の自民党内がかなり色々あった時期ですからね。鬼一が国会議員になった3巻からは、前首相だが権力に執着して院政を敷いている状態の笹成妖策(名字からしてモデルはたぶん竹下登)と、傀儡と見なされているがこれを機に老人を廃してイニシアチブを取ろうと画策する首相の草野十三(モデルはたぶん海部俊樹)を中心とした陰湿な暗闘が描かれます。土下座や嘘泣きなどの演技は当たり前、敵対派閥の人間に対して、汚職の情報を野党議員に流して窮地に追い込んだ上で手を差し伸べて自派に引き込んだり、かと思えば汚職情報がガセネタで、追求した敵に傷を負わせるための罠だったりと奇々怪々。「この戦争 誰が仕掛けて誰と誰が戦って誰が勝つんだ?」と尋ねる鬼一に孫田は「ばか そんなことわかりっこねえのが政治じゃわい」「最初は誰かが仕掛けた戦争でもしまいにゃ全面戦争よ そうなると結果は誰にも予測はつかんのじゃ」と答えます。
もちろん、このような中に入っていく鬼一もきれいではいられません。そもそも、金もコネもない鬼一が国会議員になる方法からして、秘書として高宮家および選挙区民からの点数を稼いでいき、高宮が病気で倒れた際に、あまりやる気がなかったとはいえ後継者であった長男・城太郎を罠にはめて失脚させ、長女・玉緒と結婚し娘婿となって地盤を乗っ取るというかなりダーティーなものです。
また鬼一は、高宮の次女・美緒から嫌がらせとして残飯を食べるよう命じられ「豚ね」と罵られた際に、「豚は泥でも糞でも食って肥える だけどそれは政治家そのままじゃないですか」と答えます。このあたり、我々は政治家というものに本当のところ何を求めているのか——汚職とかがあれば腹を当然立てますが、それと同時に清廉なだけの人間を求めているのか、「清濁併せ呑む」というようなものを求めているという、ある種の矛盾した心があるのではないか——というようなことをこちらに突きつけてくる感じもありますね。
そして、このような政治地獄でのたうつ人間が全然幸せそうじゃないのもよいです。本作で一番の名シーンだと思うのは、同期ということで仲良くなった農條一という同僚に自派閥についての探りを入れられるも、とぼけてそれをかわしたことを孫田に報告する場面。鬼一は最初の頃の純朴さが失せた凶相で農條の目論見に気づいた理由を話すと、
「俺あこれからずっと…… 誰も人間ってものを信用しねえで生きていくんだなあ……」「政治家ってのはなんて寂しいものなんだ!!」「今夜だけ……… 今だけ泣かせておいてくれ……!!」と涙を流すんですよ。
鬼一に利用される形である高宮家の女性たちが、「高宮の家から総理大臣を輩出したい」という野心と政治家稼業の醜さを嫌悪する気持ちの二律背反で揺れながら、「(自分たちは)間違っているかも知れないけれど…… 生きているのよ!!」と吐露するシーンなんかも印象に残ります。
この政治地獄の果てに鬼一がたどり着くラストは賛否両論ありそうな感じですが、安易なハッピーエンドになられても困る話ではあるので、こういう終わり方をするしかないかなとは思います。読み終わると、通りもんのCM(03〜11年版)で法世さんが「ま、通りもんば食べんね」と通りもん渡してくるのが、なんだか実弾渡してるみたいに見えてくる傑作まんがです。