地獄の戦場で生まれたラブストーリー 西島大介『ディエンビエンフー』全9巻

『ディエンビエンフー』

 

 西島大介の『ディエンビエンフー』は、ベトナム戦争を舞台に、生と死と愛と狂気を描いた戦場マンガだ。
 タイトルは、ベトナム北部、ラオスとの国境に近いムオンタイン渓谷にある町の名前。19世紀後半から60年に亘りベトナムを植民地支配したフランスからの独立を宣言したベトナム民主共和国人民軍は、この地で1954年3月から5月までフランス軍と大規模な戦闘を繰り広げ、勝利を手にした。ベトナムでは「独立の聖地」と呼ばれる町だ。
 さて、この作品は、かなりの紆余曲折を経て完成されている。
 初め角川書店の『Comic新現実』Vol.2(2004年11月26日)からVol.6(05年8月24日)まで5話が連載されたのち、掲載誌の休刊のために中断。その後、小学館の『月刊IKKI』06年9月号から構想も新たに連載を開始。しかし、10年9月号を以て休載。続編は単行本「IKKIコミックス」で描き下ろしとして発表され、16年の単行本12巻で未完のまま2度めの中断となった。翌年、双葉社の『月刊アクション』に発表の場を移し、『ディエンビエンフーTRUE END』のタイトルで3月号から再スタートし、18年9月号でようやく完結した。
 現行の単行本は、角川書店版が『ディエンビエンフー0』としてKADOKAWAより刊行。小学館版は『ディエンビエンフー完全版』全12巻として小学館が刊行。別に双葉社からも、全6巻に再編集したものが刊行されている。双葉社版では、第2部(小学館版7〜10巻)、第3部(同11〜12巻)が省略されている。また、『TURE END』は双葉社「アクションコミックス」で全3巻にまとめられた。それぞれが、電子版でも読める。
 本文は双葉社版6巻+3巻を底本とした。

 1965年1月。アメリカ陸軍報道部に配属されたばかりのヒカル・ミナミは南ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン)に赴任した。任務は軍の新聞『スターズ・アンド・ストライプス』の報道カメラマンだ。
 彼は日系クォーターだが、日本に行ったことはない。生まれは、広島に原爆が投下された45年8月6日。夏には20歳になるが、童顔で背が低いためにアメリカ兵からは「リトルボーイ」と蔑まれている。
 ある夜、ヒカルは相棒の記者ジョーとともに潜入取材に出かけた。アメリカ兵がベトナムの幼女を強姦しているという情報が入ったのだ。そこで目にしたのは、彼らの上官・デュボア中尉たちが幼女を襲っている狂気の現場だった。侵入者に気づいたデュボアはジョーを撃ち殺し、ヒカルにも銃口を向けた。
 そのとき、ひとりの少女が山刀を手に現れ、瞬く間にデュボアとほかの兵隊を斬り殺した。ヒカルにもナイフが投げつけられた。が、ナイフはライカとヒカルの肋骨に当たっただけで、彼は生きていた。このときから、彼は名も知らぬ少女に夢中になった。
 彼女は「お姫様」と呼ばれる南ベトナム解放戦線(ベトコン)のゲリラだった。生まれは54年5月7日。ディエンビエンフーのフランス軍要塞が陥落した日である。

 ディエンビエンフーの勝利でベトナム民主共和国は独立を獲得したはずだった。ところが、独立戦争でフランスの後ろ盾になったアメリカは、社会主義を掲げるベトナム民主共和国(北ベトナム)に対抗し、自由主義のベトナム共和国(南ベトナム)を55年に成立させ、軍隊を送り込んだ。これがベトナムを南北に分断したベトナム戦争の発端だった。
 65年2月7日、南ベトナムのタイグエン省プレイクでベトコンがアメリカ軍宿舎を襲撃する事件が起きると、アメリカ軍は報復のために北ベトナムのドンホイ基地を空爆。アメリカは宣戦布告のないまま北ベトナムとベトコンを相手にした泥沼のような全面戦争に足を踏み入れた。戦争は73年3月29日にアメリカ軍が完全撤退するまで続いた。
 ヒカルは今風に言えば「ヘタレ」だ。彼には、同じ国がふたつにわかれて戦っている理由も、祖国アメリカがなぜこの戦争に関わっているのかもはっきりとわかっていない。仕事もヘマばかりで、編集長からは「君には期待していない 何もしてくれるな」と命じられるほどだ。
 そんなヘタレ男が、ベトコンの「お姫様」と運命の赤糸に結ばれながら、命がけの戦いに巻き込まれていく。「戦場のボーイ・ミーツ・ガール」がこのマンガの経糸になる。
 そして横糸になるのが、ヒカルが戦場で出会う一癖も二癖もある人々の狂気と死とだ。特殊部隊のヤーボ大佐。「俺はここに戦争をしにやってきた」という特殊部隊の美少年・ティムと彼に従う野良犬(ストレイ・ドッグ)と呼ばれるはみだしものの兵士たち。両親と右足を失っても力強く生きようとするベトナム人少年・パオと妹のニュー……。
 この骨太のドラマを西島は省略のきいた、ファンタジックとも言える独特の絵柄で描き切る。
 クライマックスは、73年のアメリカ軍撤退完了数時間前にサイゴンのタンソンニュット空港で起きた爆発事故。爆風に飛ばされてきたのは、固く握りあったふたつの手だった。残酷で美しい場面だ。

双葉社版第1巻78〜79ページ

 

 

記事へのコメント

ディエンビエンフー来ましたか。
西島大介の最高傑作。完結した時は本当に嬉しかった!
「爆風に飛ばされてきたのは、固く握りあったふたつの手」は最後まで読むと
意味がわかります。

ところで最近出た西島の『コムニスムス』は本作の続編で、カンボジアのクメール・ルージュ体制を生き抜く
人々を描いています。チョー分厚いけど、併せて読むのを薦めるっす!

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