【藤子不二雄A一周忌】『魔太郎がくる!!』戦慄の未収録第3話「不気味で怪奇」を超える「うらみはらさでおくべきか!!」

『魔太郎がくる!!』

昨年の事でした。

いつも行く漫画専門の古書店で懇意にしている店員さんとの雑談で、『魔太郎がくる!!』には新装版には収録されてない話があるのを教えてもらいました。

「魔太郎の生い立ち」という話が単行本未収録なのは知ってましたがそうではなく、主に初期の話は内容が過激すぎて掲載誌か最初の単行本でしか読めないとの事。

その最初の単行本は秋田書店のチャンピオンコミックス。

以降FFランド、文庫版、新装版と目にしておきながら(全て読み返したわけではありません)ずっと知らなかったという情弱さに我ながらびっくりです。

そして店内にあった『週刊少年チャンピオン』1972年第32号。

『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)1972年第32号

魔太郎がくる!!』第3話掲載です。

『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)1972年第32号より

プレミア価格ではありましたが財布に優しい値段だったので購入しました。

読むのと同時に検索をかけて事情は理解したものの、何で知らなかったんだろうと疑問が湧きます。

藤子Aさんの単行本には後に内容が差し替えられて、最初の版に少しばかりプレミアがつくケースがあります。

中央公論社の『ぶきみな5週間』や奇想天外社の『ヒゲ男』など結構多いですね。

それは知ってましたが『魔太郎』は知らなかった。

たまたまだったと言えばそれまでですが、少し弁解させてもらうと『魔太郎がくる!!』の元版はそこそこ流通しているんですよ。

全巻セットになると少々値が張りますが、最初の方の巻は古書店でもバラでお手軽な金額で売られてました。

最近ではバラでもあまり棚に並んでない印象がありますが、以前は絶版ではあるものの珍しい部類の書籍ではなかったのですよ。

それだけよく売れて人気があった事の証明だと思います。

だから新装で出された書籍の内容が変わっていても、元版がそれなりに流通していればプレミアに対する影響は低いのが古書業界の常です。

最初の新装版である「藤子不二雄ランド」が出版された時も、元版の価格に対する影響はほとんどなかったように記憶してます。

もっとも「藤子不二雄ランド」はそれ自体が後に品薄になり、別でプレミアがついたんですけどね。

と少しだけ言い訳させてもらいましたが、「『魔太郎』差し替え」の事実を昨年知ったのはお恥ずかしい限りです。

では第3話掲載の週刊少年チャンピオンを紹介しましょう。

1960年代や70年代の雑誌は、「裏移り」と呼ぶインクが裏のページまで浸透しているものが多く見られます。

主に青いインクが顕著ですが、これはインクのせいなのか紙質のせいなのかは私の知識ではわかりません。

残念ながら『魔太郎がくる!!』は「裏移り」してますので、それを踏まえて画像をご覧ください。

元版第1巻と掲載された週刊少年チャンピオンでしか読めないようなので、少し内容を詳細に書きますので御了承をお願いします。

魔太郎の秘密の手帳を覗き見したクラスメイトの猿彦は、もっと手帳の内容を知りたいと帰宅する魔太郎の後をつけます。

『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)1972年第32号より

しかし途中路上でビニール袋を口にあてたヒッピー風の若者二人(作中ではフーテンと書かれてます)に絡まれます。

お金で解決した猿彦はその二人に魔太郎の手帳を奪ってくるよう依頼し、引き受けた二人に殴られるものの逃げる魔太郎。

その際落とした本には魔太郎の住所氏名が書かれており、二人の内一人が魔太郎の家まで来てしまうしつこさ。

あろうことか魔太郎の母親に因縁をつけて脅す始末。

ここで決め台詞の「コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ」の登場。

『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)1972年第32号より

手帳を渡すからと夜のゴミ捨て場にフーテンを呼び出す魔太郎。

なんと魔太郎自身が大きなビニール袋に入ってとろけた目をして、イー気持ちになるんですよとフーテンを誘います。

俺にも入らせてみろと誘いに乗るフーテン。

『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)1972年第32号より

ここはフーテン登場時にビニール袋を口にあてているのが良い伏線になってます。

まんまと魔太郎の罠にはまったフーテンは袋の口を閉じられて、バットでボコボコに殴られ朝になりゴミ回収車に発見される結末。

『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)1972年第32号より

確かに魔太郎が直接手を下しての殺人は、今読むと無理があるなと思います。

では当時どう思ったかというと特に何も感じなかったかな、が正直なところです。

昭和40年代は漫画週刊誌が大きく発展していった時代です。

昭和30年代に主流だった漫画月刊誌は姿を消していきましたが新たに発刊された月刊誌も多く、漫画そのものが世間に認知され始めていきます。

それはそれは膨大な量の漫画が創作され、内容は何でもありの状況でした。

そして読む側は「漫画だから」との認識をもって読んでます。

描かれた内容はフィクションなのを承知してなければ楽しめませんよね。

ただいくらフィクションとはいえ、後にこれはまずいだろうと判断されて封印されるのは当然でしょう。

でも当時発表後すぐに問題になる漫画ってあまりなかったように思います。

あくまで私の記憶ですが、ジョージ秋山さんの『アシュラ』くらいではないでしょうか。

アシュラ』の件は漫画を一切読まない私の父も当時知っていたくらいなので、世間的に大きく問題になったのではないかと思います。

魔太郎がくる』の連載開始は1972年。

私は小学校4年生くらいです。

この頃は自由に貸本屋さんで漫画を借り出す直前で、この32号の目次に並ぶ作品を見てもリアルタイムで読んでいた記憶はありません。

ちなみに『ドカベン』は柔道編ですね。

魔太郎がくる!!』はコミックス発売後に借りて読んだのでしょう。

勿論毎日の様に貸本屋さんを利用するようになってからは、週刊少年チャンピオンも毎号借りて読んでましたがもう少し先です。

漫画はあくまで娯楽であり面白ければいいからというスタンスは子供の頃も今も変わりません。

もっとも絵柄が肌に合わなかったり内容に面白さを感じなければそもそも読まないのですが。

当時『魔太郎がくる!!』のような残虐さは映画やテレビでも普通に表現されていた様に思います。

ただ何でもありと先述しましたが、それなりの配慮や規制はあったのではないかとは思います。

何処までが残虐で表現可能かは判断が難しいところで、個人の受け止め方にも違いがあるでしょう。

それでも現在では有り得ない描写は漫画、映画、テレビ問わず数え切れません。

昭和だったからね、の一言で片付けるのは無謀な感じもしますが平成令和と生きてきて、還暦を過ぎた今思い返しても「そんなもんだったんですよ」としか言えません。

それが普通であればそのまま受け入れて流していくのは現在も同じではないかと思います。

魔太郎がくる!!』以前は青年誌にブラックユーモアの短編を多く発表された藤子Aさん。

魔太郎がくる!!』連載終了後は続けて少年チャンピオンに『ブラック商会変奇郎』を始めます。

こちらも当時面白く読みました。

児童漫画だけでなく大人漫画や怪奇漫画など幅広く偉大な作品を発表し続けた藤子Aさん。

お亡くなりになられて1年。

きっと旅立たれた先で藤子Fさんや手塚さん、トキワ荘の面々と楽しくやっていらっしゃる事でしょう。

アマチュアライターの私で恐縮ですが一周忌に合わせて記事を書かせて頂きました。

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