ホテルは人情が行き交う場所 いしぜきひでゆき/原作、藤栄道彦/マンガ『コンシェルジュ』

『コンシェルジュ』

 ホテルや旅館、駅、港は人情ドラマを生む絶好の舞台だ。様々な登場人物が自然に入れ替わり立ち替わりできるからだ。これを、映画や演劇では「グランド・ホテル形式」と呼んでいる。
 語源になったのは1932年のアメリカ・MGM映画『グランド・ホテル』(日本公開は1933年)。ヴィキイ・バウムの小説を原作つくられたこの作品は、ホテルの従業員や一癖も二癖もあるお客たちをMGM映画が誇るスターたちが演じ、第5回アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。その後、同種の作品をいくつも生むきっかけになった。
 本邦にも旅籠屋を舞台にした人情時代劇や、駅を舞台にした人情ドラマがずいぶんある。マンガにも石ノ森章太郎の古典的名作『HOTEL』をはじめ、グランド・ホテル形式作品はたくさんあるのだ。
 今回はホテルを舞台にした人情マンガ『コンシェルジュ』を取り上げよう。原作はいしぜきひでゆき、マンガは藤栄道彦。新潮社の『週刊コミックバンチ』2004年4月5日号から10年39号(8月27日発売)まで連載。単行本は21巻で完結している。
 また、2010年10月創刊の徳間書店『月刊コミックゼノン』には、続編『コンシェルジュ プラチナム』、『コンシェルジュ インペリアル』(いずれも原案/いしぜきひでゆき)が連載されている。

 舞台になるのは、東京都心にある都市型ホテル「クインシーホテル・トーキョー」だ。一日の収容人員5000人。クインシーホテル・グループでは最高峰のホテルだ。創業者の先代社長が急死したため、グループは、銀行出身の合理主義者・松岡俊一郎がオーナー兼社長の座にある。
 物語は、就職氷河期をなんとか切り抜けた川口涼子が、コンシェルジュとして採用されたこのホテルに着任するところから始まる。
 コンシェルジュの仕事は、宿泊客の要望に応えること。航空券を手配したり、劇場のチケットを手配したり、レストランを紹介したり……。いわば「なんでも相談係」である。
 新人の彼女を迎えたのはチーフコンシェルジュの最上拝(もがみ はい)。一見もっさりした男だが、実はニューヨークの一流ホテルでグレート・ハイの異名を取ったスーパー・ホテルマン。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で妻子を失い、傷心の日々を送っていたが、クインシーホテルにコンシェルジュ部門を新設したいという前オーナーに誘われて東京に戻ってきたのだ。
 クインシーホテルには、ほかにも個性的なスタッフが揃っている。中途採用でコンシェルジュ部門に配属された鬼塚小姫(さき)は、松岡社長の銀行員時代の大先輩の娘にして元部下。彼女は、銀行でとある事件を起こしたために転職したのだ。ポーターの司馬一道は怪力で誰からも愛されるキャラ。ほかに、常連客で女優の藤原貴梨花や、最上の新人時代の同僚で、現在はホテルグランシェル・トーキョーのコンシェルジュにして、裏社会にもコネクションを持つ水無月慶、といった面々が絡んでくる。
 登場人物たちはそれぞれに弱点があり、最上はパソコンも携帯電話も苦手なアナログ人間。鬼塚は17か国語を操り、パソコンをたやすく操り、数々の資格を持つくせにマニュアル人間で融通がきかない。これも人情マンガのセオリーだ。

 第1話に登場するのはアメリカの大物政治家・ウィルソン上院議員。非公式の大統領特使として来日したウィルソンは、40年前の海軍時代に日本で味わったステーキを探してほしいという。どんなブランド肉を持って来てもだめだだったが、最上は若き日のウィルソンが食べたのはクジラ肉ではないかと考えた。クジラのステーキを口にした政治家は、あのころ定食屋(ダイナー)のおばさんから言われた、小さなことにカッカせずに大きな男になりな、という言葉を思い出し、威張り散らしていた自分を反省するのだ。
 連載は原則1話完結式。幼子を連れて心中をするためにホテルに来た母親を思いとどまらせる話もあれば、大富豪の幼い相続人を戦隊ヒーローに変身した司馬が救う話もある。プロポーズをするために奮発した青年の話もあるし、スランプの女子バレーボールの日本代表を復活させる話もある。もちろん外国からの宿泊客の難題も解決する。
 それだけではなく、宿泊代を踏み倒すつもりの男や、ホテルを商売の場とするコールガール、悪質なホテルゴロにも神対応をする。

 マンガ家も登場する。
 3誌に連載を持つ売れっ子マンガ家・有明光成は仕事場のマンションが改築中のためクインシーホテルを仮の仕事場にしている。苦労の末に現在の地位をつかんだ有明は仕事の鬼だ。一方で、自分を認めなかった父親を恨み、編集者や出版社への怒りを持っていた。
 ある日、有明に頼まれて彼のマンションまでネコの餌を届けに行った涼子は、彼の母親に出会い、父親が末期がんで入院していることを知った。病床で、有明に見せたいものがある、と言っているということを聞いた涼子は、親子を和解させようと提案したが、鬼塚は強く反対した。
 彼女は、有明の創作のエネルギーが、憎しみや怒りから生まれていると感じていたのだ。彼女もまた、家庭を顧みない父親と、夫に愛想をつかして家に帰らない母親への恨みを抱えて生きてきたからわかるのだ。
「和解の価値などない」という鬼塚に、最上は「親というのは実に愚かなものなんですよ」「あなたから見れば そんな愚かしさは笑って許せる程度ではありませんか?」と語りかけ、和解するかどうかは有明に決めてもらってはどうか、と説得した。
 鬼塚は、パソコンのマンガ制作ソフトを1日でマスターして、有明の執筆を助けることにした。有明に父親のいる病院へ行く時間を与え、自分自身で病院に行くかどうかを決めさせるために……。
 原稿は完成して、有明は病院に向かった。瀕死の父親が最期に息子に見せようとしたのは、人間が死んでいく所だった。
 父親は苦しい息の中で言う。「きっと…漫画を描くのに…役に…立つ…」と。父親は息子の才能を認め、最期に役立ちたいと考えていたのだ。
 全巻を読み通すと、ホテルと人情マンガは相性がいいことがしみじみ感じられる作品だ。

第6巻114・115ページ

 

おすすめ記事

コメントする