すがやみつる『コミカライズ魂』【夏目房之介のマンガ与太話 その15】

すがやみつる『コミカライズ魂』【夏目房之介のマンガ与太話 その15】
『コミカライズ魂
『仮面ライダー』に始まる児童マンガ史』

 

 私と同じ1950年生まれのすがやみつるさんは、とんでもない人である。マンガの話を研究者などとしていると、「あ、それはね…」といって、誰も知らないような内輪話を始める。あっけに取られていると、じつは石ノ森章太郎、ジョージ秋山などのアシスタント経験があるとか、69年頃大手出版社の下請け的な〈日本初のマンガ専門編集プロダクション〉(P.72)と名乗る鈴木プロに就職して宮谷一彦の原稿を扱っていたとか、様々な現場にいちいち出没し関わってきた経験談を語る。そんなの誰もかなわない。
現場叩き上げの典型みたいな人で、その交友や現場体験は、どれも60年代末~70年代の激変するマンガ出版界の貴重な証言なのである。しかも異常なほどの記憶力で、細部まで憶えている。なので私は彼を、畏敬をこめて「マンガ界のフォレストガンプ」*1と呼んでいる。

 70年代前半にマンガとテレビの関係が深まり、「テレビマガジン」(1971年創刊 講談社)「テレビランド」(73年 黒崎出版~徳間書店)「てれびくん」(76年 小学館)などの低学年向け雑誌が刊行された。のちにゲームとの連携を深める「コロコロコミック」(77年 小学館)を含めて、石ノ森原作の『仮面ライダー』『ゴレンジャー』などを他の作家が描く傾向が増加する。何しろ原作者の月産原稿量が尋常ではなく、とても本人だけでは手が回らないのだ。すがやさんは石ノ森原作をマンガ化した主要な作家の一人だった。マンガ・テレビと商品化権ビジネスの連携が大規模になっていく70年代マンガ市場拡大期の事象であった。

 原作者以外の作家によるマンガ化を、いつ頃からか「コミカライズ」と言い慣わしたようで、言葉の経緯ははっきりしない。すがやさんによると、石ノ森の88年再編集版『マンガ家入門』「4 テレビマンガ」の項に、テレビ作品を原作にマンガ化したものを「コミカライズ」と呼ぶと書かれているらしい。じつは石ノ森は「ギャグマンガ」という言葉を率先して使ったり、「テレポーテーション」などのSF用語を子どもマンガで使ったり、新規な用語を先駆けて使ったトガった作家でもあった。コミカライズは、現在では小説、映画、ドラマなどのマンガ化全般を指すようになっているようだが、もともとはマンガの業界用語のようなものだったのかもしれない。

 すがやさんは、その後「マイコン」(マイコンピューター)を組み立てたり、マイコンマンガや入門書を書き、さらに85年からパソコン通信にハマり、電話の受話器に装置をつけて、アメリカのオタクたちに情報を流した(アメリカの初期のオタクたちにとっては伝説の人らしい)。94年以降小説家となり、ついには早稲田大学eスクールから大学院に進み、2011年博士課程を修了、京都精華大学教授になってしまう。高卒コンプレックスがあったらしいが、小説家になったのが43歳、eスクール入学時、54歳。その行動力と根性は、私のような怠け者には逆立ちしても真似できない。いやホント、できませんよ、これは。偉い! アンタはエライ!(誰もわからないだろうが小松政夫風に)

 本書には、マンガ史研究の上で貴重な証言が山盛りで、どれからつついていいか迷うが、一つはアシスタント及び新人マンガ家の原稿料収入の話がいくつも出てくることがある。石ノ森プロで仕事をしていた時も社員ではなく、報酬はすべて原稿料。支払われるのは1頁1400円。新人マンガ家の原稿料は2000円が相場だったという。毎日の睡眠3~4時間、風呂は2~3週間に一度、という過重労働でこの額では普通やっていけない。大半がアシスタント代に消える。ともあれ、72年「テレビマガジン」に『仮面ライダー』連載開始して、マンガ家になっていく。

 

すがやさんがどうしてもうまく描けず石ノ森が下絵を描いた場面。石ノ森原作、すがやみつる画『仮面ライダー』 「テレビマガジン」71年 すがやみつる『コミカライズ魂』河出新書 2022年 P.107

 

 翌年頃の話だと思うが、「中一時代」(旺文社)に連載した頃〈嬉しかったのは、その原稿料が一ページ五千円と高額だったこと〉(P.186)とある。元「週刊少年ジャンプ」編集長西村繁男によれば、68年頃の〈漫画家の原稿料は平均四千円が相場で、[略]人気漫画家になれば一万円は常識〉*2だった。ようやく人並みになってきたのか。

 80年代には月産300頁を越え、かなり売れっ子になってくる。が、専属アシ一人に日払い臨時アシも抱え、生活費にも困るという、いわゆる「漫画家貧乏」に陥る。締め切りに追い詰められた彼は、女性と京都に逃げだす。本宮ひろ志にもほとんど同じ逃亡話があるが、今となれば一体どういう業界なんだろうと思う。

 アシ代と仕事部屋代で週刊連載原稿料が消え、単行本でようやく収入がプラスになるという業界病理*3は、マンガが市場爆発を起こし、メディアミックスが進むにつれて深刻化し、労働組合もない漫画家たちは現在に至るまで窮乏化を続けることとなる。マンガ、アニメの制作現場に富が正当に分配されているとは、少なくとも思えない。

 それにしても、すがやさんはなぜそんな不合理な状況でも量産を続けたのだろうか。本書には〈石ノ森先生の「人の三倍描け」を実践したい〉〈まだまだ修行中の身だという自覚〉〈稼ごうなんてことを考えるのは、おこがましい〉(P.219)と、その理由が述べられる。同じく石ノ森のアシスタント出身だった永井豪は、過重労働と報酬の安さに反発し、自身のダイナミックプロでは高額の報酬を支払ったために自分の取り分がなくなったと語っている。*4そもそも劣悪な条件に対して素朴すぎるように感じてしまう。私自身は、週刊朝日での連載でも、できるだけ原稿料値上げ交渉を行った。それが当然としか思えなかったからだが、あとから色々聞くと珍しい新人だったようで、出版の既存慣習の中ではたしかに難しかった。

 すがやさんのような心情は、おそらく高度経済成長期の過重労働を現場でこなす下請け中小企業的な倫理ではなかったかと思う。だとすれば、マンガ編集者の倫理にもそれは反映されている可能性が高く、マンガ編集とマンガ家の関係をあまり美化しないほうがいいのかもしれない。
案の定書くべきことが山のように残ってしまった。すがやさんがアメコミを学びながら『人造人間キカイダー』などを描いていたこと、貸本や紙芝居の昔語り、石ノ森、赤塚、藤子らの「スタジオゼロ」などの影響でグループを作り会社立ち上げを考えていたこと(社長候補は鈴木敏夫!)などなど、積み残しだらけだが、今回はここまでにしよう。すいません、すがやさん。ちなみにすがやさんは『仮面ライダー青春譜 もうひとつの昭和マンガ史』(ポット出版 2011年)という自伝も書かれている。

  • *1 ^ 『フォレストガンプ 一期一会』は1994年公開のアメリカ映画。ロバート・ゼメキス監督、トム・ハンクス主演。一人の男が60~70年代アメリカの歴史的事象のあちこちに登場する。
  • *2 ^ 西村『まんが編集術』白夜書房 99年 P.83。
  • *3 ^ 竹熊健太郎『マンガ原稿料はなぜ安いのか? 竹熊漫談』イースト・プレス 2004年、夏目「マンガ家はもうかるのか?」 『マンガは今どうなっておるのか?』メディアセレクト 2005年所収など参照。
  • *4 ^ 永井GO展実行委員会『永井GO展』図録 産経新聞社、ダイナミックプロダクション 「兄弟座談会」 2018年 P.199。
記事へのコメント
すがやみつる

ご紹介いただき、ありがとうございます。

京都に逃げたのは74年頃です。80年代は『ゲームセンターあらし』を描いてました。

早稲田大学大学院は修士修了です。

以上、細かいことですが。

一昨日、清瀬市郷土博物館の特別展「歩く、描く 谷口ジローと清瀬」に行ってきました。図録も購入し、夏目さんと関川さんの対談も、そうそう……と何度も首を縦に振りながら読ませていただきました。

ご紹介いただき、ありがとうございます。

京都に逃げたのは74年頃です。80年代は『ゲーム...

百年単位で考えると、先生方の述懐は、漫画史における貴重な一次史料なのでしょう。
夏目先生は特に、百年後、二百年後の研究者に必要な史料、推論を残されようとしているのだとおもいます。
本稿で、すがや先生が初期のアメリカオタクに薫陶を与えたように。
お二方の時間的、空間的な思索の広さに思いを馳せたいと思います。

>夏目先生は特に、百年後、二百年後の研究者に必要な史料、推論を残されようとしているのだとおもいます。
ありがとうございます。そこまで壮大ではないのですが、ここ十年くらいは、出会った若い研究者たちの疑問や最近の漫画だけで漫画を判断している読者の方々に、できるだけ答えられたらと思って書いています。しかし、思いのほか「自分の知っているはずの歴史」を通じるように書くのは難しく、また客観性を維持するために資料を参照したり、言説を引用するのも、なかなか困難だったりします。また、年齢的にそういう書き方と視点を持たざるをえないみたいですね。

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