鳥山明さんのいなくなった日2【夏目房之介のマンガ与太話 その29】

鳥山明さんのいなくなった日2【夏目房之介のマンガ与太話 その29】

 前回、唐突に話を打ち切ってしまって申し訳ない。さて、鳥山明さんについての続きである。何をいいたかったかといえば、紙出版の日本マンガが未曾有の巨大市場を獲得した最盛期(80年代後半~90年代前半期)を牽引したのは、間違いなく「週刊少年ジャンプ」の躍進であり、その中心にあったコンテンツが 『Dr.スランプ』(1980~84年)と『ドラゴンボール』(84~95年)だったということだ。
Dr.スランプ』には、下品なギャグのわりにうんこを可愛く感じさせてしまう品の良さがあった(キャラクターの汎用性?)。アニメ化前提で連載開始した*1ドラゴンボール』では、バトル化でキャラクターを大量生産し、同時にそれは、アニメ、キャラクター商品、ゲームなどの「メディア・ミックス」=多メディア展開商品へと拡張する。それ以前からあった、この構造の完成が、マンガ出版市場の急速な拡大を支えたのだろう。いわば日本のマンガ、アニメ、ゲーム市場拡大期の中心にいたのが鳥山明というアーティストだった。いいかえると『ドラゴンボール』の連載期は、紙の出版市場が戦後最大に拡大した時期と重なり、その連載終了が出版の急落、出版不況の始まりと重なっている。むろん『幽遊白書』(90~94年)、『スラムダンク』(90~96年)の存在も無視しえないにしても、紙出版の最盛期を象徴するマンガ家といえば鳥山明だったといいうるように思う。
 にもかかわらず、それにふさわしい評価を鳥山明が受けているようには私には見えない。おそらく現在のマンガ読者層にとって鳥山明は、あまりにも「当たり前」に見えてしまうからではないか。例えばそれは、文字における明朝体のフォントのように、ほかのマンガやアニメ、ゲームの鋳型のように感じられ、表現としての特異さや抜きん出た物語特性を感じ取れなくなっているからではないか。同じ「ジャンプ」の『北斗の拳』や『ジョジョの奇妙な冒険』を語るときの「特異さ」の感触と比して、なぜかそこに平凡さ、普通さを感じてしまうのかもしれない。
 しかし、鳥山マンガの登場初期には、彼の造形、デザインのセンスや、描線の繊細さ、色彩のレベルの高さは、デザイナーやアーティストたちに高い評価を受けた。とりわけバイクや戦闘機などのメカの克明な描写と、にもかかわらず全体を「かわいい描線」でくるみこんでしまう圧倒的な技術は、江口寿史同様のポップさとおしゃれの表現を、時代感覚の先端で示していた。だが、この時代感覚は、その当時流通していた記憶を世代集団の移動とともに失い、今は再現できにくい。

『ドラゴンボール』44話扉用イラスト
JUMP COMICS DELUXE 『鳥山明 THE WORLD』集英社 1990年 P.5

 また、あまり語られないことだが、あまたあるバトル物マンガの中で、『ドラゴンボール』は大変珍しく、主要キャラクターが「歳をとる」。主人公の悟空は、王道少年マンガのヒーロー特性として「無垢」を維持しているが、同時に少年から青年に成長し、あまつさえ結婚し、子供をもうける。さらには、死んで、死後も修行を続け、生き返り、子供の悟飯とともにたたかう。天下一武道会前までは切っても死なないギャグ体質キャラだったのに、武道会以後骨は折れ、血を吐いて死ぬ身体を獲得した登場人物たちは、それぞれ結婚し子をなしたりしつつ、敵だったものが仲間となり、「強さのインフレ」を繰り返していく。私は、このインフレ的な無限ループ構造を、『ドラゴンボール』の〈敵と後見人の増殖反復モデル〉*2 として図式化してみたことがある。

敵と後見人の増殖反復モデル図

 無限に強くなるバトルの繰り返しのあげく、地に足のついたたたかいから、彼らは空中でたたかうようになる。物語終盤の空中戦は、そもそも重力を前提に打撃を繰り出す武術ではなく、子供っぽい妄想の、むなしいバブルのようなたたかいに移行していった。91年、すでに株価は暴落し、飽和した経済はその後数十年持ち直さぬまま低迷した。
 95年、すでに45歳となっていた私の目には、『ドラゴンボール』の終焉はまことにもの悲しい印象だった。むろん当時の現場を知っているわけではないので、実際そこで何が起こっていたかは知らない。けれど、編集部やコンテンツ商売で巨大な利益を生んでいた人たちの圧力で、連載は引き延ばされ、線は荒れ、作者のモチベーションは失われていたようにしか見えなかった。鳥山明という希有な才能を持った個人が、日本のマンガ・アニメ産業の巨大な利益の運動の渦に巻き込まれ、その才能を消尽していったように思えてならなかった。私にとって鳥山明は、きらめくような才能を持ちながら、まるでバブル経済とその崩壊をも象徴して退場したマンガ家であるように思える。
 ところで、登場人物が物語の中で歳をとり、成長し、死んですらゆくというモデルは、戦後子供マンガの中では手塚治虫の長編が実現したものである。傷つき、死んでゆく身体もまたそうであった。それゆえに手塚は『鉄腕アトム』で「成長しない子供としてのロボットの悲劇」を描き、またアトムのTVアニメ化が「メディアミックス」構造の起点となった。鳥山明さんがなぜ、通常は歳をとらず、死なないはずのバトルマンガの主人公に加齢と死を与えたのか、今は知りようもない。
 ただ、連載開始当時の編集長だった西村繁男氏は、インタビュー集『まんが編集術』(白夜書房 99年)で『ドラゴンボール』について尋ねられ、〈これは何もいうことないんじゃないの(笑)、逆に。[略]絵としての完成度はあるかもしれないけど、作品としてはどうってことないと思うけどね。〉(P.261)と切って捨てている。西村さんの功績は認めるが、この発言には、いくら何でもそれはないんじゃないのと思わざるを得ない。

 

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  • *1 ^ 〈次の作品のアニメ化はフジテレビに欲しいという、そういう前提があった作品でしたね。〉西村繁男『まんが編集術』白夜書房 1999年 P.262
  • *2 ^ 夏目房之介「鳥山明『DRAGON BALL』試論 強さとは何か」 「オモ!」2003年1月号 夏目『マンガの深読み、大人読み』イースト・プレス 2004年所収

 

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