このシリーズも気がつけば49回。たくさんの人情マンガを読んできてわかったのは、弱い者たちがお互いを思いやり、肩を寄せ合いながら、世知辛い時代をたくましく歩んでいく姿こそ、人情マンガの魅力ということだ。
今回もそんな珠玉の人情マンガを紹介する。田亀源五郎の『弟の夫』だ。
双葉社の『月刊アクション』で2014年11月号から17年7月号まで連載。単行本は双葉社アクションコミックスで全4巻にまとめられた。連載中から注目された作品で、15年に第19回文化庁メディア芸術祭優秀賞を、完結後の18年には第47回日本漫画家協会賞優秀賞をそれぞれ受賞。海外での評価も高く、16年にフランスのアングレーム国際漫画賞で最優秀マンガ賞にノミネートされ、18年にはアメリカで最も権威のあるマンガ賞であるアイズナー賞で最優秀アジア作品賞を受賞するなどしている。
18年にはNHK・BSプレミアムでドラマ化もされた。
主人公の折口弥一は、小学生の娘・夏菜(かな)と二人暮らし。夏菜を産んだ夏樹とは夏菜が小学校に進学する前に離婚したが、いまだに交流は続いており、離婚前よりも関係は良好だ。職業は、交通事故で亡くなった両親が経営していたアパートを引き継いだ大家業。ただ本人はあまり褒められた仕事ではないと感じている。世間体を気にし、世間とはあまり波風を立てずに生きてきたのが弥一だ。
ドラマは、そんな弥一の家を、ふたごの弟・涼二の同性婚のパートナーだったカナダ人・マイクが訪ねてくるところから始まる。
涼二は大学卒業後に日本を離れ、カナダでマイクと出会い、結婚。しかし、1ヶ月前に急死していた。結婚式のとき、涼二はマイクに、必ず日本に行って弥一に紹介する、と約束していた。マイクは果たせなかった約束のため、はるばる日本にやってきたのだ。
突然の「弟の夫」の訪問にとまどう弥一だったが、夏菜は大歓迎。マイクを家に泊まらせることを弥一に納得させてしまう。
マンガは、弥一と夏菜、マイク、そして夏樹の3週間をゆったりと描いていく。
かつて涼二が使っていた部屋に泊まり、弥一、夏菜と過ごすことになったマイク。弥一は同性愛や同性婚に対する偏見は持っていないつもりだったが、マイクを目の前にするとどうしてもギクシャクしてしまう。
悩める弥一に一条の光を与えたのは、夏菜がマイクに向けた天真爛漫な質問だった。
「マイクとリョージさん どっちが旦那さんで どっちが奥さんだったの?」
これを聞いた弥一はあわてたが、マイクは優しく応えた。
「奥さん女の人でしょ? 旦那さん男の人でしょ? 私とリョージどっちも男の人でしょ? だから私のハズバンドはリョージ リョージのハズバンドが私」
これを聞いた夏菜は、心から納得して「そっかァ!」と顔をほころばせる。
弥一は、自分は判っていなかったんだ、と目からウロコが落ちるのを感じ、胸がすっと軽くなる。無意識のうちに結婚やカップルを男と女の関係に当てはめていたが、それは意味のないことだったのだ、と。
それでも、弥一の煩悶は続く。3人で涼二の思い出の場所を訪ねたときにも、近所の人にマイクを「弟の友人」と紹介する自分がいる。高校生のときに弟からカミングアウトされたとき、どう反応していいかわからなかったことを思い出しても悩む。
この弥一の揺れ動く心には共感する。
マンガの中には、自分が同性愛者ではないかと気づいて悩んでいる少年や、絶対にカミングアウトしないと誓っている同性愛者も登場する。マイクと付き合うことが悪影響になる、と思いこんでいる親や先生も登場する。
彼ら彼女らそれぞれの気持ちも納得できる。結果はともあれ、悪意はないのだ。作者も、彼ら彼女に対して怒ったり、嘆いたりするのではない。
このマンガのハイライトは、マイクのために夏樹を加えた4人が箱根旅行に出かけるエピソードだろう。
宿で、星空を見ながら弥一は夏樹に、こんな事を言い出した。
「俺と君はもう離婚してて夫婦じゃないし 逆にマイクは ただの友人やお客さんじゃない そういう関係のこと 何て呼べばいいのかな…って」
それに対して、「困った人だ」というような表情で夏樹はこう言う。
「家族…でいいと思うよ 別れちゃったけど あたしと弥一くんには一度縁があって その縁はまだ夏菜でつながっていて 弥一くんとマイクは涼二さんという縁でつながった」
この言葉は、弥一が絡め取られていたものは取り去ってくれる。
別れた夫婦であっても、男同士の夫婦であっても、家族は家族なのだ。人はそれぞれ、世間の目なんて気にすることはない、と。
最終話で、カナダに帰るマイクを玄関先に見送った弥一は、こう言う。
「あのさ さよならのハグ… していいかな?」
揺れ動く弥一に共感できた人なら、きっと涙が止まらなくなるシーンだ。
同性婚を認めたら社会が変わってしまう、なんてことを考えている人にもぜひ読んでほしい人情マンガなんである。社会が変わるのなら、きっと良い方に変わるはずだから。