孤独な親子の絆を描く人情マンガ 糸井のぞ『真昼のポルボロン』全3巻

『真昼のポルボロン』

 あけましておめでとうございます。
 2023年の人情マンガは、糸井のぞの『真昼のポルボロン』からはじめよう。
 講談社の女性コミック誌『BE・LOVE』で2017年4号から18年9号に連載。単行本は3巻で完結している。
 主人公の名は、蒼井るつぼ。小学3年生。母親は彼女を生むとき、亡くなっている。父親は行きずりの男、のはずだった。
 生まれてすぐ、るつぼは祖母に引き取られ、祖母と伯母夫婦の手で育てられた。彼女には胎内記憶があり、ママと自分を捨て、帝王切開で自分がこの世に出てくることを認めたあの男を決して許さないつもりだった。そして、誰かの勝手でこの世に出ていくのだから、全力で口を閉じてやると、誕生の瞬間に誓っていた。
 成長してからの彼女はひどく無口な少女、と誰からも見られていた。伯母たちは医者にも診せたが、身体的な問題は見つからなかった。彼女は自らの意思で、世間との交渉を断っていたのだから当然だ。数少ない例外は祖母との会話だった。
 そんな中、9年間音信不通だった父親から叔母夫婦に、夏休みの間だけるつぼを預かりたい、という突然の連絡が入った。この話を聞けば反対するであろう祖母は入院中。ハワイ旅行を計画していた叔母夫婦は渡りに船とばかり、るつぼを男のところに連れて行ったのだった。
 男の名は岩下縞(しま)。売れない小説家であり、大学講師としてイギリス文学を教えている。美形で気遣いのできる優しい人物だが、他人、とくの女性との距離の取り方には異常なほど不器用。そのため少年時代から何度もトラブルを繰り返してきた。
 彼もまた、幼い時に母を失い、孤独の中で生きてきたのだ。それぞれに孤独な父娘の2ヶ月だけの暮らしが始まった。

 一見、複雑な家族が繰り広げる深刻なドラマを予想してしまうが、『真昼のポルボロン』は違う。他人を拒絶しながら生きてきた実の親子が、絆を取り戻す人情マンガなのである。
 ふたりを支えるのが脇役陣だ。ひとりは縞の家の居候で大切な女性を縞に奪われたことから、責任を取らせる目的で棲み着いている東海林正治(ショージ)・19歳だ。
 もうひとりは、近所のコーヒーハウス「冬物語」の姫子。縞とは彼が転校してきた小学校3年生以来の縁。初恋の相手であり、ファーストキスの相手だが、ふたりが結婚することはない。なぜなら彼女は、同性愛者なのだ。それを知っているのは縞だけだった。
 ほかに、文房具店でるつぼが出会い、言葉をかわすことになる不思議な美少女「梅之助」。ショージの母。大学での縞の上司・長谷川教授といった面々が親子に絡む。
 もうひとり忘れてはいけない人物がいる。るつぼの母・英梨だ。実は、このマンガの隠れた主人公が英梨だ、ということは読み進むうちにわかってくる。
 さらに、重要な役割を果たすのが、タイトルにもなっている「真昼のポルボロン」である。これは、縞や姫子が小学校3年生だった頃に、アイドル歌手・雪乃フーコが歌って大ヒットした曲のタイトル。ポルボロンはスペイン生まれの焼き菓子で、この曲もお菓子のCMソングとして子どもたちの人気を集め、それが大人たちにも広がったのだった。
 誰とも話をしようとしないるつぼだったが、なぜかこの古いアイドルソングを口ずさむ。それは、母・英梨と父・縞の関係とるつぼが生まれた理由にもつながっていくのだ。

 るつぼと縞の関係に大きな変化が起きる場面が2度ある。
 1度目は、病院から外出許可をもらった祖母が縞の家まで様子を見にやってきたとき。ショージは縞のために「仲良し親子になりきろう」作戦を実行するのだが、るつぼに嘘をつかせたくない縞は「やめよう」と作戦を中止してしまう。
 祖母の前で泣き出したるつぼは、「ここにいると どんどんわたしがわたしじゃなくなっていくみたいで あんなに好きになったりしないって決めていたのに 一日一日ここですごすうちに…そんなことも忘れて変わっていくのが」「変わらないわ」と祖母に告白する。彼女の中で、父親の存在を受け入れようとする何かが動いていたのだ。
 祖母は帰り際に、るつぼにこう言う。
「夏休みが終われば あなたは自分のいたい場所を自分で選べます」と。彼女がどこを選ぶのかは、後半の鍵になる。
 2度目は、梅之助と公園に出かけたるつぼが、梅之助との小さな諍いからひとりで帰る途中で迷子になったときだ。雨の中、震えていたるつぼを縞が見つけ、怪我をして冷え切った彼女を背負ったとき、ふたりの心の距離は少し、いや、かなり近づく。ぎこちなく挨拶を交わしたりできるようになっていったのだ。
 夏休みが終わりに近づき、縞はるつぼが愛おしくてたまらなくなる。その一方で、自分自身の過去と、るつぼの母・英梨の記憶と向き合っていく。それは、死んだ英梨が望んだことでもあったのだ。
 ラストは、研究のためにイギリスの大学に赴任した縞が、るつぼとともにロンドンの公園を散策するシーン。るつぼとの時間を過ごすために赴任を渋っていた縞の背中を押したのが当のるつぼだった。穏やかな時間の中で、縞はつぶやく。
「なあ英梨さん 僕の負けだ だって僕は こんなにもこの子が愛おしい」
 なんとか絆を取り戻したふたりの姿に心安らぐエンディングだ。

 

第2巻44〜45P

 

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