今回の人情マンガは畑中純の『まんだら屋の良太』を取り上げる。実業之日本社の『週刊漫画サンデー』で1979年から89年まで連載され、単行本は全53巻。連載当初から村松友視や糸井重里ら同時代の文化人がその文学性を絶賛した。81年に第10回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。86年にはNHK「銀河テレビ小説」でドラマ化もされた。また、2006年にフランスで翻訳されるなど国際的評価も高い。
作者の畑中純は1950年、福岡県小倉市(現・北九州市)の生まれ。高校時代からマンガ家を目指し18歳で上京。肉体労働で稼ぎながら専門学校に通い、27歳でデビューを果たしたという苦労人。デビューまでの日々は自伝マンガ『1970年代「まんだら屋の良太」誕生まで』に詳しい。本作は畑中の出世作であり代表作でもある。
作品の舞台となるのは、小倉からバスで1時間くらいの山の中にある九鬼谷という架空の温泉地だ。畑中によれば、ヒントになったのは若いころに熱中した宮沢賢治のイーハトーヴォや、フォークナーのヨクナパトーファなのだという。「九鬼谷温泉は畑中純の理想郷です。まんだら湯は羊水であり、再生の湯なのでしょう」(『版画まんだら』99年桜桃書房「まんだらの湯」より抜粋)とも語っている。
主人公は温泉旅館「まんだら屋」の次男坊・大山良太。父親は早くに亡くなり、旅館は母親が従業員を差配し、切り盛りしている。兄の元太は東京にある調布産業大学の3年生。3年生がひとりだけしかいない空手部の主将だ。九鬼谷には年に一度くらいしか戻ってこない。
良太は小倉にある小倉城南高校の3年生。勉強は苦手で、スケベで下品だが、曲がったことは大嫌いで弱いものには優しい九州男児である。仲のいい級友に、小倉の酒屋の息子・石田鉄男(テツオ)と文学好きの根津実(ネズミ)がいる。ふたりとも性には興味津々だが、良太ほど経験があるわけではない。
ヒロインは温泉街にある旅館・夕月荘の娘で幼馴染の秋川月子。小倉城南高校の3年生で、良太とは違って潔癖症。お互いに憎からず思っているのだが、喧嘩することも多く、なかなか関係は進展しない。
月子の親友には温泉饅頭「貴多本」の娘・久美子がいる。月子とは違って性には開放的な久美子は「おんな良太」とも呼ばれているが、のちにテツオから告白されてカノジョになる。
ほかに、温泉街にあるみやげ物屋の主人で観光客向けにブルーフィルム(無修正のわいせつ映画)をこっそり上映している、こけしそっくりの春さん。気風のいい温泉芸者で農業にも従事する福助姐さん。喫茶店「人魚姫」のマスターとママ。テキヤ「天狗一家」の晴司親分。温泉街の石段を登った一番上に妾宅を持つ社長の嵐山勘三郎など、一癖も二癖もある人物が登場する。
真逆な性格の良太と月子のカップルを軸に、たくましく、かつ好色な九鬼谷温泉の人々が巻き起こす珍事件を1話完結式で描いた、滋味あふれる人情マンガが『まんだら屋の良太』なのだ。
好きなエピソードに「こけし」という話がある。
春さんの店の奥で、ブルーフィルムを鑑賞させてもらっていた良太は、そこに映っている女性が家出した春さんの娘・芳江とよく似ていることに気づいた。芳江は男と駆け落ちして九鬼谷温泉から姿を消していたのだ。
良太は春さんとともに芳江に似た女性を探すため、フィルムの卸元で不動産屋を営む旧知の清作を訪ねた。困っている人を放っておけないのが良太のいいところだ。
清作のところで、フィルムを持ち込んだ相手がスナック「エロス」のサブと言う男であると知った良太は、石田酒店が「エロス」に酒を納めていることを思い出し、春さん、テツオとともに「エロス」を訪れた。実は、「エロス」は上客に人妻売春をあっせんすることを裏の仕事にしていたのだ。
春さんは人妻を紹介してもらうふりをして、亭主に逃げられ、幼子を連れて困っているという女が住む長屋を訪ねる。女はやはり娘の芳江だった。
「全部水に流そうやないか」という春さんに芳江は「うちのことはほっといて!」とつれない。決心した春さんは、孫の陽子を連れ去ってしまう。
陽子を追って九鬼谷温泉に戻ってきた芳江は、春さんの店を手伝い始める。その様子を見た良太の母は、「どうやら九鬼谷に落ちつきそうやね」と語る。意地を張っていても親子の情は変わらない、と良太の母にはわかっているのだ。
春さんは「良太! おまえにゃ悪いが ワシ エロゴトから足洗うけの!」と言い出した。そして、孫と一緒に「最高じゃ!」と独り言ちるのだった。家族を取り戻した春さんには、エロゴトに逃げる必要がなくなったのだから。
ほかにも全編これ名作ばかり。エロスと人情が織りなす世界は、温泉のように読む人の心をほっこりさせるのである。