人情を描くといえば、思い出されるのが股旅もの時代劇である。江戸時代後期を舞台に、生まれ故郷を捨て旅から旅と渡り歩く孤独な博徒(ばくちうち)を主人公に、義理と人情の世界を描くのが股旅ものだ。
人の情にすがって生きようとしても、浮世の義理がそれを許さない。男涙のはぐれ旅……。山田洋次監督の映画『男はつらいよ』の“フーテンの寅”ともどこかで通じる世界だ。
この股旅ものというジャンルをつくったのが大正から昭和にかけて大衆文学者、劇作家として活躍した長谷川伸だ。作品は、浪曲や新作歌舞伎、大衆演劇で演じられてきただけでなく、映画や歌謡曲の題材にもなっている。
時代劇でヤクザものが「手前、生国と発しますは上州。上州も広うございます」と初対面の挨拶として切る「仁義」も、長谷川が少年時代に聞き覚えたものからの創作だという。
今回紹介するのは長谷川の股旅もの4作『瞼の母』、『一本刀土俵入』、『沓掛時次郎』、『関の弥太ッぺ』を、『1・2の三四郎』の作者・小林まことが劇画化した『劇画・長谷川 伸シリーズ』だ。
「マンガ」ではなく、あえて「劇画」というのがいい。小林はこれが時代劇初挑戦のはずなだが、びっくりするほど絵のキレがよく、殺陣(たて)もしっかり決まっている。着物の着こなしもじつにいい。なによりも驚かされるのは、原作にはないドラマがしっかりと描き込まれていることだ。
例えば、『瞼の母』。これは幼い頃に家業が破綻し、母と別れた長谷川伸自身の実体験が込められた名作中の名作。ストーリーは知らなくても、「上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんのおもかげが出てくるんだ」という主人公・番場の忠太郎の名セリフなら、なんとなく覚えている人も多いはずだ。
原作では、渡世人の忠太郎が幼い時に生き別れた母・おはまを訪ねる一夜の出来事が描かれている。
江戸・柳橋の料理屋「水熊」の女将になっていたおはまは、忠太郎を一目見るなり、ゆすりに来たやくざものだと思う。やがて息子・忠太郎だと気づいたが、娘のお登世のことを考えて「知らぬ」と突き放し追い出してしまうのだ。
しかし、料理屋の店に出るために忠太郎とすれ違ったお登世はひと目で彼が兄であることをさとり、母とともに後を追う。「忠太郎にいさ〜ん」「忠太郎〜」と追いすがる母と娘。忠太郎は、水熊の身代を狙う悪人・井桁の松三郎を斬り捨てふたりとは会わぬまま去っていく。忠太郎がニヒルでカッコいいところを見せて幕、なんである。
小林まことの『瞼の母』では、代々続いた旅籠が没落し、幼い忠太郎を残して母が女郎に身を落とすというプロローグがつくられている。そして、25歳で渡世人になった忠太郎の旅が本編として描かれる。お馴染みの場面が出てくるのは「第九場 柳橋水熊横丁」。ここからはじまって、「第十三場 大詰」まではお芝居や映画でよく知られているとおり。
そして、十四場からは後日談になっていて、安政大地震のさ中、忠太郎が母と涙の対面を果たす。
巡業先で相撲部屋から追い出された若い取的(力士)の駒形茂兵衛が、宿場女郎のお蔦から受けた恩を10年後に返すという『一本刀土俵入』では、冒頭に、茂兵衛が腹をすかせて山野を彷徨うイントロが加えられている。茂兵衛がお蔦に救われる場面や、相撲を捨てて渡世人に成り果てた茂兵衛がお蔦とその家族を助けて恩返しを果たし、一世一代の土俵入りを見せるというクライマックスは原作そのままだが、細かな描き加えがされている。『一本刀土俵入り』の巻末にはオリジナルの戯曲が併録されているので比べてみるとおもしろい。
描き加えは『沓掛時次郎』と『関の弥太ッぺ』にもある。舞台上で役者が演じることでドラマの全体像を表現する戯曲と違って、マンガではセリフの中に隠されたドラマも描くことができる。そこが『劇画・長谷川 伸シリーズ』の面白みでもある。小林まことは原作の行間に分け行って、読者にわかりやすく、おもしろくを目指しているわけだ。
小林はさらに趣向をこらしている。昭和の東映映画のポスターを思わせる表紙には小林作品のキャラクターがずらり。東映時代劇風にキャラクターたちを配役しているのである。
忠太郎には『1・2の三四郎』の東三四郎。駒形茂兵衛には同じく成海頁二、お蔦には同じく本間ほたる。旅人から預かった少女を救うために、斬った張ったの裏街道を歩くことになる関の弥太ッぺには『柔道部物語』の三五十五。義理のために斬った相手の身重の女房を救うために気質になろうとする沓掛時次郎には『へば!ハローちゃん』の雨竜光二……。
また、『関の弥太ッぺ』の巻末にある長谷川伸と小林まことの架空対談も読ませる。
【アイキャッチ画像出典】
長谷川伸/作 小林まこと/脚色・構成・作画 『劇画・長谷川 伸シリーズ』全4巻
『瞼の母』より