数年前、人形を恐怖の道具として使わないで欲しいという意見がある団体から出ているというニュースを見ました。
真っ先にこの作品が頭に浮かび、まさか封印されるなんて事は無いよなと懸念したのをはっきり憶えてます。
怖い系の漫画も映像作品も苦手な私ですが、個人的に恐怖漫画の最高傑作だと思っております。
これまでにとにかく怖いから読め、と色んな人に勧めてきました。
度重なる蔵書整理で何度か手元からは消えてますが、昨年末に入手。
またじっくり読み返してこの記事を書く次第です。
私の中の殿堂入り作品。あえて探して入手せずとも、必ずこの本は私の手元に戻ってきます。
初めて読んだのは20代後半です。30年以上前になりますが帰省して実家に帰った際に妹が購入しておりました。
なんか凄い物を読んでしまったと少し呆然としたのを憶えてます。
「汐の声」や「ゆうれい談」も読んで、山岸凉子さんて怖い系も描く漫画家さんなんだと知ります。
それまでは『アラベスク』や『日出処の天子』など長編漫画家さんだと認識してました。
姉や妹がいる為、子供のころから少女漫画は身の回りにあり、それなりに読んではいました。
ただ子供ですから、男の子向けの漫画とは明確に隔たりがある少女漫画の世界観に入り込む事はありません。
成長するにしたがって少女漫画世界を理解し、面白いと思うようになり色んな作品を読んでいきますが山岸さんの作品はじっくり読んでませんでした。
この「わたしの人形は良い人形」を読んでから山岸さんの他の短編も読みますが、心霊物以外にも深層心理や抑圧された精神などを題材とした秀逸な作品が多いですね。
最近では『モーニング』に短期連載された死刑囚の怨念の話(※編集部注:2014年2・3合併号から3号連続掲載された「艮」)が印象深いです。
先述した「汐の声」も大変な怖さですが、頭一つ抜けて私が読んだ中で山岸恐怖作品の頂点です。
物語は昭和21年から始まります。
もうここから私のツボです。
高校生の時に横溝正史にハマってほぼ全作品を読みました。市川崑監督、石坂金田一の映画も全て劇場で見ております。
横溝映画には戦前から戦後しばらくの描写が多く出てきます。
昭和21年という時代は簡単に私の中で映像に変換され、冒頭から怖い感覚がふつふつと湧いてきます。
物語の鍵となる日本人形が登場し、発端となる大事な話が展開します。
次の舞台は昭和31年。
重要な事件が起こった後、時代は昭和60年へ移ります。結構大掛かりな話なんですよ。
作品が発表されたのは昭和61年です。
物語の中でも同じ現代から本格的に話が進みます。
主人公はこの時代から登場する高校一年生の女の子。
始まったばかりの高校生活、新築の家への引っ越し。場面は大幅に転換します。
しかし、発端の昭和21年からすべては繋がっており、何も知らない主人公が巻き込まれていきます。
とにかく冒頭の昭和21年からもうこれでもかっていうくらい怖い要素が次から次へちりばめられて、解決へ向かう終盤まで読み手をつかんで離しません。
その終盤もとにかく怖い。でも読むのをやめられない。
発端から終盤まで提示され続ける謎。不安と恐怖に怯える主人公。心強い霊能力者。解決へ向かう展開。
登場人物の表情がデフォルメされたりと少しホッとする描写が入るもの効果を高めてます。
月刊誌に3回にわたって連載された百十数ページの作品ですが、短編としてというより漫画作品として優れているのですよ。
作中、霊能力者が主人公に言うセリフで一つとても心に残るものがあります。
「少なくともきみのお母さんはあの人形と四十年近く一緒にいてなんともない唯一の人」
何故何ともないのかの説明はなされてません。
昭和21年の物語当初から次の昭和31年。
そして昭和60年の時代まで全て登場するのは主人公のお母さんだけです。
実はこのお母さんが主人公? とも思いますが、結末へ向かう終盤には登場しません。
霊感ゼロはよく聞く言葉ですが、このお母さんが大事な役割を果たしているのをあえて読者に提示しているのはそこに気が付きにくいからだと推察します。
少なくとも私はこのセリフが無ければ気が付いてないと思います。
この辺は流石としか言い様がないのですが深読みしすぎでしょうか。
さらに「汐の声」もそうですが、山岸さんの細い線で描かれる繊細な画風が怖さをより際立たせてます。
これは他の恐怖漫画と違って山岸さん独特ではないでしょうか。
要所要所に丁寧な書き込みのコマが挟まれるのがまた上手いですね。
そして何故かコミックの表紙は西洋人形。物語でさんざん読者に怖い思いをさせる日本人形は裏表紙に描かれてます。
装丁は別の方なので何とも言えませんが、これも意図しての事だと私は信じます。
私が初めてこの作品を読んでから30年以上経ちましたが、ずっと映像で見たいと熱望してます。
横溝作品が好きなのを先述しましたが、「悪魔の手毬唄」という映画。岸恵子さんの演技が素晴らしすぎる、悲しい結末の物語。
途中で3人の子供が手毬唄とともに毬をつく幻想的な場面があります。
この作品のタイトルもわらべ歌からとってあり、作中にもこの歌詞が何度か登場します。
私は読むたびに「悪魔の手毬唄」の子供が毬をつく映像と流れる無垢な子供の歌声を思い出し、この漫画が映像化されたらと妄想します。
オープニングは子どもが歌う「わたしの人形は良い人形」が流れながらの昭和21年の横溝的映像。
その後の時代も全体に暗い印象で進み、派手な音響効果は使わず映像のカットで怖さを演出。
脳内では映像作品として完成してますが、元々怖いのは得意ではないので実際にガチで作られても最後まで見る自信はないのが本心です。
原作に忠実に作ったとしてどれくらいの時間になるのかわかりませんが、今も特番で放送されるオムニバス形式のあの番組でメインを飾って欲しいですね。
でもしっかり作れば作るほど日本人形に携わる方々からクレームが入りそうです。
叶わぬ願いでしょうか。
「わたしの人形は良い人形」、「汐の声」、「ゆうれい談」。
「ゆうれい談」は作者の実体験に基づいたエッセイ漫画ですが、山岸凉子三大恐怖作品と私の中で位置付けてます。
怖いのが苦手な方に無理にはお勧めしませんが、面白いですよ。