サンドイッチマン/映画の二番館・三番館 永島慎二『漫画家残酷物語』全3巻

 いつの間にか姿を消していた「昭和のアレ」をマンガの中に探すシリーズ。今回は、街角のサンドイッチマンと映画の二番館・三番館の2題。マンガは、永島慎二漫画家残酷物語』だ。

『漫画家残酷物語』

 永島の代表作である『漫画家残酷物語』は東京トップ社の貸本短編集『刑事(でか)』で1961年の13号から64年の42号まで全28話が発表された連作短編作品だ。それぞれの短編は独立しており、共通するのはマンガを描くことに人生をかける若いマンガ家たちのドラマだということ。ある者は成功を掴み、ある者は名作を遺して死に、ある者は挫折を味わうが描くことだけはあきらめない。モデルになっているのは永島の周囲の若きマンガ家たちで、永島自身も登場する。
 1967年に朝日ソノラマから出た新書判単行本第1巻の巻末で、評論家の峠あかね(マンガ家としては真崎守の名を持つ)は「これは初めて生まれた本格的な私小説の装いを持ったまんがであるといえる」(中略)「血の通った生臭い人間そのものが、姿を見せるのである」と評価している。

 さて、サンドイッチマンと言ってもお笑いコンビのことではない。お笑いコンビは「サンドウィッチマン」だ。サンドイッチマンはサンドイッチボードと呼ばれる宣伝看板を体の前後ろに吊るしたり、宣伝プラカードを持って繁華街を歩く人間広告塔のこと。
 発祥は19世紀のヨーロッパとされ、日本では明治末から大正期に都市部で見られるようになった。最盛期を迎えたのは太平洋戦争後の昭和20年代で、失業者が生活費を稼ぐためにサンドイッチマンになるケースが多かったという。53年には鶴田浩二がその悲哀を歌った「街のサンドイッチマン」(作詞/宮川哲夫・作曲/吉田正)が大ヒットした。
 夜の繁華街では、今でもサンドイッチボードをつけたサンドイッチマンを時折見かけるが、ほとんどは酒場の店員。90年代までは主要な駅前には、サラリーマン・ローンの「即貸します」「審査ナシ」などのプラカードを持ったサンドイッチマンがいたが、いつの間にか見かけなくなった。専業のサンドイッチマンは絶滅危惧種なのである。
漫画家残酷物語』で、サンドイッチマンが登場するのは、第7話「雪」だ。
 売れっ子マンガ家の永島は、かつてのマンガ仲間だった坂本と偶然再会する。坂本は売れることよりも作品の質を重んじるマンガ家で、売れて描き飛ばしはじめた永島とは疎遠になっていたのだ。マンガだけでは食べられず、生活のために橋の上でプラカードを持ちサンドイッチマンのアルバイトをする坂本に、永島は「おまえほどのうでを持ちながらサンドイッチマンをしているこたあねえぜ そうやって立っているのも楽じゃねェだろ!」と言うが、坂本は平然と「好きなマンガを描く三時間のための九時間の労働がおしいとは思わない………子供に愛される 子供の本当の友達になれる そんなやつをものにしたいだけだ」と言い切る。締切に追われている永島は「ついていけねえな」と去っていく。
 やがて、雪が降り始めた。プラカードを持つ坂本の横を彼が描いたマンガの本を大切そうに抱えた少女が父親とともに通り過ぎていく。坂本は「あんなにボロボロになるまで見てくれる子がいるんだ………がんばらなきゃ……」とつぶやくのだった。

第1巻76〜77ページ

 

 2つめの二番館・三番館だが、昭和の映画館には封切館、二番館、三番館といった区別があった。封切館は、作品をはじめて公開する映画館のことで、洋画の場合はロードショー館とも呼んだ。
 かつては東宝、松竹、東映などの邦画は2本立てで封切られた。封切館で公開されたのち、1週間程度の間合いを開けて二番館で公開され、二番館で上映された作品はさらに三番館、四番館へ移った。三番館からは3本立て以上になり「名画座」とも呼んだ。
 同じフィルムを使い回すので、後の方になると、フィルムに付いた傷で雨が降ったようになり、上映中にフィルムが切れることも珍しくなかった。だが、入場料が安かったから、映画好きは、封切館ではなく二番館、できれば三番館・四番館に作品が来るのを待ったものだ。レンタルビデオが普及した1980年代以降減少し、現在では一部の名画座が残るだけになった。
漫画家残酷物語』では13話『漫画家とその弟子』に登場する。主人公は25歳のマンガ家・山田野。モデルは永島慎二だ。ある日、彼のアパートに、はるばる高知県からきたという弟子入り志願の若者・友木昌治が現れる。この時代のマンガ雑誌や貸本は欄外に「はげましのお手紙を出そう」とマンガ家の住所を掲載していたから、ファンが押しかけることは珍しくなかったのだ。
 弟子入りした友木は何をやらしてもダメ。そのくせ「ボクはネエ 先生はもっとでかい家に住んでさ…ェヘ すこしがっかりしました」などと言い出すしまつ。山田野がこんこんと説教しても、馬耳東風だ。
 そんなある日、山田野は映画三本立てのポスターを見つける。
「オッ! 『キューポラのある街』! やっと二流館に来たゾ」
『キューポラのある街』は1962年の日活映画。監督は浦山桐郎。主人公の女子中学生・ジュンを吉永小百合が演じた。三本立てなので、山田野が「二流館」と呼んでいるのは三番館か四番館のはずだ。山田野は友木を連れて行くことにするのだが……。
 三本立になるのを待って映画を観るというあたりにマンガ家の質素な暮らし向きが伝わり、作者のマンガに対する姿勢と、安易にマンガ家を目指そうとする若者たちへ強いメッセージが込められた異色作だ。
 こういう生き方も「昭和のアレ」になったのかもしれない。

第2巻90〜91ページ

 

 

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