私事ですが、当方このたび、ここ2年くらいメイン収入にしていた職を辞して概ね無職になりました(2年ぶり7回目。まあ書き物の連載が僅かにあるので厳密には無職じゃないですが)。理由は、たぶん対人関係のストレスが原因と思われるうつ病です(「森久保々々」とか「3P」とか文中に出てくる下劣なシンデレラガールズ二次創作を書いてるような人間でもうつ病になるときはなるんすよ、マジで)。いやー人間の3大欲求が完全にバカになってしまいまして、特に食欲がヤバいことに。腹がなんか全然減らないし、何か食べようと駅前に出ても何を食べるか決められなくてそのまま帰ってしまったりするし、何を食べても吐きそうになるので「食べろ! 死ぬんだぞ!(バンバン)」と無理やり飲み込んだりしなきゃいかんしという生活をしてたら、運動もろくにしてないのに半年で体重が10kg以上減って、誰かと闘ってるわけでもないのに入江文学と力石徹の気持ちを味わえてまあお得、いやこれ続くとマジで死ぬわと精神科に電話(うつ状態だと電話して予約するのがマジ大変なんですよねえ)して抗うつ剤を出してもらったところ、幸いにして相性もよく最悪の状況は脱しました。うつ病克服物語によく出てくるような「理解のあるパートナー」の居ない全裸独身中年男性でも、グレッグ・イーガン「しあわせの理由」(病気で脳内物質が正常に分泌されなくなり、「幸せを感じるべき時」「悲しみを感じるべき時」などを自分で判断し目盛りを回してTPOに合った脳内物質を分泌せにゃならん体になった主人公を描く超傑作SF小説)あたりでも読んで「人間はしょせん有機機械なんよなー」などと思いながら抗うつ剤をモリモリ飲んでいると概ね良くなります。ただ、睡眠だけがどうしても今ひとつ改善しきらず、昼間どうしても限界に達して寝てしまったりすることが続いたため、「こりゃ仕事辞めんと根本解決無理だわ」という判断に至り、就職氷河期の末期で大卒即無職となったあの日から数えて7度目のプー太郎となったわけですね。なお、これまでの退職理由は、職場に先行きがなさすぎたから→上司がムカついたから→メンタル病んだから→上司がムカついたから→上司がムカついたから→メンタル病んだから(Now!)なので、ほんと社会との折り合いが悪すぎますねコイツ。生きるんてつらいなあ。まあこのつらみ、就職氷河期も、新自由主義だのグローバリズムだのといった昨今の流行りも本質的には関係ないですし(バブル時代に生きてたとしても「世間は景気良さそうだが俺には縁がないなあ」と腕を組んでいる自分しか想像できない)、マルクスやカウツキーが生きていたら「社会のどん底に沈殿した相対的過剰人口の被救恤的窮乏の部分」(『資本論』)「生産関係から遊離し、正しい勤労によらず社会的に寄生し、反動的にして小心卑屈、何らの社会的連帯性を持たない無用物」(『エルフルト綱領』)とツバ吐かれて人間扱いされてなかったでしょうから資本主義の問題でさえない。「社会との折り合いが悪く、勤労意欲も薄い人間」が生きやすい場所なんて、「AIが超発達して、食べていくだけなら人は働かなくてもよくなった世界」でも到来しない限りどこにもないのでしょう。いやまあ、こうしてあらためて文字にすると、「そりゃそうだろ……」としか言えませんが。筋肉少女帯が30年前に『踊るダメ人間』で歌っていた「こ・の・世・を・燃やしたって、一番ダメな自分は残るぜ!」という感じですね。
そんなルンペンプロリタリアートの一人である当方、無職になるといつも全巻読み返す漫画というものが存在します。それが今回紹介する、松本零士『聖凡人伝』です。『漫画ゴラク』(参考:引っ越ししなきゃいけないので部屋の片付けしたら出てきた—『漫画ゴラク』創刊号を読む)に71〜73年にかけて連載されたもので、「俺にとってのゴラク作品ランキング」を作ったら、『男!日本海』や『バイオレンスジャック』『野望の王国』といった名作群を退けて1位にしてしまう、それだけの思い入れを持った漫画です。
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零士先生、「夢は時間を裏切らない」裁判騒動あたりからどうにも印象が良くない感じはありますが、70年代の作品は本当にキレッキレでして、本作と『ガンフロンティア』が双璧、それに『男おいどん』『元祖大四畳半大物語』『戦場まんがシリーズ(ザ・コクピット)』を加えた5指は読んで損なしと思うので特におすすめです(『ひるあんどん』『ワダチ』『ミライザーバン』あたりも好きですが。あとは本作の姉妹作である『出戻社員伝』とかも)。
内容の紹介に入りましょう。本作の主人公・出戻始は、うだつの上がらないサラリーマン。1話目冒頭で、東尋坊みたいな飛び降り自殺の名所に来て、自殺しようとします。
そこで、たまたま居合わせた見知らぬ若い男女3人に止められ、貸しバンガローの廃墟でセックスしながら一夜を明かすことに。翌朝、出戻が目を覚ますと、3人は遺書を残して飛び降りていました。
遺書を託されたので「これでは死ぬに死ねないなあ……」と街に戻ることになった出戻は、会社に顔を出すと、無断欠勤によるクビを宣告されながら上司と殴り合い、さらに屋台で自分の悪口を言っていた元同僚と殴り合って留置場に送られ二晩泊まることになります。
で、アパートの自分の部屋に戻ってみると、鍵かけずに出かけてたので見知らぬやつが上がりこんで首を吊っていたことが判明し、大家のバーサンから「こんな縁起でもない部屋、しばらく借りる人いないだろうから」と家賃値下げを提案された上に酒までもらったので、「こら新生活としてはさいさきいいぞ さてこの先俺はナニをするのか? なるようになるさ」と飲んで寝てしまい、松本零士モノローグが入って第1話終わりとなります。
この第1話に、本作のエッセンスは既に全部詰まっています。出戻は毎回無職か職を得てもすぐ失い、そんな中でもいろいろあってセックスは行われ、各話のストーリーに関係があったりなかったりする人がアパートに勝手に入ってきてはスナック感覚で首を吊っていき(大家のバーサン、途中で諦めてアパートの名前を「首つり荘」に改名します)、酒を飲みまくって零士モノローグで〆、このエロス・タナトス・アルコールのトライフォースが110話にわたってひたすら続きます。最高ですね。ちなみに数えてみたところ(多少数え間違いがあるかも知れませんが)、全110話中の4分の3にわたる83話で自殺者が出ており、トータルで175人が自殺しています(うち159人が首つり。残りは身投げ等)。1話あたり1.59人のペースです。その他に他殺・事故死などが20人、自殺未遂が29回(うち4人は同じ話の中で再度自殺を試み成功)出ています。「一度に数万人が自殺」みたいな描写のものを除くと、世界一自殺者が登場するフィクションではないでしょうか。零士先生の漫画のテンポがまたよくて、文庫版3巻収録のこの自殺のスピード感とか最高ですね。
回が進むごとに登場人物の首つりに対する感覚が麻痺していって、ときに扱いがめちゃくちゃ粗雑になるのも素晴らしいです。
また、作中で出戻の労働は、クビになったのが20回、会社が倒産したのが4回(ただ、「オレの勤める会社はみんな潰れるし」という台詞があることから、描かれてない倒産も多いと考えられます)、自主退職が9回、不採用が14回、スカウトされるも拒否が2回となっています。本作の連載時期は第一次オイルショック前、まさに高度経済成長期の真っ只中なわけで、つまりこれは不景気などではなく出戻個人の問題です。ついでに書くと、留置場送りになったのも15回あります。なので出戻はその辺の人からもさんざんなことを言われます。
あと、連載時期との話で言えば、当時は70年安保からの闘争華やかなりし頃ですが、出戻は以下のように明確にノンポリです。
まあこれも当然といいますか、連帯のできない人間というのは畢竟ノンポリ(もしくは、口ではポリティカルなことを言うが、そのために地道に汗かくようなことはしない人間)にしかなれないので、体制も反体制も助けになってはくれないわけですね。
とここまで、要素だけ書き連ねると良いことの全くない話みたいですが、本作は実に明るい。こんだけ首つりが出てるというのに、金持ちで美人の早名さんというガールフレンドがあることもあって出戻はセックスとアルコールだけには事欠かず、陰惨な空気は全然ありません(早名さんとの格差にちょっと悩んだりもしますが)。
いいこと言ってるようで特になにも言ってない気がする〆の零士モノローグもあわせて、読んでるとなんだか元気が出てきます。
特にいまの筆者のように職を失ってる時とかはよく効きます。薬膳で言う同物同治、ダメなときにはダメなものを摂取するのがいいこともあるんですよ。競輪漫画の金字塔『ギャンブルレーサー』の作者である田中誠氏だって、ブログ(選手引退後、いまは西武園競輪場施設に無許可で住み着くホームレスになってる関優勝の活躍が読めますよ!)にて、若い頃うつが最悪にひどかったときに京王閣行ったら、真っ昼間から地面に寝っ転がってるオッサンがたくさんいて、”そんな光景を目にした瞬間、オレの鬱々とした気持ちは一気に吹き飛んでっちまったんだから。「オレより下がいた!」ってね! いやも〜、喜びと感動で胸いっぱいになったかな。真っ暗だった日常が、いきなり薔薇色に輝いたように感じたもん。自分がこの世で一番ダメだと思ってたのに、いきなりもっと下と思える人間が目の前に現れてくれたんだぜ”と救われたという心温まるエピソードを書いています(http://www.gamble-racer.com/sr30-sideb/)(注:競輪は、公営ギャンブルの中でも一番治安の良い競馬と違い、選手に「死んでくれ!」などの野次が飛ぶのが珍しくないという、ウマ娘のライスシャワーちゃんとかならショック死しそうな人間性ゼロメートル地帯です。もっとも、オールド競輪ファンに言わせれば、「むかしの花月園とかに比べると今はすごく行儀良くなった」ということではあるらしいですが)。人間、下を見るのも大事なんですよ。ほんとほんと。
最後に、筆者が本作の中で一番好きなコマを紹介して本稿を終わりとさせていただきます。