マクラなしに始めますが、川崎ゆきおという漫画家がいます。知ってる人にとっては常識な名ですが、現代の多くの漫画読者にとってはそう有名な人とは言い難いでしょう(『巨人の星』の川崎のぼるとは違いますよ)。70年代から描いている人ではありますが、何しろ作品の主な発表場所はマイナー漫画の殿堂『ガロ』であり、メジャー出版社の雑誌ではほとんど描いていないのですから(『漫画アクション』などで少しだけ描いてるのが一番メジャー媒体での掲載になりましょうか)。そしてさらに、当時の『ガロ』の中でも人気作家だったというわけではありません。同時期に『ガロ』の誌面に新たに出てきた漫画家で「ガロ三羽烏」と呼ばれるほどに評価が高かったのは安部慎一・古川益三(後に『まんだらけ』社長)・鈴木翁二の3人で、川崎はそういう評価はされていませんでした。何しろ絵がヘタです。いや絵を描けない筆者がこう言うのも失礼な話ですが、実際「『ヘタウマ』ならぬ『ヘタヘタ』」が一般的な評ではありますし、川崎自身も「漫画界も下手な絵が増えると、僕の漫画もオーソドックスな漫画に見えてしまう」と書いているくらいなのですから。しかしそれでも、現代でも少なからぬ根強いファンが—もしかしたら先述の三羽烏よりも多く—いる、そういう不思議な魅力を持つ漫画家なのです。今回紹介するのは、そんな川崎の代表作でありライフワークとも言える『猟奇王』シリーズ。デビュー翌年の72年に発表された「猟奇夢は夜ひらく」を皮切りに、主に『ガロ』に掲載された連作で、単行本では『猟奇王』『悪いやつほどよく走る』など幾つかにまたがって収録(現在出ている電書版はこの辺が底本になっています)されていますが、一番まとめて読めるのは95〜96年にチャンネルゼロから出た文庫サイズの『猟奇王大全』全3巻です。
内容の紹介に入りましょう。本作の主人公・猟奇王は、常に黒い仮面と黒い背広の年令等不詳な男です。空きビルを勝手にアジトにしており、いつも部下の「忍者」を相手にボヤキつつ、うどんの自動販売機を盗んだりすることで飯を食べながら「猟奇」の計画を立てています。
ここで注意が必要なのは、彼の夢見る「猟奇」とは、かつて江戸川乱歩の描いた「怪人二十面相」のような劇場型犯罪(彼の黒マスクの出で立ちからして二十面相のオマージュでしょう)のことであり、「首なし殺人」のような本格的な猟奇事件ではないということです。さらに、「世界の宝石や美術品を集めて、自分だけの美術館を作る」という目的のための手段として犯罪を行っていた二十面相とは違い、猟奇王にはそういった大目的もありません。「猟奇」それ自体が手段ではなく目的となっているためビジョンがなく、そのため先の引用ページで「実は何も考えていないんじゃ 無計画は世の常よ」と言っているように計画も曖昧で、「夢」「ロマン」などのような曖昧な言葉を使ってはアドリブの行動ばかりを起こします。社会人生活を送れないので、とりあえず「猟奇」という看板だけ掲げてみたというような消極的な人間なんですね。したいことがないのなら余計なことはしなければいいのに、なんとなく何かをせずにはいられない。
そんななので、犯行予告をしても警察からは「存在しないもの」扱いをされ、ろくに相手もされません。それでも、他にやることもないので猟奇王は猟奇に走ります。
……とまあこのような具合で、本作は、作者の自作解説での言葉を借りれば「猟奇王の物語はすでに終わっている状態から始まっている」のであり、「失敗や行き詰まりを継続すれば、どうなるか」な作品です。しかしそこに、発表された時代を越えた普遍性があります。猟奇王、強引に現代的な例えをしてしまえば、「社会人としてうまくやってけないので『俺は同人でビッグになる』とサークルを立ち上げてはみたものの、作りたい何かがあるわけでもないので適当なペーパーくらいしか出せない」みたいなもんですからね。社会人をうまくやれなくてルンプロやってる当方も他人事じゃありません。
そして、本作がある種感動的なのは、こんな猟奇王の行動が続くうちに市民がなんとなく感化され、猟奇王が猟奇に走ると市民たちも文字通り走り出し、しまいに猟奇王追跡という当初の目的も忘れ大混乱が発生するところ。これは夢です。どうしようもなくしょうもないけど美しい夢の物語です。