今回から始まります、マンガの編集部に赴き編集者が今おすすめしたいマンガやマンガ制作・業界の裏側などを取材する連載企画「となりのマンガ編集部」。記念すべき第1回は、8月に8周年を迎えたトーチ編集部にお邪魔しました。
定期的にSNSでバズる話題作を輩出し、他のレーベルではなかなか読めないような怪作も多数存在する、独自のオーラを放つトーチweb。その作品群がどのような人々によってどのような想いで送られているのかなども含め、今回は編集長の中川敦さんにたっぷりとお話をうかがいました。
取材:マンガソムリエ・兎来栄寿
新人時代のこと
——まずは中川さんのこれまでの経歴、編集者になったきっかけなどをお願いします。
中川 2003年に新卒で立風書房という出版社に入社しました。寺山修司の詩集や池波正太郎の小説、『パパラギ』『海からの贈り物』などの文芸書、「レモンコミックス」などの怪奇漫画シリーズやみつはしちかこさんの『小さな恋のものがたり』などの漫画作品も出している会社でした。最初は僕もそっちの方を志望していましたが、当時の主力商品だった自動車雑誌の編集部に配属されました。入社2年足らずで同社が学研に吸収合併されてグラビア誌に異動になり、その後全社的に早期退職者の募集があって、普通に辞めるより退職金が沢山もらえるというので立風書房時代の同期と同じタイミングで辞めました。それから創出版で少し働きました。たしか在庫の片付けとかそういうすごく些細なことで編集長の篠田博之さんと喧嘩というか、今思えば僕が子どもじみた正義感で一方的に食ってかかる感じになり、半年くらいで辞めてしまいました。篠田さんご無沙汰しています。お元気でしょうか。それから3年くらい無職でフラフラしてまして、マンガ編集になったのは2011年の10月にリイド社に入ってからです。最初は『コミック乱』の編集でした。そこからはずっとマンガ編集で、トーチが2014年の8月に創刊しました。
——トーチweb8周年おめでとうございます。中川さんは最初から編集者を目指していたのですか?
中川 そうですね、なんとなく憧れはあったと思います。当時は確か就職氷河期の真っ只中だったんですが、僕はぼんやりしていて就職活動を始めたのが大学4年の夏とかでした。その頃には大手出版社の募集はとっくに締め切られていて中小出版社の募集を見つけしだい順番に履歴書を送る感じでした。学研は待遇も良かったですし、先輩方にも恵まれ今でも懐かしく思い出されるんですが、仕事以外の本を全く読まなくなっていて。このままだと変な大人になってしまうかもしれない……という奇妙な危機感がありました。そのときはマンガの編集になるとはまだ思っておらず、3年くらいは貯金を食い潰して細々と暮らしていました。
——その3年間では本はたくさん読めたのでしょうか?
中川 よく読んだと思います。毎日弁当を作って図書館に行き、食卓でも風呂場でも寝床でも読んでましたから、本当に一日中何か読んでいる3年間だったと思います。小説家になろうと小説も書いていたのですが、まったく何にもならなくて。今思うと、書いてたことより読んでいたことの方が良かったなと。
——中川さんの書く文章はいつも筆力がすごい※1と感じておりました。
※1 参考:トーチ編集部ブログ「『死都調布』、何が暴力か。」、追悼 みなもと太郎先生(担当編集者より)
中川 変な大人になりたくないと思って本を読みまくった結果、なんかこじれた大人になってしまったな、という一抹の恥ずかしさを自分の文章には感じます。が、そんなふうに言っていただけるのはとても嬉しいです。リイド社も最初はグラフ誌の面接だったんですが、最終面接に2人残って、当時の人事担当者から連絡がきて「中川さん採用です。会社に来てください」と言われてリイド社に向かっている途中、高円寺駅の改札のところでまた電話がかかってきて「ごめんなさい、さっきの間違いでした。採用はもうひとりの方でした」と。
——それは驚きますね。
中川 他のところにも既に断りの電話なども入れてしまっていたので、ちょっと待って下さいよ、と。そこで事情を知った先代の社長※2が「そういうことなら2人採るしかないやろ」と言って下さったらしく、「部署どうする?」となった時に「(リイド社の看板雑誌である)『コミック乱』に入れとく?」と。
※2 故・斉藤發司(さいとうはつじ)氏。さいとう・たかをの実兄。1974年にさいとう・プロダクションの出版部門から独立させリイド社を設立し没年の2016年まで代表取締役を務めた
——その時の担当作品は何でしたか?
中川 最初は土光てつみ先生の『二代目雲盗り暫平』でした。ほどなくさいとう・プロの担当になり、『鬼平犯科帳』を担当していました。リイド社は伝統的に新人編集者がさいとうプロの連載を担当し、漫画制作の現場がどういうものかを知り、原稿の受け取りなど編集者としての基礎的なことを学ぶという文化がありました。僕が世代的に最後でしたが、美しい伝統だったと思っています。毎月アナログの原稿を中野のさいとう・プロからちゃんと持って帰ってくるという、簡単なようで実は一番大事な仕事をしていました。その後、みなもと太郎先生の担当もするようになりました。
——新人でさいとう先生の生原稿を自分が責任を持って持ち運ぶというのはなかなか緊張しそうですね。
中川 当時の編集長に言われたのは「交通事故に気をつけろ」と。何を当たり前のことを……と最初は思っていたんですが、あ、なるほど、と。これは「君が心配だ」という意味ではなく「絶対に原稿を持って帰ってこい」という意味なんだなと。僕は原稿を運んで届けなきゃいけないから交通事故に遭ってはいけないんだ、そのために編集者がいるんだという一番基本的なところを学ばせてもらいました。つまり、とにかく「原稿を受け取る」というところが編集者の大前提で、それはトーチのマンガでもまったく同じだと考えています。2~3年引き継ぎでの担当をして、自分で初めて立ち上げた連載が高浜寛さんの『蝶のみちゆき』でした。そして、山田参助さんの『ニッポン夜枕ばなし』。この2作品が一緒のタイミングで始まりました。
今はリイド社にいないんですが、トーチは元々関谷と中村という2人が社内の企画コンペで「webで無料で読める現代ものの漫画サイト」を提案して、入賞はしなかったものの「ええやないか、投資や」という先代社長の声もあってスタートしました。既存の編集部から1人ずつその企画に参加するようにというお達しがあったんですが、誰もやらなくて(笑)。僕はwebで色んなマンガを出すということに魅力を感じて、やりますと。当初は何の保証もない取り組みだったので、社内の風当たりも強く、順風満帆な感じで始まったわけでは決してなかったです。でも、それは企業として当然のことですし、それがあったから頑張れたなということもあって。
——最近は『自転車屋さんの高橋くん』などヒット作もどんどん出てきていますよね。
中川 ありがたいことで、創刊以来本当に沢山のヒット作・話題作に恵まれてきました。トーチは「原稿料は絶対に出すぞ」ということで始めました。当時、他社の無料漫画サイトは、作家に対し単行本印税は払うが連載の原稿料は出さないというケースが多かったんですが、トーチの場合はそれはやっぱり作家の負担が大きすぎるし出版社としてそれでいいのかという思いがありました。とはいえ、大手メジャー誌と同等の支払いができるわけもなく、原稿料を出しはするが「これだけ出しますのでうちで描いてください」と胸を張れる金額では到底ありませんでした。そういうところから始まって段々と原稿料や印税率のベースを上げてきて今の水準があります。それでもまだ充分とは言えません。最初期の方々にかけた苦労のことはやっぱり忘れないですね。
——何か立ち上げ当初と大きく変わったことはありますか?
中川 劇的に何かが変わったというよりは、本当に少しずつ積み重ねてきたという感じですが、1つ、単行本を書籍コードで出す、というのがあります。トーチコミックスが刊行され始める前、リイド社の刊行物の大半は雑誌コードで刊行されていたのですが、創刊してほどなく合流してくれた編集者が書籍コードのノウハウを持ちこんでくれました。「この作品を売りたい」と注文してくれた書店さんに販促物をお渡しして、書店と編集部が協力して作品を売るやり方です。これは大きなことでした。
——この8年でトーチさんのカラーも大分確立されてきたなと感じます。
中川 中にいるとどういう風に見えているのか掴みきれてないのですが、「トーチは辺境の観光地です」というステートメントになぞらえれば、今のトーチの姿というのは誰か一人の建築家のアイディアなりイメージが反映された立派な建築物ではなく、様々な立場の様々な人たちが住み着き、それぞれが好きなものや必要なものを寄せ集めて積み重なっていった九龍城に近いのではないかと思います。トーチの雑誌としての最大の強みはここにあるのではないかと僕は考えています。
今トーチ編集部が推すマンガ3作品
——新作でも旧作でもこれから発売予定のものでも大丈夫なのですが、今トーチ編集部として推したいマンガ3作品を教えてください。
中川 『生活保護特区を出よ。』、『2年1組うちのクラスの女子がヤバい』、『ゲモノが通す』の3作品ですね。
——それぞれの作品について順番にお話をうかがっていきたいと思います。まず『生活保護特区を出よ。』について、面白さやお薦めのポイントなどを教えてください。
中川 『生活保護特区を出よ。』は、生活能力に乏しい人が強制的に隔離・移住させられる特区がトーキョーにあるという架空の日本を描いた作品です。廃墟探訪や樹海探索の先駆者であるハリジャンぴらのさんが解説※3を書いてくださっているんですが、社会福祉士と精神保健福祉士の資格をお持ちなこともあって、その解説が的確です。
——「肥溜めは意外と暖かい」という印象的なフレーズから始まるあの文章ですね。
中川 そうです。生活保護を題材に扱う漫画として「生活保護受給者本人」が主人公のものと「公的機関のケースワーカー」の目線で語られるものがあるかと思いますが、この作品の面白いところは、それらのちょうど間にあること。主人公のフーカは生活保護特区に送られるんですが、生活保護受給者、いわゆる弱者と言われる人たちに対して寄り添いたい、ただ自分も完全に当事者にはなり切れないアンビバレントな立場がまず面白いところです。連載を始めるときにタイトルをどうするかという話があり、最初は『生活保護区へようこそ。』でした。いわゆるスラムのようなところにも人間の営みがあって、豊かさがあるということを知っていく話ではあるんですが、ハリジャンぴらのさんの解説にもある通り生活保護特区というのはそこを出て自立するというのが前提にあります。なので、特区で暮らす辛い境遇の人たちに寄り添いつつも、いずれ自分は特区を出ていくことになるんだというフーカの迷い、ゆらぎのあり方が非常にリアルです。
——読んでいて「今」だな、と強く感じました。
中川 すごくアクチュアルな題材ですよね。たくさんの人に読んでいただいて、フーカと一緒に迷って欲しいですね。
——装丁も独特ですごいですよね。
中川 最高ですよね。これは確定申告の申請用紙の裏になっているんですよ。『死都調布』なども手掛けた鈴木哲生さんの仕事です。
——『死都調布』と同じ方だったんですね! 納得です。
中川 意志強ナツ子さんの『魔術師A』で初めて鈴木さんにお願いしたんですけど、今回も素晴らしい仕事をしてくださいました。鈴木さんはTwitterで『生活保護特区を出よ』の装丁について語っていらして、それもとても興味深いのでぜひお読みいただきたいです。
——1,2巻同時発売でしたが、こちらも何か意図はあったんでしょうか?
中川 1巻だけを読むと「ディストピアSFが始まったな」というところまでで、それはそれでとても面白い内容ではあるのですが、2巻で特区の共同生活の中での仲間たちのディティールが描かれるので、ぜひ、そこまで読んで欲しいという。
——(2巻収録の)6話や9,10話あたりは個人的に特にグッときました。
中川 9,10話すごいですよね。サイブクという人物がいまして。おそらくインセル的な面を持っている人物と言って差し支えないと思うのですが、まどめさんは「彼は〜だからこうなんだ」というわかりやすい語法を強い意志を持って拒否しているように見えます。その上で彼の苦しみだったり悩みだったり良いところだったり、その複雑さを丸ごと描き留められる手腕はすごいです。大学のときは文化人類学を専攻していて中央アジアのスラムなどを研究していたそうで、貧困・差別・格差の問題について「素早く結論を出す」のではなく「留まり、考え続ける」姿勢は本当に勉強になります。
——続いては衿沢世衣子さんの『2年1組うちのクラスの女子がヤバい』についてお聞かせください。
中川 『うちクラ』、これも「多様性」などの非常に現代的なテーマが息衝いていて良いですよね。「無用力」※4って本当に大発明だなと思って。私たちは機械だけでなく人間に対してすら「役に立つか役に立たないか」という視点を持ち込んでしまいがちですが、役に立たない中に豊かさだったり面白さだったり人間的な魅力があったりもするぞ、ということをこんなにチャーミングに、ストレートに伝える作品はちょっと他にないですね。できないとか、役に立たないとか、意味がないみたいなところに可愛らしさというか、良さが満ちている。最高に幸せな作品だと思います。
※4 『うちのクラスの女子がヤバい』シリーズに登場する、思春期にのみ発現するあまり役に立たない超能力
——『うちのクラスの女子がヤバい』は元々『月刊少年マガジンエッジ』で連載されていた作品ですが、トーチで掲載するようになった経緯はどういったものだったのでしょうか?
中川 『コミック乱』の編集者が衿沢さんの大ファンで、「トーチでやりたい」という話を持ってきて、熱い気持ちが原動力になって連載が始まりました。
——中川さんの推しのエピソードやキャラクターはいますか?
中川 うーん、全部良いんですよね。どれが・誰がというより全部良くて、集まることによってそれぞれが輝くみたいな。それが素晴らしいですよね。ハコ推しです。
——非常によく解ります。個性豊かなキャラクターが集まることによって、総体として「クラス」感が発揮されて学生時代のことを思い出します。
中川 座席表なんかも面白いですよね。
——では、3作品目『ゲモノが通す』についてもお願いします。
中川 8月26日(金)に1,2巻が発売です。
まず作者の掘北カモメさんのプロフィールが面白くて。堀北さんは元・補修職人なんです。三重から東京に出てきて補修の仕事をしながら描いた「シシファック」※5という作品をトーチ漫画賞に投稿してくれました。編集部の下読みの段階で賛否が非常に分かれたんですが、これは面白いし作画や作法もテクニカルなので最終選考に残して選考委員の先生方に読んでもらおうとなって、めでたく「山田参助賞」受賞となりました。
※5 「シシファック」-トーチweb 熊をも喰らう殺人メスイノシシ”アバズレ”と、強い女とファックすることにすべてを賭す男の熱き物語。凄まじい迫力と抜群のセンスが光る必見の読切です
——あの「シシファック」の堀北カモメさんの連載が始まるということで、絶対にすごいものがくるだろうと期待しておりました。中川さんとしては、「シシファック」をお読みになった時はどう思われたのでしょうか?
中川 僕は激推しでした。これはちょっと普通じゃないぞ、と。面白くて面白くて。堀北さんはアニメやマンガの引き出しもすごいんですよ。『ゲモノが通す』は作者が持つ異常な熱量に賭けてみたくなる作品です。滅茶苦茶面白くて熱いマンガです。堀北さんにしか描けないんですよ。「超絶職人バトルエンターテインメント」。
——熱量も、補修の部分のディティールも凄まじいですよね。
中川 堀北さんによる企画書というか宣言みたいなものもすごくて。連載が始まる前に書かれたんですけどこれも本当に素晴らしい。「エンターテインメントは地域や職業や年齢や性別や宗教や、そういったものを問わず万人に開かれたものだ」という想いが強いんですね。さいとう先生の作品が定食屋さん・床屋さんやパーキングエリアなどに置かれて油だらけで読まれるというのは、劇画が大衆娯楽の王様になったということでもあり、そういうところを堀北さんも目指している。でも、それを商売として狙ってやれるかとうと話は別で。トーチは『ゲモノが通す』のようなエンタメド直球の作品は今までやっていなくて。同作は我々のチャレンジでもある。……売りたい、売れて欲しい、売れてくれなければ!(笑) バクチ感があって面白い、編集者としても熱くなれる作品です。
——私自身も非常に面白く読んでおり、ぜひとも売れて欲しいです。
中川 作中の時間の進み方自体は遅いんですけど、感情の怒涛の動きが凄まじくて、セリフが素晴らしいんですよね。「人の現場で何勝手なことしてんだてめぇ――っ!!!」みたいなパンチラインがドカドカ出てきて。
——「施主の家に土足で上がってんじゃね――!!!」からの「てめーも土足じゃね―か!!」の流れなども最高ですね。
中川 「宗教ナメんなコラ!」とか(笑)何か本当に単純に熱く面白く読めるマンガです。堀北さんは今の時代にSNSもやっていないんですが※6、ファンレターは結構いただいて、メールできたものにメールで返してくれれば僕はそのまま送れるんですけど、堀北さんはメールのファンレターに手書きで手紙を書いてそれをスキャンしてメールで送るという面白いことが起きています(笑)。原稿も全部アナログ作画で、作画のカロリーが凄まじいので手を抜けるところは上手に抜きましょうというようなことを言うんですけど、本人は「やれるだけやってみます!!」という感じで。
※6 8月5日に告知用の公式アカウントが開設されました
——作品通りの熱い方なんですね。
中川 まさに職人です。熱い思いと繊細な技術を持っている。堀北さんは「工事現場の人たちが休憩中に楽しんでくれるマンガが描きたい」と仰っていて、それは娯楽としての王道を行くということでもあるので、一にも二にもなく大応援していきたいです。
誰も傷つけない「ヤサラン」
——続きまして、トーチ編集部についてお尋ねしていきます。トーチ編集部は現在何人くらいでやられているのでしょうか?
中川 ちょっと説明が必要なんですが、去年の秋口くらいから今年の春に
——2人だけで!?
中川 ただ、部員が減る前にデザイナーの岡野さんが来てくれて、元々学生インターンとして編集部に出入りしていた加藤さんがトーチ専属アルバイトとして力を貸してくれることになり、制作進行、販促、ツイッター、インスタ、8周年の企画と、こちらの想像を遥かに超えて活躍してくれています。6月にエ☆ミリー吉元さんが入社し、8月から板谷さんが新しく入社したので、これからは実質6人で運営していくことになります。僕は42歳なんですが、僕以外は皆20代とか30代前半?とかで若く、その分トーチの立ち上げから知っているのは僕だけになって。トーチがこの8年間で何を積み上げてきたのか、ちゃんと伝えていかねば、と思うと背筋が伸びますし楽しみでもあります。
——そんな編集部内で現在流行っていることはありますか?
中川 皆忙しいのでなかなかこれが流行ったと言い切れるものはないんですが……副編集長の中山くんがずいぶん前から「ヤサラン」というものに取り組んでいまして。
——ヤサラン?
中川 「好きな野菜ランキング」なんですけど、初対面の人と何か話すときに便利で、誰も傷つけずかつ楽しくその人の人柄を知ることができるゲームです。好きな野菜のベスト3を挙げてもらうという。
——中川さんのヤサランベスト3は何ですか?
中川 それが、その都度忘れるんですよ。どうでもいいことなので(笑)。やる度に変わって、それも含めて楽しい。「にんにくは野菜に入れても良いのか?」とかそういうのにもその人の価値観が反映されて。でも、ラジオか何かで芸人さんが同じような企画をやっていて、中山くんは「企画を盗られた!」と憤っていました(笑)。
——トーチ編集部で自慢できることは何ですか?
中川 これも今まで何を積み重ねてきたかということと直結してるんですけど。今、紙の値上がりをはじめ、本の製作・流通コストがかなり高騰してまして。会社で使える紙が指定の1種類しか使えない、インクや色数はこれとこれしか使えないという制約の下で本作りをしなければいけないという他社の編集者の嘆きを本当によく耳にします。ものづくりを志すにはハードな状況です。
中川 そんな中でもトーチは作家やデザイナーのクリエイティビティを形にしやすい編集部であると思います。印刷所や用紙メーカーとの折衝を担う制作部が、編集部の「こういう本にしたい」という意図を受け止め、外部と辛抱強く交渉し、現実的かつ最適な代替案を提示してくれるからです。彼らのおかげでトーチ作品の多様性やそれぞれの作品の強度が保たれています。制作部に限らず、リイド社に入って10年になりますが、制作・営業・電子出版・海外版権・経理・法務など、編集部以外の部署の人たちがこんなに「聞く耳を持ってくれる」会社は本当に珍しいと思います。もちろん衝突することもありますが、他部署の人たちが頼もしい味方だと感じることができる。これも私たち編集部の自慢の一つと言えるかもしれません。
編集部は若いですが、作品や作家に対する目利き・センスがそれぞれにあることも生命線になっています。トーチ編集部では、編集者の人数分の色が出ます。「トーチは多様な作品が揃っている」と言って下さる方も多いですが、作品の多様性はそのまま編集者の多様性だったりします。それぞれの編集者が自分の頭で考えて作品にとって一番良いと思うやり方ができる環境があります。人数は少ないけれどそれぞれの美意識があって、それぞれに目指すところがある編集者が集まっているというのはトーチの強みです。編集部員が6人いるなら、僕だけだと思い浮かばなかった企画・見落としている作家も6倍出てくるということで楽しみですね。
——ウォーズマン理論を体現する編集部ですね。
中川 しかし、それ以上に私たちの仕事の成果は何を差し置いてもまず作家に還元していきたいというのがあります。何だか細かい話で恐縮ですが、単行本の表紙や特典は販促の一貫で無償で描いてもらうというのが割とスタンダードな中、トーチでは些少ではありますがそういうところにも配慮しています。これも初めからそうだったわけではなく、本当に少しずつ積み重ねてきたものです。
——販促の直筆カラーイラスト色紙を1600枚無料で描いた話や、そこまで酷くなくとも単行本の描き下ろしなどは基本無償で描いてるということが度々話題に上がりますね。
中川 そういった話に胸を痛めつつ、しかし決して他人事ではないと自戒しながら少しずつ改善を重ねて今があります。作家が健全な創作活動を維持できる環境づくりは、私たちの商売の根幹に関わることです。インボイスなども始まってしまいますが、何とか少しでもサポートできるようにやっていければと。
「長崎三部作」と共に学び、ここまでやってきました
——最後に、中川さんの人生における思い出の1作を教えていただけますでしょうか。
中川 『蝶のみちゆき』、『ニュクスの角灯』、『扇島歳時記』ですね。高浜寛さんの短編集を読んで初めて自分で「この人に描いてもらいたい」と思い、初めて企画を通して連載になって、単行本になりました。一緒に歩んできたという感慨があるのかな。ここからマンガ編集者になったんだ、始まったんだなあと。
——今、改めて帯を見ると谷口ジローさんにも絶賛されていたというのが感慨深いですね。
中川 そう、高浜さんはフランスの方で評価が高い作家で、谷口先生もそうですよね。日本では決してメジャーとは言えなかった『歩くひと』がフランスでは日本で考えられないような売れ方をして。谷口先生にも何度かお会いしたことがありますが「『歩くひと』みたいな、何も起きないような作品の方が腕力が要る」と仰っていたのが強く印象に残っています。初刷の部数は多くはないですけど、日本のマンガのメジャーなところに高浜さんの作品を出せる喜びはあって。この作品も2年くらいかかって重版したのかな。
——『死都調布』や『電話・睡眠・音楽』などもそういった形での重版でしたね。
中川 はい。その2冊の重版も特別な喜びがありました。初速でバーンと跳ねて即重版!という興奮とは別に、長く愛されてコツコツ売れて静かに重版がかかる喜びを僕は『蝶のみちゆき』で知りました。そういう作品をやってもいいんだ、と高浜さんの作品と共に学んできたと思います。高浜さんは『ガロ』の出身で、アルコール依存症に苦しんだ時期を経て、熊本地震で大きな被害を受けながらも、筆を折らずに描き続けた先に『ニュクスの角灯』の手塚治虫文化賞があった。このプロセスは今の若い作家さんにもぜひ知って欲しいなと。描き続けたからといって必ず良いことがあるわけではない、でも描き続けたら何か良いことがあるかもしれない、だから描き続けましょう、ということは伝えたいです。
——今は大自然の中で暮らされているとか。
中川 そうですね、山羊が何頭かと犬が沢山と、猫たちと、あと何だったかな……とにかく沢山の動物たちと山奥で生活されています。僕はムツゴロウ王国と呼んでいます。
——『コミック乱』での『扇島歳時記』の連載が終わりましたが、今後もトーチなどで新連載をされるんでしょうか?
中川 はい、現在連載準備中です※7、次はトーチでやろうかという話をしております。山田参助さんと高浜寛さんは同じ時期に『コミック乱』で連載を始めて、ずっとお力添えをいただいています。以前に「POPEYE」でコラムを書いた※8のでそちらもよろしければ。
※7 高浜寛さんのInstagramによると、新連載のために「資料50冊以上、古文書200冊以上」を読まれるそうで次回作も楽しみです
※8 [#3] 漫画編集者の仕事の中でいちばん言語化しづらいところ。(担当・中川編) – POPEYE
——『ニュクスの角灯』の方は何か語っておきたい魅力やポイントなどありますでしょうか。
中川 高浜さんは『蝶のみちゆき』で写実的な陰影表現を極めたように思うのですが、次作の『ニュクスの角灯』では一気にマンガっぽいポップな絵・マンガっぽい演出にためらいなくシフトしていて、すごいなと。山田参助さんも「あの高浜寛がアホ毛を描いた!」と驚いていました。『蝶のみちゆき』は鉛筆で主線を描いてるんですが、『ニュクスの角灯』ではつけペンを使っています。後半では鉛筆に戻るんですけど。高浜さんの作家としての引き出しの多さと地力の強さを感じます。ただポップなのをやると言って始めた作品なのに、最終巻のラストシーンは作家としての業が出ていてすごいぞ、と。
——作家性が出ていましたね。そういう意味では『蝶のみちゆき』と『ニュクスの角灯』は単体でも楽しめますが、ぜひ併せて読んで欲しいですね。
中川 そうですね。そして、8月26日に最終巻が出る『扇島歳時記』も併せて「長崎三部作」となっています。長崎丸山遊郭に生まれた「たまを」の思春期とその終焉が、美しい季節の移ろいとともに丁寧に描かれています。まさに歳時記ですね。この3作品で「長崎三部作」が完結しました。トーチ創刊前から担当してきたことを思うと「長崎三部作」と共に学び、やってこれたなと思っております。
——ある種、中川さんの編集者人生におけるライフワークのようでもありますね。
中川 長い時間を感じます。
終わりに
——なお、こちらバトン企画となっておりまして、次の編集者の方に何か一言いただけますでしょうか。
中川 いろいろ大変なご時世ですが、お互い頑張りましょう。次の方がどなたかは存じませんが、あなたが世に出す作品を楽しみにしております。勉強させていただきます。
——最後に、トーチweb読者・マンバのユーザの皆様に何か一言お願いいたします。
中川 お陰様でトーチは8周年を迎えることができました。創刊当時から今まで使っていた弱々サーバーが、嬉しいことに皆様にたくさん読んでいただいて限界を迎えましたので、つい先日新サーバーへの移行が終わりました。10周年、15周年…と、どうぞ末長くよろしくお願いいたします。
——本日はたくさんの貴重なお話を、どうもありがとうございました。
個人的にも現在のトーチwebで最も推したいマンガトップ3が『ゲモノが通す』、『生活保護特区を出よ。』、『宙に参る』だったので、魂が合っているのを感じながら楽しくエネルギーを貰えるさまざまなお話を聞かせていただきました。優しく落ち着いた語り口ながら、マンガ編集者としてひとつひとつの仕事と作家を始めとする仕事相手に極めて誠実に、真摯に向き合いながら日々小さなものを積み重ねて輝かしい偉大な作品を送り出す中川さんがとても眩しく見えました。8周年を迎えたトーチwebですが、今後10年20年と続いてますます面白い作品を発信していってくださることを楽しみにしたいです。
以下は、取材時の写真です。
「となりのマンガ編集部」第2回もお楽しみに!
▼第2回「webアクション編集部」の回が公開されました!合わせてご覧ください(2022/9/15公開)