先日、上方落語の桂米團治を聴くため東京・銀座まで足を運んだ。人間国宝だった桂米朝の長男で、上方落語界を牽引する中堅の一人。今回は独演会で、人情噺の「たちぎれ線香」など3題の熱演だった。
江戸落語と比較すると上方落語には人情噺が少ない。「たちぎれ線香」はその少ない中で秀逸の作だ。「たちぎれ」の題で江戸落語にも移されている。しかし、若旦那と初心な芸子の悲恋物語は、はんなりとした上方言葉で演じられたほうが味わいがある。
そんなこんなで、人情マンガも上方落語を舞台にした作を紹介する。月刊女性コミック誌『コーラス』で2006年1月号から2009年9月号まで連載された逢坂みえこの『たまちゃんハウス』である。
たまちゃんこと丸山珠子は女子大生。父は上方落語の重鎮・桜花亭春福。子どもができないまま最初の妻のアーちゃんは病死。当時、春福と付き合っていた芸者の菊奴が、病床のアーちゃんに請われる形で後妻になり、たまちゃんが生まれた。
現在、春福一門には3人の弟子がいる。
入門5年の一番弟子で出世頭の早春は小学校の時からの春福ファン。某国立大学の落語研究会でも活躍した自信家。誰もが認めるうまい噺家だが、師匠にはそこが気に入らない。「欠点がない それが欠点や 味がない」と嘆くが、それを聞いた早春は、きっちりかっちりを自分の味にしようと芸を磨きはじめる。
二番弟子は春々。早春と同じ日、同じ時間に入門したのに、早春が一歩先に師匠宅の敷居をまたいだため二番弟子になった。気弱であがり症。早春は独立したのに未だに内弟子状態。人気では弟弟子にも追い抜かれている。しかし、落語にかける思いは人一倍強い。あがり症を治すために路上落語にもチャレンジ。師匠も春々には目をかけ、いずれ化けることに期待している。
入門3年目で三番弟子の白春はまだ19歳だが、持ち前の愛嬌が受けてラジオやテレビで目下売り出し中だ。学生時代はヤンキー。両親はパチンコ・マニアで、一人っ子の白春のことはほったらかしだった。家庭の愛情に飢えたまま育った白春にとって師匠は親代わり。兄弟子は頼りになる兄貴なのである。
さて、主人公のたまちゃんはと言えば、家業を継ぐつもりははなからなく、マンガ家、ミュージシャン、バレリーナ、俳優などに、一通り憧れては1年も続かないで諦めていた。練習を始めてしばらくすると、自分の才能の限界に気づいてしまうのだ。落語に人生を捧げている父や弟子たちの姿が、うらやましいように思えているのだが……。
1話完結式の連作で、作品を貫くのは、日本人の中に脈々と受け継がれてきた古典芸能・落語を愛する人々の業が現代にどういう形で生きているのか、ということ。
舞台が上方落語の世界なので、東京の落語しか知らない人や、落語はテレビの『笑点』で見ただけ、という人には馴染めない部分があるかもしれない。ただ、読み進むうちに自然に作品の世界に入り込めるはずだ。落語の内容もうまくマンガの中で紹介されている。
さて、人情マンガとして、どの場面をおすすめしたらいいのだろうか。
死を前にしたアーちゃんとお茶屋の芸者だったたまちゃんの母親・菊奴の昔話を、招霊の秘薬が出てくる上方落語「高尾」にひっかけたエピソードも好きだが、お酒の飲みすぎによる心臓発作で緊急入院した春福を、ライバルであり親友でもある名人・松之家吉兆が見舞う場面がいい。
春福が倒れる直前、吉兆は春福の十八番「らくだ」を高座にかけていたのだ。それは、先代・春福直伝の春福の「らくだ」とは全く違うものだった。目の当たりにした春福は圧倒されて、退院後に予定されている一門会にかけるのは、これまでの「らくだ」のままでいいのか、変えるべきか——そもそも演題を変えたほうがいいのか、と病院のベッドで悩んでいた。
見舞いに訪れた吉兆に春福が正直な思いを告げると、吉兆は安堵の息を継ぎ、しみじみ言う。「20年前にコケましてな 怖ぁて 怖ぁて …これで春福さんにダメ出されたらもう永遠にしもとこと」(第1巻56ページ)名人同士の会話には重みがある。
これをきっかけに春福は一門会の「らくだ」の稽古を再開し、日に日に元気になっていく。たまちゃんは「お父ちゃんには 仕事がなによりの薬やねんねえ」(第1巻105ページ)と呟く。そして、春春や白春たちも一門会に向けた出し物の稽古に熱中し……。
春福のモデルは六代目笑福亭松鶴か。吉兆は三代目桂米朝か。そういう詮索は抜きにして、上方落語の世界を楽しんでもらえたら、それで重畳というもの。
【アイキャッチ画像出典】
『たまちゃんハウス』第1巻