『フランケンシュタインの男』および日野日出志作品の記事で、ひばり書房という会社は「同じ本を表紙とタイトル変えて別の本に見せかけて販売をしたりしていた」「奥付の日付が適当で初版がいつかよく分からない」という旨を書きました。ただこれ、80年代以前の漫画出版界、中でもメジャーじゃない所ではそこまで珍しいものではなく、例えば80年代竹書房の近代麻雀コミックスなんかはこうです。
初版の日付も書けや!(「Printed in Japan 1986」とあるのと連載開始時期を考えると1986年の前半だと思うんですけど) 初版本ならこれでもいいんですけど、ヘタにヒットした作品、例えば『フリテンくん』の1巻とかは初版の発行日が分からなくて困るんすよ……(どなたか「1巻初版本持ってるぜ」という方がいたら教えて下さい)。
まあ竹書房はんはなんか……意図的ではなく単に本の作り方をよく分かってなかったという気がしますが(それはそれでどうなんだ)、こりゃ意図的にやってるなという会社というのもあります。例として、80年代に「麻雀対決が最終的に宇宙規模のハルマゲドンに発展する」というSF麻雀漫画の傑作『風の雀吾』など、徳間書店の『漫画タウン(ガッツ麻雀)』に掲載された麻雀漫画の単行本を出しまくっていたグリーンアロー出版(現・青泉社。なんで徳間雑誌作品の単行本出してたのかと言うと、単に『漫画タウン』の編集を行っていた徳間オリオン(当時存在した徳間の子会社)の社長とグリーンアローの社長が知り合いだっただけだそうです)のコミックスを挙げましょう。
これは、志村裕次+北野英明『雀鬼郎』全2巻という作品です。表紙を見るだけだと全くわかりませんが、「牙の巻」が1巻、「狼の巻」が2巻となります。そしてこのコミックス、本体には発行日が書いていないものの、カバー袖には書いてあります。
見るとおかしい。1巻であるはずの「牙の巻」の方が「狼の巻」より発行日が後ろです。そしてもう一つおかしいのは、この2冊、並べてみるとよく分かるんですが、なんかサイズが微妙に違うんですよ。「牙の巻」の方がなんか一回り小さいんです。
……これ、ツイッターで人に指摘していただいて思い至ったんですが、たぶん返本されたやつの天地と小口を削って汚れを落とした上でカバーを巻き直し、新刊に見せかけて再出荷してますね。これをやりたかったんだとすれば初版の日付を書いてないのも納得ですよ。
しかし、こんなグリーンアローやひばりの更に上を行く、漫画出版界におけるデタラメ発行体制の横綱がいます。それが今回紹介するオハヨー出版です。名前からして出版社というより乳業会社のような胡散臭さがありますね。創業当初はサン企画という名前で、後にオハヨーに名を変え、その後は松文館と名を変えました。同社の「別冊エースファイブコミックス」から刊行された、おのエントツとダイナミックプロ『西早稲田ドちょんぼ荘』の奥付を見てみましょう。
うわああああ、ひ、日付が一切ない! 一般の書籍流通を通らず自販機で売ってるエロ本(いわゆる「自販機本」)なんかだと奥付に発行日がないのが当たり前でしたが、一般書でこれやるとこはあまりないですよ。しかしこれで驚くのはまだ早い。
「微妙に変えたカバー巻き直して別の本に見せかける」やり過ぎだろ! いくら集めても「まだ他に別バージョンがあるのでは……?」と疑心暗鬼にとらわれるんでほんと困るんですよ(この他のバージョン知ってる方がいたら教えて下さい)。なお、上部のレーベル名が「別冊エースファイブコミックス」から途中で「エースファイブコミックス」に変わっていますが、この差が何に由来するかは知りません。そもそも最初の時点で、表1だと「別冊エースファイブ」なのに背表紙だと「エースファイブ」だし。
あと、カバーを外した中身は全く同じです。
この会社の本、『西早稲田ドちょんぼ荘』だけが特別なのではありません。政岡としやの短編集『黒い紋』(剣道一筋の男の暗めな青春を描く表題作から、西部劇+麻雀というコメディー「荒野の万点棒」まで、バラエティーに富んだ内容の佳品)を見てみましょう。
カバーかけかえ版でなぜか頭髪が赤く塗りつぶされているのも「なぜこんなことを……」という感じですが、カバーを取った本体表紙がさらにすごいです。
あまりにも無駄を排した表紙ですね。これならカバーでタイトルや装丁をいくら変えても問題ねえ、考えたな!
さて、ここまで紹介した2冊はどちらもサイズがB6ですが、オハヨーには他の判型のコミックスもあります。その例の一つがこれ、志村裕次・原麻紀夫+鳴島生『雀鬼地獄の対決!』です。
見ての通り、なんとB5です。デケえ! 『AKIRA』の単行本かよ!と言いたくなる麻雀漫画単行本史上最大の一品。中身は、「非情の洗牌」(原作・志村)と「麻雀鳳凰伝」(原作・原)という長編二つがニコイチになっている(「雀狼エレジー」(原作・原)という短編も同時収録)んですが、読んでいくとこの単行本、なんか変なんですよ。巻頭に「非情の洗牌」のカラーが2ページあり、「非情の洗牌」本編が終わると広告が何ページか挟まって、そのあと「麻雀鳳凰伝」のカラーが2ページあり、「麻雀鳳凰伝」および「雀狼エレジー」が終わったあとに「非情の洗牌」のあとに挟まってたのと被ってる広告ページが数ページ入って本が終わるという妙な構成なんです。
ここでいったん、この本の話を離れて、オハヨーがこの時期出していた漫画雑誌の話をします。その名は『月刊漫画ゴリラ』。「ゴリラが嫌いな人なんていない」と言わんばかりの素晴らしいネーミングです。この雑誌もまあ変な雑誌というかなんというか……国会図書館とかには(当然のように)入ってないのでいまいち全貌がつかめないのですが、B4平綴じで、80年6月号を「創刊準備第1号」(なんだよそれ)として上村一夫『津軽惨絃歌』、7月号は「特別臨時増刊号」としてやはり上村一夫の『刺青心中』、8月号は「準備3号」として水木しげる『総員玉砕せよ!』を刊行していたようです。「雑誌なのに単行本みたいな刊行してるの?」と思われるかもしれませんが、70年代までは現代のような「雑誌掲載→単行本化」というシステムが当たり前ではなく、「他雑誌等に掲載された作品の総集編」を毎号出すという形態の、現代で言えばコンビニ売り単行本みたいなポジションの雑誌が結構存在したんです(芳文社の『現代漫画文庫』とかリイド社の『別冊リイドコミック』とか)。で、この『漫画ゴリラ』、3号まではマニアがついている作家なこともあって古書店やオークションで時折見るので古本マニアには割と知られているんですが、実はその後も少なくとも4号と5号が出ていたことは分かっています(6号以降は筆者も未見なので存在したのかわかりません)。その4号と5号が、『非情の洗牌』と『麻雀鳳凰伝』なんですね……。
と、こう書けば勘のよい方はお分かりかと存じます。
……この野郎、返本された『漫画ゴリラ』の4・5号を表紙剥がして糊で張り合わせて単行本に仕立ててやがった! 断裁処分で廃棄物を出したりするようなことはしないこのSDGs精神には、かなり地球に優しいエコじゃんとエージェント清香(エージェント清香を知らない方は『エ恋スト』の記事を読んでください)もニッコリ。こ……こんなことが、こ……こんなことが許されていいのか!?
なお、この漫画界の哀しきキメラにも、当然のようにカバー別バージョンがあります。助けてくれ。
オハヨーのエコ精神はその後もなかなかのもので、松文館となった後も、園山俊二『さすらいのギャンブラー(保存版)』のように、奥付のページとか遊び紙とかいった無駄なページを一切廃した男らしい仕様の本も出してたりします。
また、当時の一部の単行本巻末には『漫画ゴリラ』の広告もありました。御覧ください。
なんとも言えない表情のゴリラと裸の女体(だと思う)、逞しく生き続ける野性派人間の二大欲求にストレートに訴えかける凄い絵面ですね。惹句が「豪華メンバー勢揃い」「読みごたえたっぷり」と情報量0なことも含めて、筆者はこれ以上の漫画雑誌広告を見たことがありません。
あと、単行本の巻末広告にあるんですが、この会社はタツノコプロのアニメなんかのコミカライズも出しています(これはサン企画時代から)。
ここで一部マニアに有名なのが『みなしごハッチ』のコミカライズ。何が凄いって、出てるのが「1・2・4巻の全3巻」なんですよ。言ってる意味が分からないと思いますがほんとうの話です。プレミア凄いんで自分で持ってはいない(こういうコミカライズって、求める人は多くとも権利関係とかで復刊しづらいこともあってか需要と供給の差が激しくてよくプレミアつくんすよねえ)んで、ブツの写真はまんだらけの過去の通販ページでも見ていただきたいんですが、3巻が出ずに4巻が出てるんです(これに関しては、過去に有志が研究をしており、「3巻は出てないと見て間違いない」という結論が出ています。「3巻持ってる」という方がいたら漫画史を覆す大発見なので名乗り出るとよいと思います)。どうも、1・2巻は無印『みなしごハッチ』(70〜71年放送)のコミカライズで、これが売れ行きよくなかったのか2巻で打ち切りとなり、4巻からは続編アニメの『新みなしごハッチ』(74年放送)のコミカライズなのでこうなってるらしいのですが、「それなら”『新みなしごハッチ』1巻”として刊行しろや!」としか言いようがない。恐るべきデタラメぶりです。このようなオハヨーの奔放ぷりを見ると、出版というもの、文化事業のような顔をしてますが、やはり実業か虚業かで言えば虚業、山師に近い職業であることをあらためて認識させてくれますね。
なお、松文館という会社は現在も残っていますが、屋号などは引き継いでいるものの90年代に経営主体が変わっており、別の会社と言ってもよい、きちんとした会社となっています。松文館事件の時には毅然と戦った本当に表現の自由を考えている会社ですし、関連会社のグループ・ゼロが『新 男!日本海』(参照:「その問題 バイブドアのヤリエモンさまも挑戦するぞ!」―玄太郎『男!日本海』のくだらな素晴らしさ)の電書化をしてくれたので個人的にも足向けて寝られないところであります。