ひばり書房が残した幻の作家の最高傑作が35年ぶりに蘇った—川島のりかず『フランケンシュタインの男』

『フランケンシュタインの男』

 かつて、「ひばり書房」という出版社がありました。一部マニアを除いてその名が忘れられて久しいですが、ホラー漫画というジャンルの歴史を語る上で最も重要な出版社です。終戦後まもない47年に創業し、赤本漫画〜貸本漫画という分野で様々な作品を出版、58年からは日本初のホラーコミックアンソロジーシリーズ『怪談』を100冊以上刊行し、70年代以降は新書判の描き下ろしホラーを中心とした単行本(初期の、俗に「黒枠」と呼ばれるシリーズと、後期の「ひばりヒットコミックス」というレーベルがメインです。描き下ろしホラーが100%だったわけではなく、他者の雑誌掲載作や、スポーツ漫画や少女漫画なども出しています)の販売にシフト、88年まで漫画を出し続けました(なお、ここで倒産したという誤解が一部で見られますが、会社は04年に閉業するまで存続しています)。このひばりヒットコミックス、同じ本をカバーとタイトル変えて別の本っぽく見せかけて売り直してたり、背表紙にナンバリングがあるけどこの数字がデタラメだったり(同じ本なのに違う番号が振られたバージョンがあるとか平気であります)、カバー袖に奥付があるけどきちんとした表記をしていないので初版の正確な日付が分からなかったりなど色々厄介で、しかも数百冊という膨大な数が出ている(先述の通り同じ本の出し直しがあるので「何冊出た」と正確に言うことができないところはあるのですが)というコレクター泣かせなレーベルです。数が多いので質も当然いろいろで、城たけし『呪われた巨人ファン』とか、読んでると作者の精神状態の方が不安になってきて面白がっていいのか分からなくなってきます(後に作者への聞き取りで、描いていたころ本当に精神が不安定な時期だったということが判明)。
 そんなひばり書房で描いていた中で現在でもマニアから支持を得ている漫画家としては、日野日出志古賀新一といったホラー界の大御所や、70年代破滅SF漫画の傑作『侵略円盤キノコンガ』(タイトルだけだとC級っぽいですが、ラストシーンなどが凄いマジ傑作)で知られる白川まり奈などひばり以外でも活躍した人たちがいますが、それに加えて、今回紹介する『フランケンシュタインの男』の作者である川島のりかずという漫画家がいます。と言っても、ホラー(というかひばり)に興味のある人以外にその名はあまり知られていないことでしょう。何しろ、83〜88年の約5年間にひばりから29冊という2〜3ヶ月に1冊という超ハイペースで単行本を描き下ろし(この中には、ひばり書房にとって最後の漫画単行本である『中学生殺人事件』も含まれます。同書は現在数十万円の値がつく超稀覯本ですが、読んだ人はだいたい「作者の他作品の方が出来が良い」と言うとのこと。当方は流石に読んだことないのでなんとも言えませぬ)、そしてそれ以外は81年に発表した数編の読切しか確認されていないという漫画家なのですから。ひばりが漫画出版をやめてからは消息も知れず、完全に幻の作家となっていましたが、このたび遺族と連絡がつき(正確に言えば、著作権者不明の場合の裁定制度を利用しての復刻の準備中に連絡がついたそうです。88年以後の川島は、2〜3年間は他の出版社で描こうとしたもののうまくいかず、筆を折って郷里・静岡で会社員となり、18年に68歳で亡くなったとのこと)マガジンハウスから復刻されたのが、川島作品の中でも最高傑作との呼び声も高い本作なのです。
 知らない人にとっては全然知らないだろう作者なので、ひばり書房マニアにとっては常識な内容の前置きが長くなりましたが、内容紹介に入ります。本作の主人公・空木鉄雄は、三十路くらいの既婚サラリーマン。物語は、彼が「親よりも大事な人だった」と語る、勤務先の女社長が死んだというところから始まります。おそらく葬儀からの帰り道、雨の中を家へと帰る車の運転をしていた彼がバックミラーをふと覗くと、後部座席に顔が見えない謎の少女が乗っているではありませんか!

 

『フランケンシュタインの男』4〜5ページより

 

 「き きみ! いつこの車に乗ったんだ!?」と驚愕しながらも、努めて冷静を装いタバコに火をつけつつ「お嬢ちゃん 家はどこだい おくってくよ」と声をかけると、少女の姿はかき消えていたのでした……。
 そして家に帰った鉄雄が風呂に入っていると、そこでまた謎の少女が出現。驚き叫ぶ鉄雄の声に「何をさわいでるのよ」と妻がやってきますが、少女の姿は消えており、「寝るわよアホクサ」と妻は呆れて寝てしまいます。さらに翌日は、会社のトイレで用を足している鉄雄の前にまたもや少女が現れては消えます。そんな日々が続いてノイローゼとなった鉄雄は、(おそらく精神科の)先生を訪ねることに。今も窓の外から少女が自分を見ている、いつも顔の部分が暗くてどこの子か分からないと訴える鉄雄に対し、先生は「ほんとはあなたはその少女を知ってるはずです」「あなたはその少女を知るのがこわいんですよ だからその少女の顔は暗くなっているんです」「その少女の顔を見なさい」「見なければいつまでも解決しませんよ」と己に向き合うよう助言します。そして鉄雄の目にだんだんはっきりとその顔の輪郭を見せていく少女!

 

『フランケンシュタインの男』28〜29ページより

 

 これが導入です。この少女が、少年時代に遊んだ子・君影綺理子だったことを思い出した鉄雄は、先生に促され、封印していた己の少年時代の記憶と向き合っていくことになります。
 貧弱なために周囲の悪ガキからはいじめられ、そしてそのいじめを父親に言えば「それでも男か! この弱虫が!」とやり返さなかったことを叱責され、母親からも「弟が生まれたんだから、兄ちゃんらしくしっかりしなきゃダメ」と否定されと、「自分は必要とされていない人間なんだ」という思いばかりを深めていた鉄雄少年。そしてそんな彼が密かに惹かれていた人物こそが、杖がないと歩けない病弱な体と、母親が蒸発した心の傷を持つ傲岸な社長令嬢の美少女・綺理子だったのです。

 

『フランケンシュタインの男』70〜71ページより

 

 ひょんなことから彼女と親しくなった鉄雄は、「つぎはぎで醜い男よ でも… 憎い相手を次々と殺していくところが好きなのよ」と彼女が「フランケンシュタインの怪物」について語るのを聞かされ、ハンドメイドでフランケンのマスクを作り、「フランケンごっこ」に興じるようになります。彼女の命令で、最初は自分より小さな子どもを、次第には自分をいじめていた悪ガキ(彼の親は綺理子の親の会社で働いているので逆らえないのです)をも、映画の「フランケンの怪物」のごとく蹂躙し、甘美と歓喜の中に陶酔する鉄雄。

 

『フランケンシュタインの男』108〜109ページより。わざわざ言わいでもお分かりとは思いますが一応書いておくと、服が変わっているのはミスではなく、この時彼は完全に映画の「フランケンの怪物」になりきっているという心象の描写ですね

 

 そして、少年時代の自分と綺理子に何があったのかを完全に思い出した彼は、社会人となってからは、女社長に仕えることで人生が満たされていた(かつて綺理子の命令でフランケンの「仕事」をしていた時に初めて満たされたように)ことにも気付かされ、やがて精神は平衡を失っていき——。

 

『フランケンシュタインの男』136〜137ページより

 

 と、ここまでの説明でも分かるかと思いますが、幽霊的なものこそ出てくるものの完全に主人公の精神が見せている幻覚であり、「SFミステリー」と銘打たれていはいますが超常的な要素のない(これは本作に限らず、この頃のひばりはあんまSFじゃないのも「SFミステリー」と銘打ってはいますが)サイコホラー作品となっております。少年少女(特に少女)がメインターゲットだったひばりヒットの作品としてはかなり大人びており(少年時代に多くのページが割かれるとはいえ、主人公三十路ですしね)、導入部こそ絵面の怖さで引っ張るものとなっていますが、ストーリーの本質はレゾンデートルに悩む人間の精神が壊れていくところにあり、それが最終的に圧巻のメリーバッドエンド(読者にはバッドエンドとも見えるが主人公の主観としてはハッピーエンド)まで突き進んでいくさまは、理想と現実の間で疲れながら仕事などし、時に幼少期を思い返したりするような大人にこそ刺さるのではないでしょうか(実際、「子供の頃リアルタイムで読んだ時は面白くなかったが、大人になってから読み返したら傑作だった」というレビューを見たことがあります)。
 また、本作(を含む川島作品)というのは、漫画史的に言えば、雑誌連載ではない単行本描き下ろしという、貸本劇画から(もっと言えば戦前漫画から)の流れを汲む最後(もちろん現代でも単行本描き下ろし作品というのは存在しますが、学習まんがなどのジャンルに偏る感じはあり、この流れの上にあるとは言い難いところでありましょう)の作品群ということにもなります。川島がこの後、筆の速度やストーリーテリングの技量などで一定のものを持ちながら他出版社で描けなかったというのも、一冊描き下ろしを続けてきたことが、短編での1話完結式か、長編にしても毎回にある程度のヤマやヒキを作らないといけない雑誌連載という形態にうまく適応することができなかったという面があるんですね。そういう点は、現代の目で読むと新鮮さもあります。

 ——と、色々知ったようなことを書きましたが、この辺(内容の絵解きとか川島作品の位置付けとか)については、復刻版の巻末に収録されている川勝徳重氏の解説でより解像度高く書かれております。緑の五寸釘氏による川島他作品ガイドもあわせて非常に優れた解説ですので、ぜひ本を買って、この蘇った傑作の全編とともに読んでみてください。

 

記事へのコメント
コメントを書く

おすすめ記事

コメントする