手塚治虫『鉄腕アトム』は、月刊少年誌「少年」(光文社)1951~52年連載『アトム大使』に登場したアトムを改めて主人公に据えて、52年4月号から68年3月終刊号まで続いた。連載開始当時、手塚はまだ23歳の青年。51年に大阪大学医学専門部を卒業し、52年、ようやく東京に仕事場を移した頃である。
50年生まれの私は、だから連載当初からアトムを読んでいたわけではない。仮に5歳で連載を読んだとして、名作「電光人間」(52年付録)に間に合ったかどうか。59年の「エジプト陰謀団の秘密」は9歳なので連載で読んだ可能性が高い。けれど、当時からもっと古い作品も単行本で読んでいた。この頃は漫画連載が単行本化されること自体珍しく、かなりのヒット作でなければされなかった。
「少年」版元の光文社からは「手塚治虫漫画全集」が出ていた。もちろん実際は「全集」ではなかったが、『ジャングル大帝』『黄金のトランク』『鉄腕アトム』などが出ていた。2022年、河出文庫からこの光文社版『鉄腕アトム』の「初単行本版」全3巻が刊行された。カラー、2色頁を含め、連載時の扉や手塚の回想漫画なども収めた復刻版である。元の光文社単行本で、幼い私は自分の知り得なかった古いアトム作品を読んでいたのである。いや、こういう復刻は嬉しい。懐かしいなあ。
『鉄腕アトム』初単行本版②の光文社版[図1]は、57年5月刊。私はまだ6歳。それはともかく私は、ここに掲載された「コバルトの巻」(54年6~9月号)の1コマ[図2]を見てびっくりした。何と、アトムはお母さんからお尻に「あぶら」を注入してもらっているのだ! あれ、オイルだったの? 原子力燃料だと思ってたのに! たとえば「幽霊製造機」(57年1月号付録)ではやはりお母さんから〈エネルギーをつめて〉もらっている。どうもアトムのお母さんは、原子力燃料をお尻から注入する役割らしい。
それにしても、朝日ソノラマからサンコミックスとして刊行された『鉄腕アトム』4「ロボットランド」(75年刊)に収められた「幽霊製造機」の絵は、明らかにトレースで、手塚の線ではないので、今ひとつ。が、私の記憶にはこの「お尻からエネルギー注入」というのが、異様にエロティックな印象で残っている。何でまたお尻から? 他の挿話では、自分で胸のハッチを開けてエネルギー補給をしている場面もある。だったら胸でよさそうなものだが、なぜかお尻なのだ。多分、半ば意図的なのだと思う。このへんに手塚のエロさの秘密が潜んでいる気がする。
ともあれ、アトムはどうやら原子力燃料と同時にオイルをささないとうまく動かないらしい。原子力が動力なのに真空管制御だったしね。そういえば、昔のアトムには「初単行本版」②の表紙絵をよく見てくれればわかるように、関節部に筋が入っている。金属製の機械でありながら、人間っぽくするためにプラスティックの柔らかい皮膚を持っているはずなのだが、やはり機械なのだと示すためだろうか。一方でやたらと人間性豊かな表情をもち、感情の起伏が激しく、うんざりするほど正義感のあるこのロボットは、他方でものすごく脆い。
悪人に拳銃で胸のハッチを開けられ、いきなり動けない木偶人形になってしまったりする(「十字架島」1958年1~4号)[図3]。あげくに足で蹴られて、思い切り情けない顔をしてみせる。一瞬にして機械人形である状態と生命のある状態を往還する存在であることが、まさに幼少の私の心をつかんだのも事実だった。『アトム』より人気のあった横山光輝『鉄人28号』には、こういう要素はほぼない。こうした、はかない命の感触こそが、幼い私に深く残り、後年手塚論を書くにいたらしめた原動力であり、かつ手塚のエロさの源泉でもあったはずだ。こんなヒーローもロボットも他にはなかった。
ただ、こうした「唯一」感が私だけでなく、同世代のマンガ好き、とりわけ後年マンガ批評をしたりする資質の人間に強く影響し、手塚神話を形成したのもまた事実である。この世代のマンガ愛好者はまた、70年前後に「COM」という手塚の虫プロ商事が創刊した雑誌の情報に影響されていた。そこでは「戦後ストーリーマンガは手塚治虫が映画的手法をマンガに持ち込んで成立した」という枠組みがすでに成立しており、その手塚によるマンガの近代化史観が強固に浸透し、やがて90年代の私を含む批評言説によって一般化してしまったという経緯がある。そうした「手塚中心史観」が後進研究者によって批判されるのはほぼ2000年代に入ってからである。人間は歴史社会の成立させる枠組み、文化文脈から自由ではありえない。今になって無責任な言に聞こえるかもしれないが、身に染みてそういうことを思わざるを得ない。人はいつも無意識に自分の属する歴史社会から少しでも外へ出ようと思い、試みるが、はるかに時間が過ぎてからそのことの不可能さに気づくようにできているのだ。