旅は道連れ、世は情け。人情マンガにとって旅は格好の題材だ。今回は1970年代に『週刊少年キング』に連載された荘司としおのサイクリング・マンガ『サイクル野郎』を取り上げる。
連載期間中の休日には、主人公・丸井輪太郎のスタイルを真似て、テンガロンハットをかぶり、大きな荷物を積んだツーリング自転車に乗った少年たちがサイクリングを楽しむ姿があちこちで見られたという人気作だ。
さて、輪太郎は東京下町にある自転車店の息子。勉強は苦手で、中学校の試験では50点以上をとったことがない。一方で、男気があって、売られた喧嘩には引き下がらない。つまり、古き良き少年マンガの典型キャラである。そんな輪太郎の夢は、自転車で日本全国2万キロの旅をすることだった。
中学校卒業後、進学はせずに半年間、父の店を手伝いながら自転車修理の技術を学んだ輪太郎は、下町のみんなから見送られ日本一周へと旅立つ。ところが、箱根越えの途中で霧のために崖から転落して父から贈られた愛車が大破。壮大な旅は一旦振り出しに戻ってしまう。
輪太郎はスクラップ部品を使ってバラバラになった愛車を修理。よけいなパーツをはぶいて軽い車体に改装した「フェニックス号」を完成させる。ツーリングにはこのほうがいいのだ。
仕切り直しの旅は、埼玉県を抜けて、長野から北越、東北を経由して北海道へと走る。旅の相棒は中学の同級生で寿司屋の跡取り・矢野甚太郎だ。中学時代から店の出前を手伝って、せっせと貯めたお金で手に入れた10段変速の「ダルマ号」が愛車だ。
人情マンガの定番というのか、埼玉に入るなり輪太郎と甚太郎は親切なトラック運転手に声をかけられる。自転車ごと載せて行ってやるというのだ。自転車で旅をしたいのにまさにありがた迷惑。輪太郎が断ると運転手は車から降りてきて「人の親切を無にするのかーっ」と怒り出す。やむなく事情を話すと男は今夜はうちに泊まっていけと言い出した。男は埼玉県加須市の鯉のぼり職人で、源さんと名乗った。加須は鯉のぼりで有名なのだ。
一晩、源さんの家でやっかいになったふたりは、1年中どこかでお祭りがあるという秩父へ。その日もまさに祭りの真っ最中だった。祭りの呼び物は自転車レースで、優勝候補は村の実力者の息子で乱暴者の矢倉大吾だった。大吾の将来のために鼻っ柱を折ってやってほしい、という村娘・君子の頼みでレースに出た輪太郎は……。
といった調子で、輪太郎と甚太郎は日本各地でその土地の行事や名産品に出会い、地元の人々と人情をかわしていくわけだ。
もちろん、吹雪に埋もれたり、大きな台風に巻き込まれたり、火山の噴火に遭うなど、大自然の猛威を体験することも。ひったくりと間違えられてトラック野郎の追跡を受けたことも。岡山から鳥取への道中では爆弾魔の人質にされ、警察の目を逃れ道なき道を走る羽目になる。襲ってくる数々のピンチから輪太郎の助けになるのも、旅先で出会った人々の厚い人情なのだ。
旅する仲間にも出会う。新潟ではリヤカーを曳いて徒歩旅を続ける玉本と出会い、秋田では、同じように自転車で日本一周にチャレンジするナマハゲこと日高剣吾に出会う。
輪太郎、甚太郎より2歳年上のナマハゲは老け顔でちょっと怖い雰囲気。誘拐犯と間違えられ留置場に入れられたナマハゲと輪太郎は意気投合し、真実が分かって解放されたのちは、一緒に旅を続けることになり、青森から北海道へと抜けていく。
室蘭では、病院に急ぐ途中、夫の運転する車がエンコし難儀していた身重の女性を、3台の自転車を一体化させた即席の救急車で病院に運び助けるなど、トリオは息のあった活躍を見せる。
出発したばかりの頃には、すぐに音を上げて、輪太郎の足を引っ張ってばかりいた甚太郎も、日を追うごとに健脚になり、札幌から先は6月に宗谷岬で合流する約束を交わして3人が別コースを辿ることに。いろいろな事件に遭遇しながらも、お互いに仲間を忘れないのが素晴らしい。日本最北端の岬で3人が再会する場面は感動的だ(図)。
そんな3人だから、事故で重傷を負ったナマハゲが日本一周の旅からリタイアするときには、不覚にも泣いてしまった。
旅の場面にときどき挟まれる東京の留守家族や街の人々の様子も下町らしいほのぼのとしたものに包まれて、それがまた輪太郎たちの郷愁にもつながっていく。
連載は実に8年間も続いた。今では珍しくないが、当時の連載マンガは長くても5年程度。8年も続いたのは、読者にとってそれだけ魅力的なマンガだったという証拠である。
ゴールの沖縄到着までに要したマンガの中の時間は2年に過ぎないが、単行本全37巻に収められたエピソードはてんこ盛り。輪太郎にとっては生涯忘れることのできない、青春の輝きと人の情の暖かさに包まれた日々だったはずだ。