こちらの記事は【後編】です。前編はこちら。
「正チャン」登場前のマンガの歴史に関する「ビフォアー・正チャン編」も併せてお楽しみください!
メディアミックス的な展開
正チャンの人気は、キャラクターグッズだけに留まらず、映画や演劇などメディアを超えて活躍するようになりました。現在のメディアミックスの元祖のような存在といえるかもしれません。といっても、こちらもキャラクターグッズと同じように、その人気にあやかって勝手に商売をしたものが多かったようですが…。
日本で漫画作品が他メディアに題材として取り上げられるようになるのは、映画や軽演劇などが盛んになる大正期になってからです。大正6(1917)年に国産初のアニメーション映画が公開されますが、この時に作られた下川凹天監督の『芋川椋三シリーズ』は、映像は現存していないのですが、そのタイトルから監督でもある漫画家の下川凹天が『東京パック』に連載していた同名の漫画をアニメーション化したものと考えらえ、日本初の漫画のアニメーション化であったと言えそうです。
それ以外にも、「親爺教育」が正チャンよりも早く日本で舞台化されていたりもしますが、正チャンはアニメーション映画や演劇、人形劇、ラジオドラマ、幻灯などが多様なメディアでの展開が確認されており、他の作品に比べてもその広がりは大きいものでした。
こうした他メディアでの活躍の中でも、特に有名なのは大正13(1924)年10月の宝塚少女歌劇での舞台化でしょう。2020年の朝ドラ「おちょやん」でも、この舞台化の話が少し出てきていましたが、「ベルサイユのばら」に先立つこと半世紀も前に、漫画原作の舞台化が行われていたのです。翌年には東京でも出張公演が行われており、注目度の高い作品だったことが分かります。
昭和に入ると映画やラジオといったメディアがより浸透し、人気漫画の映画化や舞台化なども盛んになります。『あわてものの熊さん』(前川千帆原作、斎藤寅次郎監督、1933年公開)、『只野凡児 人生勉強』(麻生豊原作、木村荘十二監督、1934年)など新聞4コマ漫画の実写映画が次々と制作されました。実は人気漫画の実写映画化は戦前からかなり盛んに行われているのです。
また、「のらくろ」などは講談社が主体となってレコードやアニメーション映画の制作を行っており、キャラクタービジネスという考え方も戦前期に徐々ではありますが浸透していたようです。
昭和戦前期の漫画界
関東大震災によって、東京の出版社は大きな打撃を受けましたが、復興景気や円本ブームなどで出版界は活況を取り戻します。円本は1冊1円で予約購読する文学全集で、漫画のものの多数登場し、岡本一平の『一平全集』(全15巻)は5万セットも売れたとされます。
雑誌においても、大日本雄弁会講談社(現・講談社)の総合娯楽雑誌『キング』など100万部を超えるものが登場し、新聞に劣らぬ強力なメディアへとなっていきます。読者の年齢や嗜好に合わせた雑誌が数多く創刊され、漫画が掲載される媒体が増加、新しい世代の漫画家たちを育てることに繋がりました。
昭和初期に雑誌、新聞、単行本の3つのメディアが多様化・大部数化したことにより、漫画家という職業も新聞社に所属するという形から、フリーランスでも成り立つようになって行きます。
昭和7(1932)年、近藤日出造や横山隆一など20名の若手漫画家たちが集まって「新漫画派集団」というグループを結成されます。彼等は誌面を牛耳っていたベテラン漫画家たちに対抗するため、グループとして仕事を請け負い、各自の得意分野を生かして様々な依頼に対応することで生き残りを考えました。この試みは成功し、昭和10年代には若手漫画家が誌面を席巻することとなり、雨後の筍の如く様々な若手漫画家グループが作られました。
昭和に入ると軍部が台頭しはじめ、また雑誌・新聞の大部数化は様々な思想を持つ読者に対しての配慮が必要ともなり、諷刺漫画は徐々に描きにくくなっていきます。それに代わり、諷刺性の薄い洒脱な内容の1コマや1ページ程度のコマ漫画「ナンセンス漫画」が流行したことも、若手漫画家たちの活躍を後押ししました。
昭和12年に日中戦争が始まると、用紙統制によるページ数の減少や新聞・雑誌の統廃合などが起こり、漫画の掲載媒体は激減します。若手漫画家たちは「新日本漫画家協会」という各グループを大同団結した団体を作り、大政翼賛会の推薦を受けたプロパガンダ雑誌の発行や、伝単(敵地に配る宣伝ビラ)の制作、従軍漫画家として戦地に行くなどの戦争協力をして生き残りを計りました。
戦中を生き延びた新漫画派集団は、戦後に「漫画集団」と改名し、1970年代ごろまで漫画界をリードし続けました。昭和39(1964)年には彼らが中心となって日本初の漫画家の職能団体「日本漫画家協会」が設立されるのです。
明治から戦前期までの漫画の歴史を駆け足でご紹介してきましたが、こうした流れを見て行くと、漫画は媒体や時代の要請に合わせて、表現を変遷させて来たことがわかると思います、そして、その変化によって生み出されたものが積み重なり、現在の漫画表現が出来上がっているのです。
『正チャンの冒険』から100年で、漫画は現在の私たちが楽しんでいる形へと変化してきました、いったい100年後にはどのような表現が登場しているのでしょうか。そうした未来に思いを馳せるのも楽しいかもしれません。
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