連載当時私は小学生でしたが、『ほらふきドンドン』を面白く読んでいたのは良く憶えてます。
1969年から『週刊少年マガジン』に連載され、コミックスは全5巻です。
コミックスも貸本屋さんで借りて読みました。
長らく再読出来てなかったこの『ほらふきドンドン』。
先日2、3、5巻の3冊を入手しまして、この記事を書いている次第です。
マガジンのギャグマンガと言えば『天才バカボン』が筆頭でしょう。
今回調べて知りましたが『天才バカボン』がマガジンから掲載誌を移動するのと同時期に『ほらふきドンドン』が始まってます。
ジョージ秋山さんがどこまで赤塚不二夫さんを意識されていたのかは不明ですが、まあよくもこれだけの破天荒なギャグを毎週続けられたものです。
『ガイコツくん』、『パットマンX』でギャグマンガ家としてスタートを切り、20代半ばの脂がのったジョージ秋山さんの若き頃の才能と勢いを充分に感じますね(貸本漫画の時代に「秋山勇二」名義で作品を発表されてますが、そちらはかなり入手困難です)。
『ほらふきドンドン』の連載終了後から色々物議をかもす作品を発表されるようになりますが、1973年に『浮浪雲』が始まってます。
長い漫画家活動での作品は多種多様におよび、これだけ幅広い作風は珍しいと言えます。
でも何を読んでも「ジョージ秋山」さんの漫画なんですよね。
そりゃそうだろと言われるかもしれませんが、全く違うジャンルの作品でも時代が離れた作品でも少年誌・青年誌問わずに「ジョージ秋山」さんの漫画として読める。
結構凄いと思うのですが、私だけの感覚でしょうか。
そして『浮浪雲』の最終回は『ビッグコミックオリジナル』で読みました。
50年以上常に何かの雑誌に作品が連載されている印象が強く、子供の頃からずっと楽しませてくれた漫画家さんでした。
遅ればせながら、謹んでご冥福をお祈りします。
では『ほらふきドンドン』の紹介に移りましょう。
前作の『パットマンX』は街のヒーローを夢見て奮闘努力する少年が主人公のギャグマンガでした。
その上で失敗を繰り返す少年の悲哀も描かれます。
一方『ほらふきドンドン』はとにかくギャグです。
ただし後の『浮浪雲』を思わせる内容の最終回や、戦争を題材にした話など例外もあります。
毎回1話完結。
丼鈍心(どんぶりどんしん)和尚が近所の大人や子供を相手に法螺話を膨らませ、収まりがつかなくなってくるというのが大まかな設定です。
で、その鈍心和尚が豪快な人物かというと違います。
わしなんぞこうだったんだぞ、と説法を絡めて相手に小さい法螺を吹く。
いやいやこっちはもっと凄かったと相手に返される。
そんな程度か、と更に大きな法螺で返す鈍心和尚。
それだとこうなるのはおかしいよね、とやり取りを聞いていた子供に法螺の痛いところを突かれるとまた法螺で上塗り。
ただの負けず嫌いなんですよ。
話の最後は大きな法螺で終わることもあれば、法螺で返せないほどの鋭いツッコミに狸寝入りや逃げ出したりと毎回決まってません。
また先述した様にギャグマンガとは思えないしんみりしたり、ちょっとホッとするような最後もあります。
街の大人も子供も和尚の法螺に「また始まったよ」と文句を言いながらも付き合ってあげます。
ドンドン和尚、何やかやで皆に好かれてるんですよね。
2、3、5巻の3冊のみですが全話通してほのぼのさが感じられるのはこの皆に好かれているキャラクターに他ならないでしょう
1話のページ数でショートギャグ集があったり、同じマガジンの人気作のパロディがあったり、世界的名作の「ほら男爵」を登場させたりと、とにかく幅広い。
そしてカバーの折り返しに書かれてますが、根底には風刺があります。
ただこの風刺が時事ネタとなっていて、当時を知らない今の方が読んでもあまり伝わらないかもしれません。
元ネタが分からなければ何のことやらなのは風刺やパロディに付き物です。
そこは致し方無いでしょう。
子供の頃に読んだ時にちょっと驚いて、今回の再読で「あぁ、これだこれ」と思い出して嬉しかったギャグを一つ紹介しましょう。
扉ページには「せまい日本にゃ住みあきたの巻」のタイトルとドアノブの絵。
そしてページをめくると用を足してる和尚が「ひとがトイレにはいっているのにページをめくるやつがあるか」と大激怒。
この仕掛けはなかなか斬新だと思いますがどうでしょうか。
しかも次のページからはタイトルの話が始まり、この見開きで描かれた和尚の怒りには何も触れられません。
本当にここだけ。
冒頭に一発放って本題のギャグ展開に移る手法は他の話にも少し使われてますが、ページをめくる動作がこんなに効果的に生きるギャグは当時の私には強烈でした。
もう一つ、残念ながら入手した3冊には入っておらず、おそらく1巻か4巻に収録されていると思うエピソードを。
和尚が「わしは水の上でも歩けるのじゃ」と始まります。
水面に乗せた右足が沈む前に左足を水面に乗せ、その左足が沈む前にまた右足を載せれば水の上でも平気で歩けると相手に法螺を吹きます。
水の上をスイスイ歩く和尚の絵も描かれ、それを真に受けた相手が溺れる様も描かれます。
もう何十年もこの話を再読してないのにずっとこの法螺話は心に残ってて、和尚の法螺の中で一番好きですね。
なんかそれなら歩けるかも、と思ってしまう和尚の語り口もジョージ秋山さんの上手さです。
そんな頭を空っぽにして楽しめる大法螺もあれば、人生訓を説く最終回のような話もある。
是非お読みくださいと言いたいところですが、『ほらふきドンドン』復刊は難しそうですね。
何故かは言及しませんが察していただければと。
それでも膨大で多彩な作品を残されたジョージ秋山さんの全集が出版される可能性はありますから、そこに収録されるのを願う次第です。