紅葉の季節にちなんで、京都を舞台にした人情マンガを紹介しよう。
ほうさいともこの『酒場ミモザ』だ。講談社の月刊誌『アフタヌーン』にとだともこ名義で連載されたのは1992年から96年。バブル景気の終焉と不況、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災と続いた激動の時代だ。しかし、作品の中には古都らしい穏やかな時がいつも流れている。そこが読みどころだ。
主人公は京都にある芸術大学の洋画科を卒業した女性画家。ところが、描く絵は売れずにアルバイト暮らしが続いていた。ある日、彼女がふらりと入ったのは京都・三条の路地裏にあるカウンターだけの小さな酒場「ミモザ」。学生時代に、友人に連れられて一度来ただけの店だったが、思い切ってひとりで入ってみると居心地がいい。
椅子は7席。亭主は初老。壁際には古いレコードプレイヤーが置かれ、お客の持ち込んだレコードをかけてくれる。暖房はあるがクーラーはない。夏は扇風機だけ。そのおかげで京都の季節感が読者にも伝わってくる。
古びた戸を開けて入ると「おこしやす」というマスターの声。カウンターに腰掛けると、灰皿とおてふきが目の前に置かれて「何させてもらいまひょ」。
ハイボールを頼んでしばしマスターと話していると、次々に常連がやって来る。帰るときには「おきばりやす」と声がかかる。
マスターは若狭(福井県)の生まれ。祇園のはずれにある古い長屋に妻とふたりの娘と暮らしている。なかなかの苦労人で、中学を卒業して1年ほど国鉄(いまのJR)で働いたのちに京都の餡子屋に転職。27歳でミモザを開店した。料理上手で、故郷の味「さばずし」は絶品である。
京都という街の特色は、古くからの伝統行事がいまも生きていること、大学が多いこと、住んでいる外国人が多いこと、趣味人が多いことなどなど。そんな土地柄を反映して、常連客は大学の先生や時代劇の脚本家、作家、料理屋の娘、アメリカから来た東洋美術研究者、工芸職人、アーティストと多士済済だ。
酒や料理もいいが、なによりのご馳走はマスターや常連客たちが語る四季折々の行事、旬の味、習慣といった観光案内にはない町の話題である。読み切りのエピソードもグルメやショッピングの話はもちろんだが、京町家のリフォームを任された女性内装職人の奮闘や、常連のミステリー作家のためにマスターが計画した日帰りミステリーツアーなど幅広い。
実は「ミモザ」にはモデルがある。1957年に京都・三条の路地裏にオープンしたバー「リラ亭」だ。加藤登紀子の「時代おくれの酒場」に歌われた店でもある。京都では知る人ぞ知る名店だったが、マスターは1990年3月3日に亡くなった。
2010年に刊行されたぶんか社コミック文庫版のあとがきによれば、ほうさいは主人公と同じく京都市立藝術大学の出身。専攻は壁画。卒業後はイラストレーターなどさまざまな仕事を転々として、マンガの中に登場する町家の内装業も経験している。あてのないもんもんとした青春の日々の支えになったのが、ふとしたきっかけで常連になった「リラ亭」での時間だった。
マスターの三回忌法要をきっかけに、ほうさいはマスターを主人公にしたマンガを描こうと決心する。マンガの経験はなく、図書館でマンガの描き方の本を借りて、8ページの短編4本に仕上げ『アフタヌーン』編集部に送った。単行本のVOL.1〜4がそれで、翌年春から連載になった。
連載5年目に入る直前に、リラ亭を引き継いだ2代目マスターから「そろそろ自分のふんどしで相撲を取れ」と引導を渡されて、96年1月号で作者自ら連載の幕を引いた。なんだかもったいない気もする。
おしまいに、作品の中から京豆腐にかかわるエピソードを取り上げよう。
常連の作家・白河の友人でデザイナーの谷の様子がどうもおかしい。マスターが心配して尋ねると、転職のことで悩んでいるという。
谷の実家は豆腐屋だった。最近になって、父親が中国で少年時代を送った昔の記憶を辿って幻の味「腐乳」を再現することに成功した。豆腐塩辛とも呼べる発酵食品だが、それを口にした途端「これ調味料として使える」と全身に電流が走り、いろんな料理のアイディアが浮かんできた。そして、デザイナーをやめて料理の世界に入りたい、と考えるようになっていたのだ。
谷が自身で作ったという腐乳を一口食べたマスターのお墨付きで、谷は妻の実家だった町家を改装して豆腐料理の店を始めたが……。
たかが豆腐、されど豆腐。豆腐の奥深さを知ることもできる逸品である。