私立探偵というと派手なガン・アクションやカーチェイスを連想する人も多いのではないだろうか。ところが、あれは小説や映画やドラマの話。大阪にいた30年前、わが仕事場と同じ雑居ビルにあった本物の私立探偵事務所で聞いてみたら、仕事の大半は素行調査や人探しだという。下手をすると行方不明の猫や逃げ出した小鳥の捜索依頼が舞い込むこともあるらしい。
「人情マンガを読む」5回目は、そんなリアルな探偵事務所が舞台になった『リバースエッジ大川端探偵社』を紹介する。
原作のひじかた憂峰は狩撫麻礼の別ペンネーム。作画はたなか亜希夫で、『ア・ホーマンス』や『ボーダー』などを生んだ名コンビの復活作品。そして、悲しいことに狩撫麻礼の遺作でもある。
舞台になるのは東京の下町・浅草。大川(隅田川)沿いにある昭和の香りがする古いビルに事務所を構えるのが大川端探偵社だ。
事務所に持ち込まれるのは、殺人や盗難のような物々しい事件ではない。ほとんどが人探し。ただし、ちょっと変わった人探しだ。
認知症の母親が少女時代に近所で見かけたというエルビス・プレスリーそっくりの蕎麦屋の出前を探してくれとか、高度成長期に活躍した伝説のエロ事師を探してくれとか、遊園地に流れるアナウンスの声の主に会わせてくれ、とか。ときには、都市伝説を解明するような奇妙奇天烈な依頼もある。
スタッフは所長も含めて3人。スキンヘッドの所長は見た目はこわいが実は人情家。過去についてはほとんど語らないが、昔から探偵稼業を続けているらしい。推定年齢は団塊の世代。浅草界隈を中心に裏の世界にもネットワークを持ち、協力者はヤクザの親分、ホームレスの元締め、変態性欲の現職刑事、エステ嬢、タクシー運転手、その他もろもろと幅広い。
村木タケシは、所長いわく「優秀な調査員」。酒に強く、話を聞き出すテクニックは超一流。電話一本で情報を集める所長とは違って、足で稼ぐタイプだ。
紅一点のメグミは美人受付兼事務員。おそらく20代半ばだが、年齢不詳で私生活も謎。物怖じしない性格で、所長や村木をいじることもしばしば。
この3人に加えて、馴染みのバー「KURONEKO」のママや、一癖も二癖もある下町の住人たちがサブキャラクターとして絡む。
事務所はそれなりに繁盛していて、依頼人は口コミや紹介だけでなく、大川を走る遊覧船から見る探偵社の大きな看板を見てやってくる人も。依頼人の不思議な相談に応え、所長や村木が独自の調査をする、というオムニバス短編形式になっている。
所長のポリシーで、浮気調査や身上調査など人の人生を左右するような依頼は原則NG。依頼人の夢を壊さないため、あえて嘘の報告をすることもある。まさに、人情ハードボイルドと呼ぶにふさわしいマンガだ。
『週刊漫画ゴラク』誌上で連載が始まった2007年は、「消えた年金」が社会問題になった年。また、「サブプライムローン」の破綻でニューヨーク市場の株価が暴落。日本も大きな影響を受けた。大手食品メーカーや老舗料亭で食品偽装が発覚し、政治の世界では、与党幹部の不祥事が続き、参議院選挙では自民党が敗北……。世の中は迷走状態だった。
そんな時代を反映して、作品の根底には、地位やお金や、効率が優先される現代社会へのアンチテーゼが感じられる。古き良き東京・下町の名残を感じさせる浅草が舞台になるのもそのためだろう。
どのエピソードも泣かせるが、筆者が好きなのは第29話「もらい乳」だ。
依頼人は平凡なサラリーマン。しかし彼は、「父親は女を手当たり次第にナンパして妊娠させる中途半端なヤクザものだった」と切り出した。彼は、父親が誰とも知らない女性に産ませた子どもだった。生後2週間で女性から父のもとに送りつけられ、その後は、ちょうど子どもが生まれたばかりだった隣家の夫婦からもらい乳をしながら育てられたのだった。5年前に死んだ父親からそのことを聞かされた男は、もらい乳の母にお礼をしたいので夫婦のことを調べて欲しい、と調査依頼をしたのだった。
調査を終えた村木は、大川端の桜の下で、男に結果を報告する。もらい乳の母は数年前に亡くなったが、男と左右の乳房を吸ったのは女性で、コンタクトがとれた、と。そして、……。
ほかにもいい話、考えさせられる話、むふふとなる話が詰まっている。男と女、人と人の結びつきが、良くも悪くも面白くなるマンガである。
【アイキャッチ画像出典】
『リバースエッジ 大川端探偵社』ひじかた憂峰・原作 たなか亜希夫・マンガ/日本文芸社 第1巻表紙