まほうじんぐるぐる
魔法陣グルグル
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あらすじ

勇者マニアの父に育てられた少年ニケ(勇者:レベル1HP10MP0)と、魔法オババに育てられたミグミグ族の少女ククリ(魔法使い:レベル1HP6MP8)。そんな2人が出会ったとき、摩訶不思議な恋の魔法が発動し、壮大な冒険物語の幕が上がるのだった!お約束キャラの『キタキタおやじ』に『さっぱり妖精』、某国民的ゲームを思わせるツッコミウィンドウなど、思わず吹き出すネタが散りばめられたRPG風ギャグファンタジー。

ユニセックスのスクエニを決定づけた作品

少年ガンガンを筆頭に出版部門を持つスクウェア・エニックスは、どーもファンタジーものではあるが少年漫画とも少女漫画とも言い難い、ユニセックス的な漫画が数多い出版社というイメージがあるのだが、そのイメージを決定づけたのはこの作品だと思う。 世界観は実にRPG的なファンタジーものであり、現在でこそなろう作品を筆頭に数多くあふれているが、当時は割と珍しかった。 また主人公も男女二人制で物語を引っ張っていくのは男性のニケだが、ラスボスである魔王との因縁はむしろ女性であるククリの方が多く、ともすればシリアス方向に行きそうな要素も多いのだが、全編に渡りギャグが散りばめられていて、少年漫画的な痛快さと少女漫画的な繊細さを吹っ飛ばすほど強烈なギャグが多い。 全体的にはRPGの「お約束」を逆手に取ったり茶化したりと、ゲームに対するツッコミがボケ化しているような部分が多いが、言葉遊びのセンスが凄い部分も多い。 とにかく笑えるのだが、根底には少年少女の成長や旅の出会い等の王道的な冒険要素も多く、読んだ後は意外と心地よい読後感…にもギャグを叩きこんできていて、暗く重い雰囲気はとにかく薄い。 この明るく軽い雰囲気は現在でも独特な物があり、絵柄は安定しないが全体的には可愛い系で、女性も読む少年漫画という当時は独特な地位を持っていた。 一迅社系等ユニセックス的な漫画は現代では珍しくも無いが、スクエニ漫画のそういうノリを築いたのは、タイミングや内容的にもかなりこの作品の影響がデカいのではないかと思う。 後半は若干息切れというかギャグのバランスが崩れている部分も有るが、ストーリーはしっかり完結していて爽やかに終了している。 …のに、続編が出ていて、その爽やかさすら笑いにしていたりするのだが。

ピサ朗
ピサ朗
今日から俺は!!
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あらすじ

「この転校をキッカケに俺は…」今までさえなかった三橋は目立ちたい一心で金髪パーマでツッパリデビュー!そんな三橋の前にもう一人の転校生、トンガリ頭にマスクでキメた伊藤が現れて……。金髪とトンガリ頭の最強ツッパリコンビが繰り広げる青春不良コメディ!

きせいじゅう
寄生獣
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あらすじ

ごく普通の高校生・新一は、ある晩部屋で、ヘビのような生物を発見する。叩き潰そうとしたその生物は、新一の右手に侵入してきた。その生物の正体は、他の動物の頭に寄生して神経を支配する寄生生物だった…!寄生に失敗し、新一の右手に寄生したミギーと新一の奇妙な生活が始まる。やがて二人は、お互いの命を守るため、人間を食べる他の寄生生物と戦い始める…。全人類必読!未来への警鐘の書が登場!!

不徹底と言う名の慈悲

「人間が何故泣くのか分かった。俺には涙は流せないが」-『ターミネーター2』  再読して思ったがつくづく不思議な漫画だ。今現在の漫画は『童夢』を一つの里程標として映画的な立体を備えた場面や編集(コマ割)で事件を描きその「アクション」で以てテーマを射影するのであるが、『寄生獣』はそれに比べると余白が多い。ならば、手塚治虫のような捲し立てる戯曲風かと言えば、やはりあの余白やコマの多さを考えるとそうでもない。  モノローグの豊かさや情報の緩急のコントロールは正しく他の作家の系譜と言い切れない、アラン・ムーアやフランク・ミラーとかとは意味が異なるが正しく「グラフィック・ノベル(絵のついた小説)」とでも言うべきものだった。  この作品の「結論」が出るのは恐らく「田村玲子」の死亡からだと思う。田村は一種の心尽くしとして拳銃弾の雨に背を穿たれている最中に、回避、防御され二の次にしながら新一の亡くなった母の顔を模し彼に「不格好でもパラサイトも他人を慮れる」事を示しその心を解し、ミギーを驚愕させる。即ち、パラサイトが「人間味を持てる」事を示したのだが、その反対に市長の広川(パラサイトと共存していない純粋な人間)はディープ・エコロシー(敢えてこう言えば地球と言う自然全体の保護のために人間の淘汰さえ辞さない発想)に基づく、或いはナチス・ドイツさえ彷彿とさせる虐殺と管理を提唱し、人間でありながらパラサイトと誤認される。  要するに、「相手に対する慮り」こそが「人間」の得難い性癖であるが、それは人間の条件や特権ではないと言う事、それを元に環境を考えなければならない事がこの作品のテーマだと思う。  恐らく、最初は広川的なディープ・エコロジーこそが結論だったのかも知れないが、彼の示す如き全体主義を現出させる事に気づき、涙ながらに後藤を殺める新一が新たに象徴として浮き上がったのだろう。  私はこの変遷を見て『ターミネーター2』を思い出した。この映画も「歪な生き物」が現代社会に登場し、人間の過ちや罪深さを浮き彫りしていくのだが、ターミネーターが「命の大切さ」を学んだ事―又はこれを通してサラが未来の為と言って他人を殺める事は出来なかった―で黙示録を回避できるのではないかと言った希望が紡がれる所で終わる。  広川やスカイネット的な計画と管理ではなくこの「感情」を軸にした他者へのシンパシー、自己の尊重こそが世界的な終末を避けると言う結論はあるいは失敗するかもしれないが、岩明やキャメロンのようにそれに賭けるべきなのかもしれない。その面でもいい漫画だと思う。 P.s 投稿より約9時間後、「「相手に対する慮り」こそが「人間」の得難い性癖であるが、それは人間の条件や特権ではないと言う事」、「広川やスカイネット的な~」との文言を追加、編集

阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)

誰もが認める名作「寄生獣」

人に寄生し、その体を乗っ取り、人間を捕食していく謎の生物…これだけ言うとホラーの趣がありますが、これはヒューマンドラマです。 テーマも環境問題がどうのと言う、今の時代ではありふれた陳腐な物に感じられるかも知れませんが、逆にそれが寄生獣(パラサイト)の「自然の摂理」的な物を感じさせます。 パラサイトには悪意があるわけではなく、単に「この種を食い殺せ」と言う本能に従っているだけなので、弱肉強食の摂理に従えば、彼らは普通に生きているだけと言うことになります。 つまり彼らも自然の一部なのです。 それが環境を破壊している人間へのカウンターとしての生物なのかが分からないため、パラサイト当人達も「我々は何故こうして生きているのか」と考察する者もおり、中々深いです。 結局、パラサイトの中で一番の能力を持ち、リーダー格である「後藤」は、環境破壊の権化である、ゴミ捨て場の毒を主人公に打ち込まれてトドメを刺されますが、これも皮肉が効いています。 主人公に寄生し損ね、共同生活を送ることになる「ミギー」にも妙な愛嬌があり、明言はしませんが、最後彼らがどうなるかは涙無しには見れないかもしれません。 名言や名シーンの多い漫画でもあるので、それだけでも読んで損はしないでしょう。 作者の岩明氏の絵も、人間と人間で無い何者かの違いがきちんとわかる辺り凄いです。 特別綺麗とか特別美しいとかそういうのではありませんが、生きた眼とそうでない眼の描写が抜群に上手い。 視線だけで「コイツはヤバイ」とか「コイツ人間じゃねぇ」と言うのを分からせるのは類い希なるセンスだと思います。

名無し
ぎゃらりーふぇいく
ギャラリーフェイク
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あらすじ

贋作専門の画廊「ギャラリ-フェイク」のオ-ナ-・藤田玲司のもとに、衆議院議員の梶がモネの「つみわら」の真作を売ってほしいと商談を持ちかけた。フジタは贋作だけではなく、裏では美術品のブラックマ-ケットに通じ、盗品や美術館の横流し品を取り引きしていることを知ってのことだった…。美術界を舞台に繰り広げられる、芸術をめぐるミステリー!!

じょじょのきみょうなぼうけんからーばん001
ジョジョの奇妙な冒険 第1部 カラー版
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あらすじ

19世紀末英国。貴族・ジョースター卿は恩人の息子、ディオを養子にする。しかしディオはジョースター卿の実の息子、ジョナサン(ジョジョ)を退け、財産の横取りを計画!謎の石仮面でジョジョを殺そうと画策する。

『ジョジョ』の基本思想が詰まった始まりの部

大ヒット漫画『ジョジョ』の 記念すべき開幕を告げる部 ではありますが、 ファンの人でもわざわざ読み返すことは あまりないのではないでしょうか? 私の周りでも「1部が一番好き!」 という人は1人もいません。 確かにその後の部に比べて バトルも地味なものが多く 現代から見ると時代を感じるキャラクターが多いので若い人たちが見ると 物足りなさを感じてしまうのは 仕方ないことだと思います。 しかし、今回久々に読み返して 私はビックリしました! 第1部にはこの後30年近く貫かれ続ける 「ジョジョの基本思想」が 詰まっていたのですッ! それは3巻で語られる ツェペリさんの3つの教えです! ①相手の立場に身を置く思考。 ②「勇気」とは怖さを知ること  「恐怖」我がものとすること。 ③「成長」には犠牲が付き物  「犠牲」成長につなげられる人間こそ   美しい人間である。 おそらく『ジョジョ』はこの3箇条をもとに 作られているのでしょう。 相手の立場に身を置くことで、 敵キャラの造形を 細かく描写することができる。 そして、「恐怖」を我がものとする。 つまり、克服しようとするからこそ 「ホラー映画」に影響を受けた シーンづくりをする。 そして、ジョジョたちが犠牲を成長に つなげていくからこそこの漫画は 「王道」なのだと思います。 これらの基本思想があり、 そして、ジョナサンの正義漢としての描写も 少し過剰ではありますが、 キチンと入っています。 このジョナサンの過剰なまでの 「いい子」「正義漢」描写があったから 後のジョジョはどんなに不良でも ジョナサンの子孫だからという 土台の安定感から ヒーローとして自然に 読者に迎え入れられる のではないでしょうか? そんな感じで、あの『ジョジョ』の 始まりの部がただの旧時代の 漫画の訳がありません。 一回読んだだけで その後読み返してないという人は 是非一度読み返してみてください! 自分の好きな 『ジョジョ』のエッセンスが 生まれた瞬間を 何個も発見できると思います!

TKD@マンガの虫
TKD@マンガの虫
さきがけおとこじゅく
魁!!男塾
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あらすじ

過激なスパルタ教育を施す「男塾」を舞台に、剣桃太郎(つるぎ・ももたろう)を中心とした男気溢れる塾生達の活躍を描いたバイオレンスアクション。行き場を無くした全国の不良少年達を集めて、過激すぎる軍国主義教育を施す男塾。その一号生筆頭である桃太郎は教官に目を付けられて、民家があっても破壊しながら突き進む男塾名物の直進行軍で、直進の先にあるヤクザの組事務所へたった一人で突撃するように命令されて……!?

ゆうゆうはくしょからーばん
幽★遊★白書 カラー版
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あらすじ

教師も手をやく不良の浦飯幽助。ある日子供を助けて事故にあい、幽霊になってしまう。予定外の死に閻魔大王は、生き返るための試練として、人の心を映す霊界獣の卵をかえすことを命じるが…!

じょじょのきみょうなぼうけんからーばん004
ジョジョの奇妙な冒険 第4部 カラー版
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あらすじ

1999年の日本。平和な地方都市杜王町に空条承太郎がやって来た。この町に住む高校生、東方仗助はジョセフの浮気で産まれた息子だったのだ。そしてこの町に無気味なスタンドが迫っていた…。

完全にジョジョワールドにハマりました。

元モノクロ版で「合わない」と感じ、そこまでジョジョが好きでなかった勢なのですが、カラー版で完全に目覚めました。きっかけはアニメ6部で「あれっなんかちょっと面白い」となり、そこから「ひょっとしてカラーだと印象違うのかも」と6部のカラー版で「面白いかも!」(モノクロ版で読んだときは「よくわからん話だな」という感想でした)に。続いて1部2部3部とカラーで読み、今回カラー版4部!!!今更ながら完全にジョジョにハマってます!! 最っ高!に面白かったです!3部が、地理的にも歴史的にも幅広い舞台だったのに対し、4部はS市杜王町という小さな町を舞台としたひと夏の物語。 けれども3部に負けないスケール感を感じるのは何なのでしょうか。しかもこれまでの中で一番コミカルタッチでちょっと学園もの(若干ビーバップっぽいノリも感じました)なんですが、人間ドラマをすごく感じる作品でした。 特に、主人公の仗助が、ラスト近くで傷ついた友人を抱えて逃げようとするのに対し、他の味方からの「自分だけでも助かるように友人を置いていけ」とのアドバイスに「さっきからうるせえぞッ」「〇〇とは気が合うんだ」と返す場面。 決して綺麗な言葉ではなく、素朴で捉え方によっては幼稚な物言いですが、確かに「気が合う友達」が一番大切だよな。と気付かされました。 私もよく一緒にいる気の合う友達には、どうしても甘えというかガサツな対応をしてしまうのですが、改めてその大切さを噛み締めようと思います。

酒チャビン
酒チャビン
かちょうしまこうさく
課長島耕作
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あらすじ

島耕作、34歳。新肩書、課長。出世にあくせくする気もないが、新しい椅子の座り心地はなかなか悪くない。島の所属する宣伝部の情報が、ライバル会社に漏れていた。それは、派閥絡みの社内政略にまで発展し、島は渦中に巻き込まれている自分を知る。さらに、浮気相手とタカをくくった女たちもあなどれない…スーパーサラリーマンのサクセスストーリーはここから始まった!!

改めて読んで感じる 島耕作の真の魅力

社会人1年目の時、尊敬していた先輩に勧められたマンガがある。 「ゴルゴ」と「ブラックジャック」そして、この「島耕作」である。 ゴルゴとブラックジャックは、まだわかる。 どんなに辛いミッションでも、卓越した技術とプロ意識で達成させる姿勢を学べるからだ。 ひるがえって、この島耕作はどうだろう? 当時の自分は、前者2つよりも、日和見というか、なんともご都合主義だなぁと感じてしまった。 有りていにいってしまうと、 関係をもった女が抱えている問題のキーマンで、彼女の助けを借りて自体は好転してく という展開が多い印象だった。(実際多い) 主人公としても魅力が薄く、なぜこれを推したのか疑問であった。 あれから10年経った今、ふと思い出して再度読み直してみた。 もう、目からウロコであった。 ゴルゴ、ブラックジャックよりも見劣りしない確かな魅力が島耕作にはあったのだ。 それは、、 ・個人として卓越した能力をもっていないこと ・誰にも嫌われず、多くの人に好かれることで周囲から助けられる存在であること ・結果、組織(チーム)を率いることで大事をなすこと という点で、多くのサラリーマンにとって大変参考になることだと思う。 サラリーマン、というか、自ら事業を起こしている人でもない限り、 組織に帰属する人間は一人で何かをするなんてことはない。 仮に、一人でやったとしても、大きなことはできない。 島耕作は、場面場面で色々な人と出会い、もれなく彼を支える存在となる。 彼自身も、励まし、助け、結果として人に好かれる。 それが過去から連続していくと、大きな流れをつくっていくのだ。 そこに気づいた時、後に社長まで上り詰める彼の器の大きさを感じ取れたのである。 ゴルゴやブラックジャックのようなスバ抜けた能力のあるプロフェッショナルではない。 むしろ能力としては一般的なサラリーマンなので、いたって平凡だ。 だからこそ、真似るという意味での学ぶことが、前者二人よりも多いと思う。 自分はそう思う。 なにはともわれ、10年越しで読んだ島耕作に真の魅力を感じたおっさん一匹、ここにあり。 とりあえず社長の令嬢(隠し子)を探して、よろしくすることからはじめようと思う。 (結局、何も学んでない)

六文銭
六文銭
てんしなんかじゃないやざわあい
天使なんかじゃない
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あらすじ

冴島翠は新設の聖学園に通う元気な女の子。第一期生徒会の副会長になったが、会長はなんと気になっていた須藤晃に。生徒会の初仕事が学園祭に決まり楽しい毎日を送っていたが、晃にヒロコという彼女がいることを知り…?

ちびまる子ちゃん
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あらすじ

“さくらももこ”は小学3年生。とても小さくて女の子だから“ちびまる子ちゃん”とよばれている。そんなまる子ちゃんが、おかしな家族の人たちや学校のお友だちとくり広げる、愉快な日常絵日記コミック。

透明な作家さくらももこ

『ちびまる子ちゃん』で世に知られるさくらももこには隠れた名作がある。それは読み切り作品として『ちびまる子ちゃん』の各巻末に収録された『ほのぼの劇場』である(現在は文庫版にして上下巻にほのぼの劇場のみを抜粋したものがある)。 ほのぼの劇場は、いわば"永遠の小学3年生"まる子の前後譚であり、幼稚園生の頃からデビュー前後ぐらいまでの出来事がまちまちに描かれている。はじめて鼻血を出した日、マンガ家デビューが決まった日、小学6年生の運動会、盲腸になった日、高校3年生の失恋、はじめての雪遊び、はじめてディスコに行った夜、大好きな担任先生の転任、はじめての一人暮らし、ある友人の転校、受験生の夏、等々、能天気に小学3年生をくりかえす『ちびまる子ちゃん』本編とはうって変わり、そのどれもが人生においてたったの一度切りしか起こりえない"あの頃"として描かれている。『ちびまる子ちゃん』にしても作品背景こそノスタルジックなあの頃にはちがいないが、ちびまる子ちゃんはあくまでも過去を振り返らない現在進行形であり、つまり現在から果てのない未来に向かって描かれ、それゆえに"永遠の小学3年生"でありつづける。いっぽうで『ほのぼの劇場』は、起こってしまった一度切りのかけがえのない体験を、つまりもはや取り返しのつかない不変の過去を現在から観照して描いている。 『ほのぼの劇場』を読んでまず読者は、小学3年生時点からみて過去のまる子/未来のまる子が「まる子」と呼ばれていないことに驚きを隠せない。ここではあの馴染みのまるちゃんが「ももこ」や「ももこちゃん」や「ももこさん」と呼ばれているのである。"ももこ"とはもちろん作者さくらももこの"ももこ"にほかならない。ところが驚くもなにも、まる子にしても単にあだ名として呼ばれているだけで、それは確かにさくらももこであり、つまり少なからず作者自身の投影として描かれている。あえて作品世界の繋がりを尊重するならば、まる子=さくらももこは小学3年生のときだけあだ名"まる子"で通っていたことになるが、しかしそれにしても『ちびまる子ちゃん』に登場するさくらももこ、『ほのぼの劇場』に登場するさくらももこ、このふたつのさくらももこは単に時間軸の隔たり以上に異質さをもっているように思われる。そもそも『ちびまる子ちゃん』の劇中のまる子=さくらももこというものに対して、作者さくらももこという存在は、作品の内外のそこかしかこに介在していながらあまりに希薄すぎはしないか。平仮名で書かれた"さくらももこ"というベタすぎるペンネームからして他の文字群に混ざって雲散霧消してしまいそうである。つまり『ちびまる子ちゃん』にとって主人公まる子は作者の投影でありながら、そこに作者は不在というより透明になり姿をくらましているのである。いっぽうで『ほのぼの劇場』の主人公には、単に名前の呼ばれ方がちがうという以上に、作者さくらももこの存在がそこここに見え隠れしているようには思われないか。『ほのぼの劇場』は透明な作家さくらももこが姿を現した唯一の作品ではありはしないのか。 ところで『ほのぼの劇場』から作者の人間くささがしてくるのは、それが現在から過去を描いていることに関係してはいまいか。過去というものは今ここには存在しない代わりに決定事項であり不変である。いっぽうで未来とは可変である、可変であれば先行きはわからない。先行きがわからないという意味での不透明という言葉があるが、透明すぎても何もみえない。さくらももこの透明性とは実はこのどこまでも続く現在進行にあるのではないか。

影絵が趣味
影絵が趣味
ゆうゆうはくしょ
幽★遊★白書
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教師も手をやく不良の浦飯幽助。ある日子供を助けて事故にあい、幽霊になってしまう。予定外の死に閻魔大王は、生き返るための試練として、人の心を映す霊界獣の卵をかえすことを命じるが…!