マンガ酒場【17杯目】酒好き漫画家の執念に気が遠くなる◎梅吉『一杯では終われません』

 マンガの中で登場人物たちがうまそうに酒を飲むシーンを見て、「一緒に飲みたい!」と思ったことのある人は少なくないだろう。酒そのものがテーマだったり酒場が舞台となった作品はもちろん、酒を酌み交わすことで絆を深めたり、酔っぱらって大失敗、酔った勢いで告白など、ドラマの小道具としても酒が果たす役割は大きい。

 そんな酒とマンガのおいしい関係を読み解く連載。17杯目は、酒好きすぎる漫画家が日本全国の地酒を飲み歩く、梅吉『一杯では終われません』(2007年~08年)をピックアップしたい。

『一杯では終われません』

 タイトルどおり、酒好きの女性漫画家(札幌在住)が全国の酒蔵を訪ね歩き、一杯では終わらず二杯三杯、何なら五杯六杯七杯八杯と、しこたま飲んではベロベロになるさまを描いたエッセイマンガ。北海道・増毛(ましけ)町にある日本最北端の酒蔵・國稀(くにまれ)酒造を訪ねた第1話からして、いきなり「『酔える』という理由でテキーラばかり飲んでいたくらいの酒好きです」と自己紹介し、「なので どんどんください」「あ 高めの酒ももらえます?」って、もはや試飲ではなくタカリである【図17-1】。

【図17-1】試飲なのに「8杯目」。さらに高めの酒を要求。梅吉『一杯では終われません』(講談社)p13より

 岩手県の道の駅の試飲コーナーで飲みまくる作者に“心の猫”(旅に同行しているかのように描かれる飼い猫)が「いつも思うけど遠慮って知ってるか?」とツッコむ。が、作者は怯むどころか、「あ? そこに飲んでいい酒があるのになぜ飲まん 一度口を開けたら風味がとぶ 早めに飲んであげねば これは酒の供養 おいしくいただいて供養をして」と屁理屈をこねて、また飲むのだった。

 そんなふうに好きな酒をガバガバ飲んでマンガに描いてお金がもらえるとはうらやましい、漫画家ってのは気楽な商売だな……と思う方もいらっしゃるかもしれない。

 しかし、このマンガはただのマンガじゃない。【図17-1】を見て気づいた人も多いと思うが、なんと全編「切り絵」で描かれて――というか切られているのだ! 人物や背景はもちろんセリフの文字まで、すべて切り絵。その手間たるや、想像するだけでも気が遠くなる。ネーム等は別にして、単純に切る作業だけで一枚8時間から20時間以上かかるときもあるという。原稿料が一枚いくらか知らないが、時給に換算したら、たぶん最低賃金以下だろう。「この日 東京で1200人が集まる新酒きき酒会がおこなわれた」というページでは、1200人には足りないが、実に974人の姿が切られている【図17-2】。

【図17-2】正気の沙汰ではない。ポーズの違うやつがいるのにも注目。梅吉『一杯では終われません』(講談社)p38より

 切り絵ゆえ文字もすべてつながっていて最初は少々読みづらいが、慣れてしまえば問題ない。全編を版画で彫り、版画であることがギャグにもなっていた唐沢なをきの怪作『怪奇版画男』に比べれば、「なぜ切り絵?」という疑問は残るが、そこは本人も「切り絵が好きだから」としか言いようがないに違いない。

 切り絵に対する執念と同じくらい、酒に対する執念もどうかしている。寝台特急に8時間揺られて駆けつけた青森県・丸竹酒造の蔵開き(新酒飲み放題)では、女一人で居心地悪さを感じながらも、ひたすら飲みまくるうちに地元のおっさんたちに溶け込み、なぜか津軽弁もヒアリングできるようになり、気がつけばどこかの居酒屋でさらに飲み、さらに気がつけば誰かの家で犬をなでながら飲んでおり、そして気がつくと帰りの寝台列車に乗っていた。おまけに帰宅してカバンを開けたら酒2本と酒粕が入っていたというのだから、作者も作者だが地元のおっさんたちもどうかしてる。

 そうかと思えば、二日酔いの体にムチ打って180銘柄が飲める利き酒会に参戦。よさげな飲み屋を見つけたらすかさず入る。「酒好きは皆友達」を合言葉に、いつでもどこでも誰とでも、酒さえあれば打ち解ける作者の楽しげな姿は酒好きの鑑。酒蔵の個性的な社長や各地の酔っぱらいたちの描写もいい味出している。

 なかでも作者が「悪魔」と呼ぶ、近所の酒屋のおかんが最強(最凶?)だ。「日本酒なんて飲まなきゃわからないんだから♥」と客に注ぎつつ自分も飲む。「営業中に吐いたことあるけど」とボソッとつぶやくおかんに「うわぁ迷惑」と引く作者。が、「お酒なのよ? 酔うモノなのよ? 酔って吐いてなにが悪いの?」「酔って記憶とストレスなくして」「二日酔いでもこりずに飲んで」「コケてアザつくって」……と身に覚えあることを畳みかけられれば、耳をふさいでひれ伏すしかない【図17-3】。

【図17-3】「人間だもの」ですべてを片付けるおかん。梅吉『一杯では終われません』(講談社)p31より

 圧巻は連載のフィナーレを飾る「あこがれ酒旅」だ。高速バスの6日間乗り放題切符を利用して、札幌~福岡~三重まで、各地の酒蔵や飲み屋をめぐりながら6泊7日(うち3泊は車中泊)、移動距離約5200㎞の往復弾丸酒飲みツアーを決行するのだから、アンタはマゾか!とツッコみたくもなる。

 というか、そもそも切り絵でマンガを描こうなんて発想自体がマゾである。本人も「切り絵漫画なんてマゾじゃないとやらねーか」と言っているし、巻末には「切り絵漫画作製現場」の解説マンガが収録されているが、そこに掲載された写真を見ても意味がわからないぐらい意味がわからない。これは何かの罰ゲームなのか。しかも、この切り抜き作業をやっている間だけは、絶対に酒は飲めないはず。マンガの中ではだらしない酒飲みだが、こと執筆(切り抜き)に関しては、二重の意味でストイックなのであった。

 あとがきで「たぶん世界初の切り絵漫画単行本に!」「ギネスに載らないかな?」と記しているとおり、マジでギネスに載ってもおかしくない。前代未聞、空前絶後の飲み歩きエッセイマンガである。

 

 

記事へのコメント

唐沢先生の場合、赤塚先生から師匠のとり先生に至るまでのギャグの実験の系譜でまだ理解出来る部分もありますけど、切り絵は純粋に表現でしょうしねえ…。その手間に感服します。

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