早いもので2020年も半分が過ぎた。今年は早々からコロナ騒動に見舞われたこともあって、例年以上に何がなんだかわからないうちに気づいたらもう折り返し地点という感が強い。
コロナ騒ぎと関係があるのかないのか、今年は世界中で大きな事件が立て続けに起きている印象である。新型コロナウイルス感染症の感染者と死者が世界でも群を抜いて多いアメリカでは、コロナ禍まっただ中の5月25日、ミネソタ州ミネアポリス近郊で白人警官が黒人男性ジョージ・フロイドを窒息死させるという事件が発生した。「ブラック・ライヴズ・マター」を合言葉にたちまち抗議行動が繰り広げられると、改めて人種差別を非難する運動としてアメリカ国内に留まらず、世界中に飛び火し、大きな議論を呼んでいる。
「ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)」とは、「黒人の命は大切」、「黒人の命こそ大切」などと訳されるスローガン。2012年2月、フロリダ州サンフォードで黒人の高校生トレイボン・マーティンがヒスパニック系の自警団員だったジョージ・ジマーマンによって射殺されるという事件が起きたが、裁判の結果、殺害者が無罪となったことをきっかけに、黒人の命を軽視する警察組織を糾弾する運動として、2013年7月からソーシャルメディア上で展開されるようになったのだという。
その後もアメリカの警察が黒人の命を軽視し、黒人に対して暴力を働く事件は相次ぎ、その度にこのスローガンが取り上げられた。今回、ジョージ・フロイドの事件が起きるに及んで、これまで以上に広く注目を浴びたというわけだ。
もっとも、警察と黒人の関係に焦点が当たったのは、2012年のトレイボン・マーティン射殺事件が最初というわけではない。筆者が個人的によく覚えているのは、1991年3月に起きたロドニー・キング事件。複数の白人警官がよってたかってひとりの黒人男性に暴行を加える映像は衝撃だった。後に裁判が行われたが、暴行を働いた警官たちは無罪となり、そのことが1992年4月に起きたロサンゼルス暴動の引き金になった。
白人警官の黒人市民に対する暴力は、もちろんそれが最初でもない。ロドニー・キング事件のはるか以前から幾度となく繰り返されてきたし、警官どころか白人市民が本来対等であるはずの黒人市民に大っぴらに暴力を働いていた時代だってあった。改めて言うまでもなく、黒人差別はアメリカにとって非常に根深い問題なのだ。
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根深い問題であるだけに、このテーマをめぐっては日本語でもいったいどれから読めばいいのやらと言いたくなるほどたくさんの本が出版されている。この機会に、ブラック・ライヴズ・マター運動を生んだアメリカにおける黒人差別の概要や歴史的背景に、まずは手軽にアクセスしたい。そんな人にうってつけの、それこそ格好の入門書となってくれるグラフィックノベルがある。ジョン・ルイス、アンドリュー・アイディン作、ネイト・パウエル画『マーチ』(押野素子訳、全3巻、岩波書店、2018年)である。
原書はアメリカのトップシェルフ・プロダクションズ社から、第1巻が2013年、第2巻が2015年、第3巻が2016年にそれぞれ出版された。2010年代に出版されたまだ比較的新しい作品だが、アメリカで最も権威のある文学賞のひとつ「全米図書賞」をグラフィックノベルとして初めて受賞したり(児童文学部門)、コミックスファンにはおなじみの「アイズナー賞」の最優秀実話作品に輝いたりと、既に古典としての風格はたっぷりである。
作者は原作のジョン・ルイスとアンドリュー・アイディン、作画のネイト・パウエルの3人。
ジョン・ルイスは1986年以来ジョージア州5区の米国下院議員を務めている政治家で、本書で語られる1950年代半ばから60年代半ばにかけて公民権運動のまさに渦中にいた人物。公民権運動を率いた「ビッグ・シックス」と呼ばれるリーダーのひとりで、キング牧師の「私には夢がある」というあの演説で有名な1963年8月のワシントン大行進では、彼もまた演説をしている。本書は、アメリカにおける黒人の立場を大きく変えることになったその公民権運動を渦中にいたジョン・ルイスの目を通して語った作品で、彼の半生を描いた自伝でもある。ジョン・ルイスは昨年末にすい臓がんを患っていることを公表していたが、つい先日、2020年7月17日に80歳で亡くなった。
ジョン・ルイスに劣らず興味深いのは、ともに原作者にクレジットされているアンドリュー・アイディンの存在。日本語版の版元である岩波書店の特設ページに著者インタビュー(『MARCH』著者インタビュー① J.ルイス&A.アイディン、『MARCH』著者インタビュー② A.アイディン)があってめちゃくちゃ面白いので、ぜひそちらで詳しく読んでほしいが、アンドリュー・アイディンは、2007年にジョン・ルイスのメール返信係として働き始め、その後、2008年にジョン・ルイスの再選キャンペーンに際して、ソーシャルメディアなどを担当する広報責任者/報道官となった。あるとき、スタッフたちと選挙が終わったら何をするという話になり、コミックスが好きな彼がコミックスの祭典として有名なサンディエゴのコミコンに行くと言って皆から笑われると、ジョン・ルイスが60年代の公民権運動のときにも『キング牧師とモンゴメリー物語』というコミックブックがあって、絶大な影響力を誇っていたと話してくれたのだという。キング牧師のコミックスがあったのなら、ジョン・ルイスのコミックスがあってもいいはずだと考えたアイディンは、ジョン・ルイスを説得し、こうして彼も名前を連ねる形で、本書の企画がスタートした。
公民権運動についてのグラフィックノベルなどというと、いささか堅苦しい印象を与えてしまうかもしれないが、本書は公民権運動を生きた当事者の自伝。言わば、アート・スピーゲルマン『完全版 マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(小野耕世訳、パンローリング、2020年)やジョー・サッコの『パレスチナ』(小野耕世訳、いそっぷ社、2007年)、マルジャン・サトラピの『ペルセポリス』(全2巻、園田恵子訳、バジリコ、2005年)、アリソン・ベクダルの『ファン・ホーム~ある家族の悲喜劇〈新装版〉』(椎名ゆかり訳、小学館集英社プロダクション、2017年)といった自伝的なグラフィックノベルの系譜に連なる作品なのだ。そしてそれが、ジョン・ルイスのソーシャルメディアを担当していたコミックスファンの報道官のイニシアティブで誕生したというのが面白い。公民権運動の時代に出版されていた『キング牧師とモンゴメリー物語』は、キング牧師の思想を広く知らしめ、子どもたちを楽しませながら教育するメディアだったはずだが、この『マーチ』という作品においても、マンガのそういった可能性が自覚されていないはずはない。しかもそれが、自伝的グラフィックノベルという現代のトレンドを踏まえた作りになっているのだから、実によくできている。
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既にお伝えしたように、本書は全3巻。巻を追うごとにページ数は増えていき、全体で550ページ近くにも及ぶ長大な物語である。以下に全体のイメージを掴みやすいようにその概略を示しておこう。
物語はアラバマ州セルマにあるエドモンド・ペタス橋から始まる。黒人と白人からなるデモ集団が列をなして橋を渡っていく。先頭に立つのは本書の原作者ジョン・ルイスに他ならない。橋を越えたところには彼らの行く手を遮るようにアラバマ州政府が派遣した警官隊が待ち構えている。やがて警官隊は警棒を振り上げ、集団に向かって突撃する――。
これは1965年3月7日にセルマで行われたデモ行進の一幕である。映画『グローリー/明日への行進』がこのセルマの行進をテーマにしていて(そもそも映画の原題は他ならぬ『Selma(セルマ)』である)、このシーンも登場する。多くの負傷者を出したこのデモ行進は、「血の日曜日事件」と呼ばれる。その前年、1964年7月に公民権法が成立し、公共の場での人種差別や大企業における人種による雇用差別は禁止されるようになったものの、アメリカ南部の黒人は相変わらず選挙に必要な有権者登録を済ませることができなかった。黒人のみを対象にした恣意的な「識字テスト」など、有権者登録を阻む嫌がらせが横行していたのだ。黒人には白人と対等な投票権はなかった。この行進は、その投票権を獲得する活動の一環として行われたもので、1955年のモンゴメリー・バス・ボイコット事件あたりから活発になっていく公民権運動のクライマックスをなすものだった。
続いて場面が一変する。2009年1月20日。アメリカ初の黒人大統領バラク・オバマの大統領就任式当日。準備を整えたジョン・ルイスはワシントンD.C.にあるキャノン下院議員会館に向かう。大統領就任式を見にはるばるアトランタからやってきたという母子がルイスのオフィスを訪れる。子どもたちに黒人の歴史を見せてやりたいのだという。するとジョン・ルイスはオフィスに飾られた写真を見せながら、自分が辿ってきた歩みを彼らに語り始める。
こうして本書は、オバマ大統領の就任式という歴史的な一日とジョン・ルイスの回想を行き来し、それこそ隔世の感のある両者の対比を際立たせながら、セルマの行進でクライマックスを迎える1950年代から60年代半ばにかけての公民権運動の時代を生き生きと描いてみせるのである。
「非暴力の闘い」と題された第1巻が描くのは、まずは1940年に生まれたジョン・ルイスの幼少期とその時代に黒人たちが置かれていた状況である。1955年、彼が高校生のときにモンゴメリー・バス・ボイコット事件が起きた。やがてナッシュビルのアメリカン・バプテスト神学校に進学した彼は、ジム・ローソンという若い活動家を通じて非暴力主義を知る。1960年2月7日、ジョン・ルイスと仲間たちはナッシュビルの飲食店のランチ・カウンターで食事を注文する「座り込み」という活動を行う。当時、南部では人種隔離が横行していて、黒人がランチ・カウンターで食事をすることは許されていなかったのだ。やがて彼らは「学生非暴力調整委員会」(SNCC=スニック)という団体を設立し、この「座り込み」を皮切りに公民権をめぐるさまざまな活動を行っていくことになるのである。
「ワシントン大行進」と題された第2巻が描くのは、まずは1961年5月4日に始まった「フリーダム・ライド」。これは、バスとバスターミナル内での人種隔離と人種差別を禁じた「ボイントン対ヴァージニア州」裁判の判決の効力を確認するために行われた活動で、複数の黒人と白人からなるグループがワシントンD.C.から南部のニューオーリンズまで長距離バスで移動するというものだった。一行はアニストン、バーミングハムと旅先で立て続けに白人たちの暴力に見舞われ(ミシシッピ大学の白人教授ウォルター・バーグマンはそのときの後遺症で死ぬまで車椅子生活を送ったのだという)、ジャクソンでは逮捕され刑務所に収監されるが、彼らの勇気ある行動が世論を動かし、「ボイントン対ヴァージニア州」裁判の判決の遵守が命ぜられた。
ところが、1963年1月、人種隔離政策支持派のジョージ・ウォレスがアラバマ州知事に就任すると、「南部で最も差別の激しい街」バーミングハムでは、差別が苛烈さを増していく。同年6月にはジャクソンで公民権運動の重要なリーダーのひとりメドガー・エバースが暗殺される。時の大統領ジョン・F・ケネディも公民権法案を準備中だったが、調整に手間取っていた。そんななか、公民権運動の伝説的なリーダー、A・フィリップ・ランドルフが音頭を取る形で、必ずしも一枚岩ではない黒人たちの団結を促すために、同年8月28日、ワシントン大行進が行われる。既に触れたように、キング牧師の「私には夢がある」という演説で知られる行進である。
最終第3巻の副題は「セルマ 勝利をわれらに」。ワシントン大行進が大成功に終わってからしばらく経った1963年9月15日、アラバマ州バーミングハムの16番通りバプテスト教会で爆破事件が起き、4人の少女が亡くなり、多くの負傷者が出た。事態を変えるためには、ジョージ・ウォレス州知事を辞任に追い込み、黒人に投票権を与えなければならない。ジョン・ルイス率いるSNCCは、投票権年齢に達している黒人のわずか2.1%しか有権者登録をしていないアラバマ州ダラス郡セルマで、状況を改善するためのデモ活動を行うことにする。
1963年11月22日、公民権法案を準備していたケネディ大統領が暗殺され、副大統領のリンドン・ジョンソンが大統領に昇格。南部出身で保守派のジョンソンが大統領になることで公民権運動の停滞が危惧されたが、彼はケネディの路線を引き継ぎ、翌1964年の7月2日に公民権法を成立させる。だが、その一方で、セルマでの有権者登録は遅々として進まず、同じように黒人の投票権を求める運動を展開していたミシシッピ州では、ボランティアの黒人と白人3人が行方不明になるという事件が起きる。数カ月後、彼らは変わり果てた姿で発見され、それが白人警官たちの仕業であることが判明する。ちなみにこの事件は映画『ミシシッピー・バーニング』のモデルとなっている。空恐ろしい映画なので、機会があればぜひ観ていただきたい。1964年12月、ノーベル平和賞を受賞したキング牧師がジョンソン大統領と会談し、投票権法の必要性を訴えるが、ジョンソン大統領は取り合おうとしない。こうして、1965年早々、キング牧師を巻き込む形で、セルマでの活動が活発化。徐々に緊張が高まっていくなか、本書の冒頭でも描かれた3月7日の行進が「血の日曜日事件」と呼ばれる惨事に終わるに及んで、事態は急展開を迎えることになる――。
なお、第3巻の内容は、映画『グローリー/明日への行進』とほぼほぼ重なっているので、合わせて観ると理解が深まると同時に、映画『グローリー/明日への行進』とグラフィックノベル『マーチ』の違いを楽しめるのではないかと思う。
以上が本書の概略である。長々と書いたが、これでもあくまで主要な事件を拾ったに過ぎない。この文章を読んで興味を持った人がいれば、ぜひ実際に作品を読んでいただきたい。本書『マーチ』は、ブラック・ライヴズ・マターの背景を知る意味でも、亡くなったばかりの偉大な公民権運動活動家ジョン・ルイスの業績を振り返る意味でも、一読の価値がある作品である。
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ブラック・ライヴズ・マターの盛り上がりの文脈で、本書を改めて読んで驚くのは、たとえそれが一部だったにしろ、当時の白人の黒人を人とも思わない理不尽さであり、その暴力の苛烈さである。公民権運動時代とは大勢がまるで変わっていることに疑いはないが、ジョージ・フロイド殺害のような事件が起きたときに、当事者たちから根っこの部分は何も変わっていないのだという批判が噴出するのも、ある意味当然なのだろう。
公民権運動は1965年、本書のクライマックスをなすセルマの行進後に成立した投票権法をもって一段落した。本書は投票権法の成立で終わった公民権運動の時代と2009年1月20日のオバマ大統領就任式をつなぎ、希望を感じさせる終わり方をしている。そのことは本書全3巻がオバマ大統領の在任中に出版されたこととも無関係ではないのだろう。これがドナルド・トランプ大統領の時代に出版されていたら、ラストのトーンは違うものになったのではないか。
投票権法の成立をもってすべてが解決するほど現実が簡単なものでないことは、もちろん言うまでもない。1960年代半ば以降、公民権運動が一段落すると、その非暴力主義への反動でもあるかのように「ブラックパワー」を合言葉にする過激派が勢力を伸ばし、アメリカ各地で暴動が相次ぐ。ちなみに筆者は、ちょうどそのブラックパワーの時代を舞台にしたシルヴァン・リカール作、ギヨーム・マルティネス画『マザーファッカー―あるブラックパンサー党員の物語』(原正人訳、誠文堂新光社、2017年)というバンド・デシネを翻訳しているので、興味がある方はぜひそちらも読んでみていただきたい。もっともこれは自伝ではなくフィクションである。その後、1980年代、90年代と時代が進むにつれて、状況は少しずつよくなっていったのだろうが、やはりすべてが解決したわけではない。そうした流れの果てにブラック・ライヴズ・マターが叫ばれる現在がある。
本書『マーチ』には作家のジェイムズ・ボールドウィンがほんのひとコマだけ登場する。ボールドウィンは1979年、公民権運動の時代から10年以上経って、『リメンバー・ディス・ハウス』という原稿を書き始めるが、30ページまで書いたところで筆が止まり、結局未完のまま放置されてしまう。それはアメリカについての本になるはずで、ボールドウィンの視点から本書にも登場する3人の公民権運動活動家メドガー・エバースとマルコムX、キング牧師を描いたものだった。後年それをハイチの映画監督ラウル・ペックがドキュメンタリー映画にまとめる。2016年に公開された『私はあなたのニグロではない』である。内容は当然のように『マーチ』とばっちり重なる。ところが、公民権運動に深く関わったわけではない観察者と自らを定義するボールドウィンが語る公民権運動は、ジョン・ルイスが語るそれと大部分重なりつつも若干異なっている。そもそも『私はあなたのニグロではない』の語り手のボールドウィンも、彼が語るメドガー・エバースとマルコムX、キング牧師も、公民権運動に関わったという点では一致しているが、その主張も方法もそれぞれ異なっている。今なお未解決で試行錯誤の途上にある人種差別という課題の解決の難しさを暗示しているようでもある。『マーチ』と『私はあなたのニグロではない』は互いに補い合うようにして、公民権運動をより立体的に見せてくれ、その意義と課題を浮き彫りにしてくれる傑作なので、ぜひ合わせて楽しんでいただきたい。
なお、筆者が編集長を務める海外マンガのニュースサイトComic Streetに寄せられたCJ・スズキさんの『マーチ』レビューがすばらしいので、そちらも一読をオススメしたい。
ジョン・ルイス、アンドリュー・アイディン作、ネイト・パウエル画『マーチ』―ブラック・ライヴズ・マターの背景と公民権運動活動家ジョン・ルイスの半生を知る