遭難したJKが無人島でサバイバルする漫画。JKサバイバルってもはや様式美というか、サバイバルといえばJKみたいなとこあるよね。 JK集団にひとり玄人がいて、多彩なサバイバル知識を披露してくれるので案外ためになる(遭難でもしないかぎり実践する機会ないかもしれんが)
※ネタバレを含むクチコミです。
可愛らしい新連載だなと思いました。 美術室にひとり籠って創作に没頭する美術部部長のつぐみは、ある日突然生徒たちの作品がなくなっていることに気づき、速攻犯人が判明するのですが…正体がモンスターでした!! そのモンスター、人を襲ったりなんて気は一切なく、人間界の美術作品を「キラキラした財宝」として手に入れたい!という一心なんです。可愛らしくて健全。 そしてそのまま「そんなに欲しいなら、作ってみればいいじゃない」なんて素敵な展開!!最初は折り紙から。可愛らしい!
娘をストーカーに殺された男の前に突如(あまりにも突如)現れた“改変者”と名乗る少女の手によって、「殺人者を殺せば、被害者が生き返る」世界に改変された第1話。 そして男は娘を殺した犯人を追うことになるのですが…サスペンスなのかどうなのか。 https://comic-days.com/blog/entry/yorisirotrunk この対談のなかで “ある話の後から、この作品の狙いがなんとなくわかってくると思います。” という鬼頭先生のコメント…気になりすぎる。
いまのところ普通の投資詐欺っぽいけど。。 流れが予定調和にならないか心配 純愛と投資学、最終的にどっちをとるかみたいな話なんだろうか
薩摩藩士が行った宝暦の治水工事を扱った漫画は平田弘史の「薩摩義士伝」とみなもと太郎の「宝暦治水伝」ぐらいしか知らなかったがまさかの中島徳博版があったの今日知った。基本の流れは他のマンガと同じだったが他のに比べて少年誌向けなのか色々わかりやすくに書いてあったりしてよかった。 宝暦治水漫画の「霧の柩」以外のも面白い
とくに何も考えず購入して読んだんですが、本編のプロトタイプ的作品だったんですね!じゃあいつ描いたものなんだろう…結構前ってことですよね。でも表紙は描き下ろし?こっちもこっちでいいなぁ。という感想です。 最中もずっと喋ってるのはヤマシタ先生の漫画だなって感じしますね。笑 同人誌を電子化したからか、スマホだと字がものすごく読みづらいのでそこだけ注意です。
最近週刊少年サンデーを読むんですが、この作品がお気に入り! RPGでよくある捕らわれた姫って何してんだろ? って疑問に思う人は読んでみるべし。 あぁ、思っていたより自由なんだな… いやいやいや…
”『レッド』完結から2年、山本直樹の辿り着いた、結論にして新境地。”という帯のふれこみに期待して、ストーリー漫画+エロくらいの気持ちで買ったのだが、最初から最後までガチガチのエロマンガだった。山本直樹の本を買ったつもりが、蓋を開けてみたら森山塔のマンガだったのだ。新境地=ロリってことなのだろうか?まあ、川端康成だってロリ小説書いてたのだから同じようなものかもしれない。 よほどレッドの執筆でストレスが貯まってたのか、エロが描きたくて仕方ないんだっていう気持ちが抑えきれず、吹き出しているかの如し。60代にしてこれほどのリビドーがまだまだある山本直樹、恐るべしといった感じだ。 繰り返しになるが、このマンガの大部分はエロだ。しかし単なる性表現に留まらないノスタルジックで儚げな描写も多い。だけど真面目に官能的な表現を分析をするのも何だか気恥ずかしい。山本直樹氏も、『ただのエロマンガです』とコメントを残してるし、それ以上の何かを見出そうとするのも野暮かもしれない。 https://cdnx.natalie.mu/media/news/comic/2018/0515/inaka_0002_fixw_640_hq.jpg
主人公に対して、ひとつの目的のためにここまでやるか…という呆れと恐怖は感じたけれど、今の時代、これはやろうと思えば誰にでもできることだな、とも思いました。 個人的な考えとしては美容整形はもっと一般的なものになればいいと思うし、罪なことではないと思うけど、この漫画では他人に認められるために、それには見た目が美しくあればそれでいいと思った結果、面影もなくなるほどに顔を変えてしまう女の子が主人公。彼女は好きな人に近づくためにあらゆるネットワークを駆使して個人情報を手に入れ、様々な悪意にも触れながら、やっと意中の彼を手に入れます。しかし、そんなやり方でここまできたものだから、彼の「人を傷つけない」というポリシーを信用できないのは当然だよなーと、思ってしまいますね。 そしてその好きな人にフラれた腹いせに最悪なかたちで復讐をしてしまいます。 とにかく闇雲に、特定の人間を手に入れるためだけに突っ走ってしまった彼女にも、美しい顔が傷つこうと失いたくない存在がいてよかったなと思えたラストでした!
若い人たちはご存じないかもしれませんが「江戸城天守閣の再建を!」といったスローガンは、昭和戦後の昔から、日本が不景気になるたびに、たびたびあがった話です。でも、天守閣再建の話が、具体的な計画になったことは、ほとんどなかったわけです。
作品公式ツイッター https://twitter.com/ashimeshi 作者の食事専用ツイッター https://twitter.com/yase_masyou 前連載「めしにしましょう」で太ってしまった作者が、今度はダイエット企画連載。作者が食べたものを記録するだけのツイッターアカウント見てるだけでもなんか面白い。
2018年の夏の甲子園といえば、金農旋風が世を席巻しましたが、農業高校が9人の固定メンバーで県予選から甲子園の決勝まで勝ち進んだことが、川原泉の『甲子園の空に笑え!』とまったく同じだと密かに話題になっていました。偶然って、本当におそろしいですね。まさか、川原泉も自分の描いた嘘でたらめのようなマンガの物語が現実に起ころうとは夢にも思わなかったことでしょう。決勝戦で春も制した優勝候補の大本命に負けてしまうところまで同じですからね。 さて、この季節になると、もともとが涙もろい性格なのに、それにさらに拍車がかかります。今年は春夏ともに甲子園はありませんでしたけど、それでも、地方大会や交流試合の中継をみて涙をこぼしてしまう。それだけでは済まなくて、ネットのニュース記事を読んだだけで泣けてきてしまうから困ったものです。それで、まあ、『甲子園の空に笑え!』を読んだら、これまたボロボロに泣いてしまい、今に至るというわけです。こんなに泣けてしまって、自分ってもしかして何かの病気なのかなって思い立ち、色々と調べはじめるぐらいですからね。悲しくて泣いたことっていうのは、たぶん人生で一度もなくて、何かを美しいと思ったときとか、人の懸命な頑張りの軌跡みたいなものを感じとったときにとにかく弱い。つまり、受け身で泣くということはなくて、自分がそこに何かを見出したときに涙が出るみたいなんです。じゃあ、そこに何を見出したのかといって、球児たちの美しさを見出しましたなんていまさら言えるはずもなく、仕方がないので人が泣くことについて調べてみる。 ふむふむ、近年の心理学的見地では「無力感の認知」と泣くことの関連性が言われているらしい。例えば、人が予期せぬ朗報を受け取った時に泣くのは、表向きには、起こっている事態に対して無力である、影響を与えることができないと感じるためである、と。 閑話休題。 野球というスポーツの特異点は、まず何と言っても攻撃と守備の時間が明確に分かれている点にあると思います。攻撃と守備がまったく無関係に独立している、とまでは言いませんが、ルールの上では無関係に徹している。表と裏と言いますけども、表裏一体なんて言葉もありますけども、野球にかぎっては表裏がたがいに独立している。もっといえば、表と裏をひとつの単位にした回というものも、1回から9回までそれぞれに独立しています。三者凡退の回もあれば、ビッグイニングの回もある。さらにもっといえば、各バッターの打席ごとに独立していますし、ピッチャーの投げる一球ごとに独立しています。こうしたひとつびとつのプレイには全て判定があり、名前が付けられています。ストライク/ボール、アウト/セーフ、三振/四球/死球、犠打/単打/長打/本塁打、盗塁/盗塁刺、刺殺/併殺/失策/捕逸、挙げていけばきりがないですね。もちろん記録に残らないプレイというのもあるにはあるんですけども、基本的には全てのプレイに名前があり、記録として残されます。こうしたプレイのひとつびとつが一回一回を進め、野球という時間をつくっていきます。ここらへんがサッカーやバスケといったスポーツと大きく異なる点で、野球は時間のなかで行われるのではなく、ひとつびとつのプレイが野球という時間をつくってゆく。プロ野球のナイターでは、18時に始まって、24時過ぎに終わった試合まであるそうですからね、なんと6時間! ちなみに最短は55分だそうです、短! ちょっと話が逸れましたが、野球というスポーツは、ひとつびとつのプレイ、ひとつびとつに名前があって、それぞれに独立しているプレイのひとつびとつが時間をつくってゆく、尚且つ、それらは記録として残される。良い記録も、悪い記録も、勝敗を分ける点数に結びつく記録も、結びつかない記録も、それぞれに独立していて、それら全てに名前があり、記録として残されるのです。 これは野球にかぎった話ではありませんが、よく失敗を挽回するなんてことが言われます。でも、どんなに次の機会に頑張ったとしても、失敗は失敗としてそこにあるわけで、あったことを無かったことにはできません。失敗は失敗としてあり、挽回は挽回としてあり、それらは表裏一体のような体をなしておらず、あくまでも、それぞれに無関係に独立していると思います。こういった考えは残酷と思われるかもしれませんが、あったことを無かったことにできるというのなら、その逆もまた然りというわけで、成功もまた失敗によって無かったことになってしまう。そんなことが許されますか、めっちゃ頑張っていい球を投げられるようになったのに、たった一球の失投をホームランにされて、それまでの好投は無かったことになる、そんなことが許されてたまるもんですか。でも、試合は試合ですし、相手だってこの一球を逃さないための練習を重ねてきていたからのホームランです。 コロナで春のセンバツが中止になったとき、頻りに救済案ということが言われました。結果として春夏ともに甲子園大会は中止になりましたけど、仮になにか救済案があったとして、それでもセンバツを戦えなかった選手たちの無念は残ると思うんです。救済は救済としてあるかもしれない、でも、それは選手たちの無念とは無関係にすれ違ったままだと思うんです。数学ではマイナス1にプラス1をすれば0になりますけど、人の心はそんなふうにはできていなくて、マイナス1も、プラス1も、ともにそこに変わらずにあり続けると思うんです。 ある意味でこのことは、いっぽうからしてみれば、もういっぽうに影響を及ぼすことができない「無力感の認知」ということにもなり得ます。とくに攻撃と守備が相互に独立している野球というスポーツにおいて、この「無力感の認知」はよりいっそう顕在化されると思います。夏の甲子園の球史に深く刻まれた一試合に「日本文理の夏はまだ終わらない」でよく知られる、中京大中京vs日本文理の決勝戦があります。10-4と大差をつけられた日本文理が9回裏二死から怒涛の追い上げで1点差まで詰め寄ったところで、最後の快音が三塁手のグローブに吸い込まれて終わるのですが、負けた日本文理は負けたのに晴れやかな顔をしていて、勝った中京が悲愴な顔をしている。しかも、優勝インタビューを受けた四番でピッチャーの堂林が帽子で顔を隠して泣いているんです、ほんとうに情けなくて悔しいです、と。このことを書きながら自分もまた泣いてしまっているんですけど、この試合で堂林はホームランを含めた三安打で得点のほとんどに絡んでいるのにもかかわらず、9回裏の情けない自分を悔いて泣いているんです。しかも、10点をとられて負けた日本文理のピッチャーの伊藤、9回裏二死が続いて、なんということか偶然にも彼の打席で満塁となり、三遊間を破るヒットで走者を二人還して二点差まで詰め寄ります。このとき、二塁まで到達した伊藤のガッツポーズもまた忘れられない、さらに次の代打のヒットで伊藤はホームベースを踏んでついに一点差まで! また、このことを書きながらボロボロに泣いてしまっているんですけど。 そして、広岡監督の率いる豆の木高校は守備のチームです。というのも、赴任してきた広岡先生はドライでクールな生物の教師として、何故かやりたくもない野球部の監督を押し付けられ、そもそも汗と涙の高校野球なんてキモチワルイとすら思っている。それで、まあ、ストレス発散にノックで生徒たちをいびっていたら、いつのまにかチームの守備力が向上していたという能天気ぶりなんですけど、そんなドライでクールな広岡先生が不純な動機とは無関係にいつのまにか高校野球にのめりこんでいくんですよ。 守備だけをひたすら鍛えたチームですから、点なんかとれやしない。広岡監督は選手たちに言います「うちのとりえは守備だけなんだから、たとえこっちが0点でも、相手に一点もやらなけりゃ、少なくとも負けることはないのさ」そして、自分自身にも心の中で言うのです「そーだ、守るんだ、それしか生きる道はない」。となれば、攻撃はもはや神頼みしかない、祈ることしかできないわけです。まさに自分たちの守備に誇りを抱いて、人事を尽くして天命を待つですよ。 ところで、甲子園交流試合の鶴岡東5-3日本航空石川では、5-3の9回裏、追いかける航空石川が2アウト1・2塁と逆転のチャンスをつくって、勝利目前の鶴岡東は最後の打者を打ちとったと思ったんですが、それまで投手のピンチを何度も救ってきた遊撃手がエラーしてしまい、満塁の大ピンチを招いてしまいます。結果としては次のセカンドの好守備に助けられて鶴岡東が逃げ切ったんですけど、自分があの遊撃手なら高校最後のエラーを忘れられないと思うんです。だからといって高校最後の試合を勝利でおさめたことが消えてなくなるわけでもない。どちらとも、ともに、それぞれに無関係に独立にして、そこにあり続けると思うんです。 それはちょうど、恋人にフラれてしまっても、かつて恋人と過ごしたきらきらした日々が消えてなくなることのないように、いつか見た川のせせらぎのきらきらが消えてなくなることのないように、全てのあったことは、ネガティブなことでも、ポジティブなことでも、どちらでもないことでも、あったこととして、そこに変わらずにあり続けると思うんです。自分さえそう信じていれば。 思えば、人生なんてどんな人でも負け戦だと思います。あの清原が見事に体現してくれているように、裕福な家に生まれようが生まれまいが、才能があろうがなかろうが、努力で這い上がろうが這い上がるまいが、多かれ少なかれどんな人生もひとしく負け戦だと思います。攻撃のない野球みたいなものです。誰も彼もボコスカに打たれまくって肩で息をしているピッチャーみたいなものだと思います。攻撃のない野球ですから、どんなに上手く守ってもゼロ、最高のパフォーマンスを発揮してもゼロ、ゼロじゃあ試合には勝てません。たぶん、生きるということは大洪水の川のなかにいるのにひとしくて、流されないように辛抱するのがせいぜいで、進むことなんてできやしない。でも、それでも、と信じさえすれば、守備とは無関係のどこかできっと攻撃が繰り広げられていると思うんです。どんなに清原が落ちぶれようとも、かつて清原が打ったホームランは消えてなくならないように、かつて清原が日本シリーズで流した涙がぜったいに消えてなくならないように。 豆の木高校の豆っ子たちが点をとれなくてもあの手この手で(自分たちの手には負えないやり方で、でも、守備だけは懸命に頑張った!)決勝まで勝ち進んだように、今日もどこかで日本文理の終わらない夏が9回裏の奇跡のような猛攻をどこかで繰り広げていると思うんです、すくなくとも自分がそう信じさえすれば!!!!
人間交差点と書いてヒューマンスクランブルと読ませる。時代を感じますし、時代作ってたんだなぁと思うとゾクゾクしますよね。しない?そうか。 (昔はこういう↑語り口調のナレーション多かったんです) 本作は弘兼憲史の懐の広さ…とだけいうと原作者に失礼かもですが、なんとも素晴らしい弘兼憲史の「SF」になります。 聞いて驚くなかれ。 一言にSFと言い切っていいかは読者に任せますが、手塚治虫よろしくな組み立てと星新一のショートショートのような喜劇が素晴らしい作品です。 昔から見てたけど電子書籍でキレイに読めるの嬉しいですね、当時は子供だったからなー ともかく名作!
今までにもいくつかラップをテーマにした漫画はあるし、監修でラッパーが参加してたりもするけど、これは作者が90年代の東京でヒップホップ文化にどっぷり浸かった当事者で、現在もシーンの重要人物。 フィクションと史実を織り交ぜつつ、MIX TAPEとかグラフィティとかドラッグも含めてラップだけじゃないトータルな文化を描いているので、好きな人にはたまらない(もしくはちょっとイキってた頃を思い出して恥ずかしい)と思う。背景や小物に当時のものが散りばめられてるし、BUDDHA BRANDのCQとNIPPSも少し出てくる。かといって単なる懐古趣味や教養主義でもなく、今につながる文脈を伝えるものとして正しくヒップホップ的なんじゃないかな。 私は地方在住で至って普通の高校生だったからこの辺の文化は完全に後追いだけど、引き続き応援したい。
容姿端麗で、ケンカが異常に強く、周囲からは完全無欠美少女と思われたヒロインが実は「UMA」大好きオタク、というマニアックな設定のラブコメ漫画。なかなかの暴力性と天然さを併せ持つヒロインで、序盤はチャンピオンらしいカオスな展開の話が多かったが、後半はラブコメ度が上がるにつれて普通の青春漫画に変わっていった。見所としては、辻浦さんと主人公のUMAギャグを交えた会話。デート中でもチュパカブラについて真剣に話してしまうのにはが妙なおもしろさがある。かなりの変人ヒロインなのでそういうタイプが好きな人におすすめ。
コールドスリープから目覚めたら男性が絶滅しかけていて、ハーレム状態になるという近未来エロティック・サスペンス。女性にもてて世界も救える。アクセスする時間帯とかデバイスによって白いモヤが見えたり見えなかったりするらしい。
みんな大好き清野とおる先生×みんな大好き飯のお話。最高ですね。 おこだわりよりも純粋に飯の話なので「あーわかるわー」とか「やってみたい!」度が高かったです。 好きな食べ物の話って間違いなく楽しいんですが、いざしようとなると「こんな個人的な話して相手は楽しいんだろうか?」みたいに疑心暗鬼になっちゃうことありませんか? わたしはよくあります。暗いので。 なので清野とおる先生のように質問しまくりツッコミまくり時には罵倒したり褒めたたえたりしながらお話聞いてくれる人がいたら最高だなあと思います。 この作品に書かれている飯エピソードはそもそも面白いけど、それをさらに面白くする清野先生すげえなあ…いっぱいお寿司食べてね…と胸が熱くなりました。 とり急ぎセブパは絶対やろうと思いました。
原著はKindle Unlimitedで読めるのだが、何度も数ページで挫折してしまっていた(括弧が多くて意味が入ってこない)。 このまんがシリーズは単に原著をなぞるのではなく、独自のストーリーを展開してエッセンスを伝えるという意欲に溢れたプロジェクト。アンドロイドに人格を持たせる設定で、カントが批判した合理論や経験論の限界を示し、それらを乗り越えるための思想を説明している。 わかりやすさ故にこぼれ落ちるものもあるだろうし全部を理解できた訳ではないが、社会生活を営む上で巻き込まれる様々ないざこざや悩みに対してすっきりした見通しを与えてくれると思う。
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タイトルそのまんまの実録マンガである。 有名なシーンだけど、ここ見て死ぬほど笑った
「好きなものに、年とか性別とか、関係ない」 「自分の好きなモノを悪く言われたりするのって、ものすごく怖いことなんだよ…」 わかる……わかるよ……そうだよ、好きなもん好きで何が悪いんだよクソッタレェーーッ!と言いたくなる。 大人になるとフツウにならないとまずい気がして、なまじフツウができるようになってきた分、誰かのフツウじゃないことも軽んじそうになる。 そういう『俺はお前らみたいに人の好きなものをけなしたりしねーーーッ!』って思ってた学生時代を思い出す、いい話。 ありがとう仲村さん。君が僕のヒーローです。
ニューヨークへ、ファッションを学びにきたサチと、ひょんなことから出会うドラァグクイーンのポール達との交流を描いた話。 ニューヨークで夢追いって、やぱかっこいい響きです。 裏で支えてくれる人たちあってこそ表舞台で輝ける人達がいる。 色んな世界を知れるって面白い。 1巻1巻も短いので、さらっと読めるしサチとケンの恋愛模様も気になるところです。
第一話を読み終わったときには、 こりゃ駄目だ、俺が嫌いな漫画だ、と思ったんですね。 題名で予想はついていたとはいえ、 ド素人がノリで酒場ゴッコをしたら素人料理が受けちゃって その気になって店を開くことにして・・という 主人公の素人臭さが鼻につきすぎて話を楽しめませんでした。 ホット柿の種だあ?ツナ缶アヒージョおお? 料理とか商売とかプロの世界を舐めてんじゃねーぞ、と。 いや、私も料理はドシロウトですが。 それでもそのあとの話を読み続ける気になったのは、 原作者が久部緑郎先生だったからですね。 あのラーメン発見伝やらーめん才遊記の原作の先生なら、 きっとこの先には面白い話になっていくだろう、と。 例えて言うならば、私の心の中に 久部緑郎先生に対する信頼という貯金があり、 その貯金が底をつくか、その前に漫画がいい味を出すか、 どっちが先か勝負、という賭けでしたね。 とはいえなんだかこの先も、 素人が発想する料理だからこそ凄いんだぜ、みたいな 安易なストーリーが続いたりしたらキツイな、と思いつつ。 結果は・・久部先生貯金は利子がついて返ってきました(笑) 第三話で初見の客から思いっきり駄目だしをされる シーンが出てきまして、 まさにその通りだぞ、この素人が、と思い、 いや、ほんとに私も料理はドシロウトなんですが、 なんだやっぱり久部先生自身はちゃんと そういう点をふまえて原作を作っていらしたのだな、 とホッとし、さてそれでこれからどういう話になるの、 と興味が沸いて、それから話にノッていけるようになりました。 その先は素人臭さというクサミを適度に抜いたり活かしたり、 その匙加減に納得がいって、だんだんと良い味に 感じるようになりました。 結局、全二巻で終わってしまいましたが それが残念に感じてしまうほどに。 ツナ缶アヒージョも作って食べたら美味かったです(笑) 追記:作画のトリバタケハルノブ先生の絵も、 最初は人物の4頭身っぽい絵に戸惑いましたが、 見慣れてくるとイイ味わいを感じるようになりました。
『#1巻応援』 rasu先生の初連載作品。 連載当初から人気で追話が決まり、2章、3章(1巻~3巻 3巻は9/17発売予定)と続き、現在はスピンオフの『辻英司は恋をしない』が連載中です。 rasu先生の作品の魅力は感情表現です。Twitterとpixivで1話掲載されているので気になる方は確認して頂きたいのですが、診察室で声が出てしまった主人公を見下ろす歯科医の表情。 こういう台詞だけではない感情の動き、どう感じているのかを現すその表現力。 そしてその感情表現と直接的な描写で描かれるベットシーンは濃厚です。 舌の肉厚感、受けの三森さんの奇跡のお尻を堪能して頂きたいです。 エロを全面に出した作品ですが、主人公の三森さんと歯科医の悠真くんの関係を丁寧に描いた作品です。
イシヤマアズサ先生の絵はほかほかしていて美味しそうですよね。 お弁当を作ろうと思うことはあれど、朝はギリギリまで寝ていたい人間なのでどうしてもできない。1日2日ならできてもそれ以上続いた試しがない。 スープだけとか前の日の残りを詰めるだけとかなら…って思うのにできないんだからもうしょうがない。 でも、イシヤマ先生のほかほかの絵を見ちゃうとお弁当いいな〜って思います。 前の日の夜から明日はこれ持っていこうって決めると朝起きるのが楽しくなりそうです。 でも寝ていたいから漫画を読んでお弁当気分だけ味わいます。というかイシヤマ先生のお弁当が食べたいです。
老舗寿司屋・天才職人の二人の息子。 初っ端からバチバチとせめぎ合い、お店の中の権力争いなど、 王道な要素が満載。 せきや先生はやはり、料理漫画で輝く人。
ちょっとずつ読み進めてる。今は3部の途中まで来てる。あくまでもここまでの感想でしかないが、1部が一番粗いなぁとは思う反面、荒木節的な独特のセンスを一番感じる。「君が泣くまで殴るのをやめない」とか「シビれる!あこがれる!」とか「ゲロ以下の臭いがプンプン」したりとか泥水で口を注ぐとか。台詞回しにしても描写にしても飛び抜けた表現と感じるのは今のところ第1部かなぁ。 ディオにしたって最初は悪いやつというより嫌なやつだったと思うんだよね。それがだんだんと悪として花開いていく過程はドラマチックだし、ジョジョを認めるに至るのも胸が熱い。
最初はこの二人の秘めた恋を描くのかと思っていたんですが、そんな直球な物語ではございませんでした。職場恋愛をしたら即クビという厳しい環境のなかで、主人公の家政婦・レヴィと執事・モーリスはプロ中のプロという佇まいがかっこよすぎる。そんななか、レヴィお気に入りのメイド長・シルビアが職場結婚をし辞めてしまいます。慕われていたはずなのに自分にはひとことも相談がなかったことで落ち込むレヴィに、お花をあげて励ますモーリス。やっぱり始まるのか…?恋が…!((o(´∀`)o))ワクワク
わたしたちは「あなたにはわからない」と「あなただけはわかるはず」の狭間で生きている。 なんて言うと、ちょっと主語が大きすぎるかもしれないけれど。 わかってほしいとわからないでしょうを揺れ動きながら、世界に折り合いをつけて騙し騙し生きている。わかんないけど、多かれ少なかれみんなそうでしょう?だから、こういう作品に心動かされてしまうんでしょう? 少なくとも、わたしはそうです。 心に闇を抱えたリストカット常習者の五十嵐と、彼女に恋するあまりとある嘘をついて理解者のふりをする要の物語。 恋愛物語とかメンヘラのお話とかカテゴライズしてしまうのがもったいないくらいに、純粋で剥き出しで痛々しくて、人と人の関わり合いにおける大切なものがこれでもかというくらい詰まった作品だと思う。 肌と肌を触れ合わせるだけで伝わることもあるし、言葉を尽くしても伝わらないこともある。どんなに近づいても、好きで好きで仕方なくてもわたしとあなたの間には隔りがあるのだ。だからこそ、実際に理解してくれているか理解しているかはさておいて、手を取ってくれる人がいることが幸せなんだ。 不確かな「わかるよ」よりも、確かな「わかりたいんだ」のほうが暖かいんじゃないか、そんなことを思った。 わかっているけど、わかんなくなっちゃうことに気づかせてくれた作品でした。
今時こんなこと言うと古いって怒られそうですが少女漫画って「女の子の恋と成長の物語」じゃないですか。最近は違うかもしれないけど往年のテーマはそうですよね?「ジオラマボーイ☆パノラマガール」を読んだ時に「あっ!これめっちゃ少女漫画じゃん!」と思いました。まず主人公が地味で冴えない女の子なんです。岡崎京子もこんな普通の女の子を描くんだってビックリしました。しかも偶然出会った男の子に一目惚れするんです。でも彼には他に好きな人がいるし、久しぶりに再会したら自分のこと覚えてないしで散々なんです。そっからとりあえずヤっちゃうのは全然少女漫画らしくないけど、ヤっちゃってなんとなく一緒にいたらお互い本当に好きになってた…なんてのはリアルな普通の女の子の話として本当にありそうじゃないですか。無理やりだけど「女の子の恋と成長の物語」として当てはまってると思いませんか?
今週からトーキョー忍スクワッドが始まったので去年のはちゃめちゃに面白かった読切を再読。 絵の巧さ・キャラクターの個性・演出・コマ割り・カメラワーク・ストーリー。 どれもずば抜けていて何度読んでも面白い完璧な読切…! なんでこっちで連載しなかったのか謎なくらいひたすら最高。 この読切を読むために250円払って2018年39号を購入しても後悔はないのでぜひポチってください。 https://jumpbookstore.com/item/SHSA_JP01WJ2018035D01_57.html 物語の舞台が、学校から恐ろしい黒猫が現れるトンネルへ移ると、作者の素晴らしい演出で緊張感がグッと高まる。その緊張感が、主人公の能力が明らかになって一気に解放されるのが爽快…! あの猫は一体なぜ七瀬を守ってたのか。 お姉さんは一体何者なのか。 景はなんで電話をするときわざわざ右手で左耳に当てるのか。 景になぜクソやべーやつが憑いているのか。 読切で明かされていない、余白の部分にワクワクして止まらない。 「怪奇ホラー路線が呪術廻戦と被っていなければ、連載に採用されていたんだろうなぁ」と思わずにいられないほどの完成度。 今回読み直してみて、改めて新作への期待が高まりました。 (画像はトンネルに入るシーン。ここで飛び出し坊やをアップにするのすごい好き。このあと急激に緊張が高まってバーン! と景の能力が明かされるのが最高…!) 【追記: 2020/09/02】 連載版の感想はこちら↓ https://manba.co.jp/topics/25125
好きなアイドルグループがGANTZとコラボしたグラビアが見たかったのでヤンジャンを買いました。 買ったからには漫画も読もうと思い、しっかり全部読んだのですが連載途中のものを読んでもなかなか物語には入り込めず。 まあ仕方ないよな…表紙とピンナップとグラビア見れたしな…と思っていた私を救ってくれたのがスナックバス江です。 知らない街を行くあてもなく彷徨っていたら「入りなよ」ってドアを開けてくれた、そんな気持ちになりました。 いつも酔っぱらいの相手してくれてありがとう。わたしのような日和見の客も入れてくれてありがとう。 スナックバス江に受け入れてもらえたので、ヤンジャンを買ってよかったと思いました。 スナックバス江、ありがとう。
漫画家としての今敏ってちばてつや賞を受賞してヤンマガで連載してたんですね。アニメ監督としてのイメージが強いのでなんかピンとこないですが、漫画家としても優秀な人だったのは間違いないです。大友克洋っぽさがありますが、インタビューを読むと第1話は「AKIRA」のアシスタントをしながら描いていたらしいです。女の子は今敏の方が可愛いですね。師弟関係とその後の活躍を抜きにしても「海帰線」は全1巻の作品として面白いと思いました。
この人の漫画は本当に、ちょっとレトロ感を滲ませつつもデジタルなのにめちゃめちゃ美麗で、とにかく色気がスゴイです。 修学旅行中に事故に遭ってサバイバルホラー突入するというありがちな話ではあるのですが、この人の絵でエログロ&ホラーが読めるというだけでお金を出す価値があります。 できることなら、電子だけでなく紙媒体でもリリースして欲しいです(紙派なので…)
遭難したJKが無人島でサバイバルする漫画。JKサバイバルってもはや様式美というか、サバイバルといえばJKみたいなとこあるよね。 JK集団にひとり玄人がいて、多彩なサバイバル知識を披露してくれるので案外ためになる(遭難でもしないかぎり実践する機会ないかもしれんが)