人生、一寸先はセックス。
『課長島耕作』シリーズを読んでいると思うことである。とにかく次の瞬間に何が起こるのか分からない。人は突如としてセックスをする。そこで浮かぶのが冒頭の言葉だ。人生、一寸先はセックス。これが真実だったのか。
もっとも、「島耕作にとっての人生は」と言ったほうがいいかもしれない。私はべつに一寸先がセックスの人生を送っていない。たいていの人もそうだと思う。島耕作という特殊なサラリーマンにとってのみ、人生一寸先はセックスなのである。本当にこの人は、油断すると女と寝ている。
さて、一方で『君に届け』というマンガを読んでいると、この世にセックスなど存在しなかったような気がしてくる。なにか悪い魔導師にだまされて、われわれは性行為で子供ができると勘違いしていたのではないか。人類は本当は、手をつなぐことで子供を生んでいたのではないか。
しかしふたたび『島耕作』のページをめくれば、人類は息を吸うような自然さでセックスをし、挨拶がわりに不倫している。
同じ地球という惑星で、同じ男と女が扱われているのに、この違いはなんなのか。もしも私が異星人で、『島耕作』と『君に届け』を参考に人類のことを学ぼうとすれば、「島耕作と風早は同じ男なのか?」という問いを断末魔に、頭が破裂して死ぬだろう。
『君に届け』においては、実際にひとつの想いが「届く」までに、1,000ページ以上が費されている。そして読んでいる最中、われわれはそれを長いとは感じないわけである。たしかに爽子と風早の二人は、これだけの時間、これだけの枚数を費さなければ、お互いの想いを伝えあうことはできなかっただろう。しかし島耕作にとって、知り合った女と数ページでセックスに至るのは普通のことだ。すさまじい速度で君に届いている。
『君に届け』のリズム
『島耕作』というマンガの大きな魅力は、過不足のない情報の提示が生みだす軽快なテンポである。そこでは「省略」が大きな魅力になる。なんの気なしに『島耕作』を読みはじめ、「次々とページをめくってしまい、気づけば満足感とともに話を読み終えていた」という経験をした人は多いのではないか。
一方で、『君に届け』の魅力は繊細な心理描写にある。その結果、作中の時の流れはどんどん遅くなる。そこでは一秒が永遠になる。その極めつけがコミックス12巻である。ここでは、爽子と風早がはじめて手をつなごうとするのだが、そのために23ページが費されるのである。手をつなぐという、ただそれだけのことで23ページ。これが『君に届け』という作品のリズムなのである。
『君に届け』のゆったりとしたリズムを体験してもらうために、23ページの具体的な内容を簡単に記述しておく。
1:爽子が風早の横顔を見つめる。
2:二人の手は、ふれそうな距離にある。
3:二人の後ろ姿。
4:爽子の心の声。「…ちょっとだけさわってもいい?」
ここで回をまたいでいる。手をつなげるか否かが、次回への「引き」となっているのだ。「はたして爽子と風早は手をつなぐことができるのか!?」を楽しみに、われわれは急いでページをめくるわけである。言うまでもないが、島耕作においてこんな引きが成立するはずがない。
ということで回をまたいで、
5:いつもの帰り道。
6:爽子の手がすこしずつ風早のほうに伸びてゆく。
7:爽子が風早の手にふれようとする。
8:「ドキン……」。地面に映る二人の影。
9:瞬間、風早がおどろいたように爽子を見る。
10:爽子はあわてて手を引っこめる。
11:勝手にふれようとしたことをあやまる爽子。
12:「風早くんはいつもどおり普通なのに、私ばかりはずかしい」
13:「嫌いにならないで……」
14:風早のほうから爽子の手を握る。「いつもどおり?」
15:風早の照れた顔。
16:風早「…普通に……見える?」
17:風早は握った手をおろす。
18:爽子のおどろいた顔。
19:二人は手をつないだまま歩きはじめる。
20:通学路の風景。「ドキン…ドキン…」
21:二人は手をつないだまま歩いている。
22:そのとき偶然、爽子の母親と出くわしてしまう。
23:爽子はあわてて手をふりほどく。
以上、はじめて手をつなぐシーンで23ページが使われている。これが『君に届け』の時間のリズムである。
次に、島耕作を見てみよう。
島耕作のスピード感
『取締役島耕作』第1巻。ついに取締役となった島耕作のもとに、過去に愛人関係にあった久美子から久しぶりの連絡がある。久美子は電話ごしに島耕作の取締役就任を祝ったあと、次のように提案する。
「じゃ セレブレーションファックしよか」
「了解」
そしてページをめくると、ホテルでセックスが始まっている。このスピード感はなんなのか。
風早と爽子は手をつなぐだけであんなに葛藤していたのに、島耕作は「了解」の二文字であっさりと性器を結合させてしまう。爽子と風早の間を猛スピードで吹き抜ける一陣の風。それが島耕作である。二人は気づくことすらできない。なにかが自分たちの間を通り過ぎた。そんな気がした。それだけだ。遠くで性器の結合する音がする。しかし二人の耳には届かない。二人は手をつなぐことに必死だ。ようやく二人が手をつないだ頃、島耕作はすでにホテルを出て、商談をいくつかまとめていることだろう。
1905年、相対性理論の発見によって、アインシュタインは物質が光速をこえられないことを示した。そして現代、島耕作はこの2コマによって、マンガ界が島耕作のセックス速度をこえられないことを提示した。現代物理学において光速をこえることが原理的に不可能であるように、現代マンガにおいて島耕作のセックス速度をこえることは不可能なのである。
先述したように、私は島耕作的な世界を生きていない。『君に届け』のリズムで生きている。だから「セレブレーション・ファック」というわけの分からない造語に恥じらってほしいとすら思ってしまう。これほどパンチのきいた造語を「了解」の二文字で飲み込んでほしくない。だが、そんなことをすればどんどん枚数は増えてしまう。どんどん速度が低下してしまう。自意識とは重力である。
『君に届け』と『島耕作』がクロスする瞬間
『君に届け』には、爽子が島耕作のようになる瞬間がある。とはいっても、妄想の中の1コマではあるのだが。
経緯はこうである。あるとき爽子は、風早が別の女子と楽しそうに会話している姿を見る。自分のときとちがって、風早は非常に軽快なやりとりをかわしているようだ。「自分もあんなふうに会話ができたらな……」と爽子は妄想する。
この妄想内のやりとりは島耕作のテンポにかぎりなく近い。それは葛藤なしに会話する男女の姿だからだ。「CD貸して」「オッケー」を突き詰めた先にあるのが、「セレブレーション・ファックしようか」「了解」だろう。島耕作は、CDを貸し借りするような気軽さで女とファックしているということだろうか。
爽子は軽快なやりとりに憧れるが、その先にあるのは島耕作のスピード感だ。目指すのはやめたほうがいいと思う。風早と爽子の二人が島耕作化してしまえば、『君に届け』はまったく別の作品になってしまう。風早と爽子に2コマで手をつながれても困るだろう。餅は餅屋。まぜるな危険。カエサルのものはカエサルに、島耕作のものは島耕作に。
爽子「じゃ手つなごっか」
風早「了解」
こんな『君に届け』、誰も読みたくないでしょう。