藤子・F・不二雄「四畳半SL旅行」の背景あれやこれや

『藤子・F・不二雄大全集 少年SF短編 2巻』

 

 このたび、小学館から『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス』が刊行されはじめましたね。おらが地元の川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアムでは「藤子・F・不二雄のSF短編原画展 -Sukoshi Fushigiへの招待-」を開催中ですし、NHK BSプレミアムで「定年退食」「流血鬼」など10作品の実写ドラマも放映(や、この原稿書いてるうちはまだ放映されてないんですが)。で、4月25日発売の『SFマガジン』2023年6月号も、これらに合わせて「藤子・F・不二雄のSF短編」特集です。プロフィール文にも書いていますが、当方はたまに(2〜3年に1回くらい)『SFマガジン』に原稿を書くことがある身でして(一応SF界隈の人間なんすよ)、この特集における作品総解説でも2本書いています。今回はそのうちの一本「四畳半SL旅行」(書いたもう一本は「休日のガンマン」です)について、SFMの原稿では紙幅の都合で紹介できなかった資料などをこちらで紹介し、同作の背景について触れていこうと思います。せっかく国会図書館まで行って取ってきたコピーももったいないし……。
 本作の掲載は79年の『マンガ少年』(朝日ソノラマ)。F先生は同誌に定期的に読切を発表しており、本作以外に「みどりの守り神」「宇宙人」「創世日記」etc.……の初出がここです。収録単行本は、『藤子・F・不二雄全集』の『少年SF短編』2巻、『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』の6巻、小学館コロコロ文庫『藤子・F・不二雄少年SF短編集』1巻など色々です。
 ストーリーですが、何か一つのことに熱中すると見境がなくなってしまうヒロミ少年が鉄道模型にドはまりして、やがて自分の作った模型の世界を旅してみたいと思うようになり……という様子を彼の幼なじみの少女・光ちゃんの視点から描くというものになっています。
 さて、ヒロミくんは、光ちゃんに自分の新たな趣味を紹介する際に「十六番でと思ってたんだけど、スペースの都合でNゲージに決めたよ」と語ります。

 

『藤子・F・不二雄少年SF短編集』1巻126ページより

 

 これについて、時代背景などを説明しておきましょう。「Nゲージ」というのは、知ってる人も多いとは思いますが、日本における鉄道模型規格の一番メジャーなやつ(線路幅が9mm)です。歴史はそこまで古くなく、規格が生まれたのは60年代でしたが、70年代中頃に新規メーカーが次々と参入してくるなどして、本作発表の頃には日本国内でブームが起きています。なお、ヒロミくんのセリフに登場する「十六番」というのは、Nゲージと同様に鉄道模型の規格のことで、線路幅が16.5mmのものを指します。一般的には「HOゲージ」と呼ばれることが多いです(正確に言うとこの二つは別で、”HO⊂16番”であり、「16番を何でもHOと呼ぶな」と怒る人もいるんですが、HOの方が通じやすいとは思います)。かつては16番が日本でも鉄道模型のスタンダードだったのですが、Nゲージブームが起きると主役の座を譲りました。大雑把に言って、Nゲージは本作のようにレイアウトを作りその上を走らせるファン向け、16番は車両それ自体をコレクション・鑑賞するファン向けという感じです。76年刊行の山崎喜陽『鉄道模型』(保育社カラーブックス)にこういう旨書いてあるので、本作の発表時にはもうこの見方が一般的だったと言ってよいでしょう(もちろんあくまでも大雑把な話で、16番で走らせるレイアウト作る人もいます。ただまあ日本の住宅事情だと小さいNゲージの方がレイアウト作るには向いていたんですね。なお、この山崎という人は、老舗鉄道模型雑誌『鉄道模型趣味(TMS)』の主筆を長く務め、16番という規格やNゲージにおける縮尺(1/150)を提案した、この界隈の権威です)。
 本作の時代背景については、もう一つ触れておくべきことがあります。

 

『藤子・F・不二雄少年SF短編集』1巻134ページより

 

 ここでヒロミくんは、「ブルートレインと貨物列車(筆者注:SL牽引)のすれちがい」を強調しています。鉄道というものは昔から今まで男の子にやたら人気のあるものですが、70年代においては、特にこの二つがブームの中心だったのです。SLは主に60年代後半からブームになったもので、これは国鉄においてSLの営業運転が終わりかけていた(75年に旅客列車から完全引退)ことによる郷愁的なところから来たもの。76年には、京都-大阪間の開業100周年を記念してSL臨時列車「京阪100年号」というのが走ったのですが、線路に入ってこの写真を撮っていた小学生が轢かれて死亡するという事故なども起きています。
 ブルートレインは、70年代後半、SLブームが最盛期より下火になっていく中で入れ替わるように人気が増していったもので、78年ごろの雑誌などを読むと「日曜日の朝5時頃から、上野駅の列車到着プラットホームはカメラを手にしたチビっ子でいっぱい」というような記事が見られます。このあたりのことを頭に入れておくと、本作の発表や、『銀河鉄道999』のヒット、『ドカベン』における「ブルートレイン学園」の登場などといった同時期の少年漫画の動向が分かるのではないでしょうか。

 さて、ここまでが時代背景の話。ここからは、F先生のパーソナルな話になります。
 F先生は、そもそも鉄道模型趣味者です。次に引用するのは『週刊朝日』72年11月3日号のカラーページ企画「わたしの城」より、”F先生が自宅を新築するにあたり、納戸の一角を使うことを許され、少年時代からの夢だったという鉄道模型のレイアウトを作った”という記事。

 

『週刊朝日』72年11月3日号より。住所については消し入れました。70年代くらいまではこういう個人情報割と普通に公開されてたんすよねえ。ちなみにお宅には現在でも「藤本弘」「藤子不二雄」と表札出てるんで、そう隠されてるわけでもないのではありますが一応。下部広告の「ナッターマン」というのは、ホップの花、ラベンダーの花、レモンバームの葉によるハーブティーのようです

 

 そして「四畳半SL旅行」より、ヒロミくんが作ったレイアウトが以下です。

『藤子・F・不二雄少年SF短編集』1巻130〜131ページより

 

 見比べてみると一目瞭然ですが、線路の引き方や車庫・トンネルの位置など、作りが全く同じです。このあたり、すごくストレートにF先生が自分の趣味をぶつけてる作品だということが分かりますね。
 で、本作の後半では、自分の模型に乗って旅をしてみたいと思ったヒロミくんが、自分の写真を使って、コマ撮りの8mm映画を撮ろうとする展開となります。

 

『藤子・F・不二雄少年SF短編集』1巻140〜141ページより

 

 実はこれもF先生の趣味がストレートに出たものです。『ビッグコミック』74年2月10日号の目次ページにあるコラム「近談奇談」より。

『ビッグコミック』74年2月10日号より

 

 ”模型を使ったSL映画を撮ろうと思いましてね”、”特撮の要領で、私が模型の列車に乗るという話にしようと思ってるんです”……。つまり本作は、F先生が現実でやろうとしていたことを、作品という形で代わりに成したものでもあるのです。しかし、「自分の模型に乗ってみたい」というのは割と普遍的な願望ですし(後に『ドラえもん』でも「のび太の模型鉄道」(87年)という回が描かれていますね)、特に本作の発表当時は先述の通り国鉄でのSL運転が終わっていたわけですから(当時、大井川鉄道(現・大井川鐵道)や西武山口線といった路線で観光用のが走っていたり、新潟県糸魚川市の東洋活性白土という会社の工場引込線で貨物用のが走っていたりしたので、日本国内でSL運転がゼロだったわけではないですが)、「模型の世界でSL列車に乗る」というのは、当時の子供達にとっても二重の意味で夢を叶えるような話だったわけですね。
 という具合で、F先生の短編1本の背景を書いてみました。『SFマガジン』の方もよろしくね!

 

 

記事へのコメント

誰もが気になるであろう謎の広告の解体、行き届き加減が素晴らしいです。
かつてのマンガ少年読者として、全集+SFマガジン楽しみにしています。

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