今回紹介する人情マンガは福谷たかしの『独身アパート どくだみ荘』だ。芳文社の『週刊漫画TIMES』で、1979年5月18日号から93年4月2日号まで14年にわたって連載。同誌の看板作品だった。単行本は芳文社コミックスから全35巻が出ている。また、連載終了後には未収録話を編集した『新・どくだみ荘』全7巻が出た。
主人公の堀ヨシオは、裸祭りで有名な岡山市西大寺(さいだいじ)出身。農業を継ぐのを嫌い、家族の反対を押し切って5年前に上京した。4年ほど前からは阿佐ヶ谷の「どくだみ荘」という四畳半一間の安アパートで暮らしている。かつてはミュージシャンを目指したこともあったが、夢は破れ「金なし、職なし、女なし」のどん底生活を送る24歳だ。
1話完結形式のストーリーは、ヨシオに好きな女性ができて、うまくいきそうになるが結局ふられてしまう、という展開。映画『男はつらいよ』のフーテンの寅さんとどこか通いあうものがあるが、生まれ故郷の柴又に帰る場所がある寅さんとは違って、ヨシオは実家とは断絶状態で、かわいい妹の結婚式にも出席できない。
このマンガは、もともとは人情マンガではなくエロ系のギャグマンガとしてスタートしている。単行本第1巻の前半はギャグ要素が強い作品が並び、人情マンガらしさが出てくるのは、第1巻7話の「とうきょう・あでゅう」あたりからだ。
このエピソードでは、青森から上京してパン屋で働いている素朴な少女へのヨシオの片思いが描かれる。ある日、店に行くと少女の姿はなく、悪い男にひっかかって辞めていったと、店主から聞かされる。月日は流れ、ヨシオが少女と再会したのは場末のピンサロだった。店の裏口で男から金を巻き上げられているのを見たヨシオは男に向かっていくが逆にぼこぼこにされてしまう。
さらに、2巻第1話の「風子」ではペーソスあふれるスタイルができあがっている。
パチンコ屋で偶然出会った関西弁の女・風子(ふうこ)に振り回されるヨシオ。だが、ヨシオには彼女との毎日が思いのほか楽しい。やがて、彼女は大阪府警から指名手配を受ける札付き女だったとわかる。それでもなお、ヨシオは天真爛漫な風子を憎めない。
この第2巻ではヨシオの生い立ちも語られて、キャラクター像も確立されている。
作者の福谷たかしは、52年にヨシオと同じ岡山に生まれた。マンガ家になるために高校を中退して上京するが、なかなかデビューのチャンスに恵まれず、およそ10年間、食うや食わずの貧乏暮らしを経験した。
『独身アパート どくだみ荘』は福谷自身の体験や、当時の仲間たちの貧乏話がベースになっている。作中には福谷がヨシオを訪ねるエピソードもある。
このマンガの魅力は、食うや食わずでも、繰り返し女にふられても、涙の中から懲りずに立ち上がるヨシオの生命力にあるかもしれない。
美女が引っ越してきてその気になっていたら彼女には立派な恋人がいたり、お金が手に入りそうになったと思ったら騙されていたり……。たまにはヨシオに惚れる女も出てくるし、意外にも美人だったりする。あぶく銭が入ることもある。そのせっかくのチャンスまでヨシオは棒に振ってしまう。
それでもなお堀ヨシオの日々がたくましくコミカルなのは、エロ系のギャグマンガから始まったことも影響しているのかもしれない。うまくいきそうでうまくいかない、そしていつまでも懲りないヨシオに読者は共感を覚えた。
ヨシオの哀しくもコミカルなドラマに、庶民のさまざまな人生が絡むという構成もいい。これが人情マンガだ。
例えば、元サラリーマンのホームレス男性と家出少女が暮らすバラック小屋でヨシオが一緒に暮らし始める「レージー クレージー ブルース」というエピソードがある。
はじめはゴミを拾って食料にするような暮らしに驚いたヨシオだったが、しだいに「悪くない」と思い始める。ところが、そんな暮らしにも終わりが来る。交通事故で男性が死んだのだ。まもなく、家出少女の父親が彼女を連れ戻すために現れ、ヨシオはまた、どくだみ荘の日常に戻る。しばらくして、少女を探してあの場所に行くと、小屋もなくなっていた。
ヨシオは逃げているのだろう。今の世の中は、必死になって何かと戦っている人ばかりだ。ヨシオのように戦いをやめて「逃げる」ことが許されなくなっている。戦って負けるとキレる。だから世の中全体がギスギスする。
『独身アパート どくだみ荘』を読むと、「戦いを辞めて逃げてもいいんだ」と思えてくる。いざというときに「逃げる」という選択肢があると、ずいぶん楽になる。
ただ、作者の福谷はヨシオのようにたくましく生き延びることができなかった。
本作によって福谷の生活は一変した。単行本は累計500万部をこえるヒットになった。ところが、90年代にはいると福谷は作品のマンネリに悩むようになる。93年には休載を宣言。94年に『新・どくだみ荘』(単行本の『新・どくだみ荘』とは別内容)として再開したものの14回で休載。以降、筆を折ってしまった。
青林工藝舎の『レジェンドどくだみ荘伝説』によれば、マンガを描かなくなってからは酒浸りの毎日を送り、97年に食道静脈瘤破裂で緊急手術を受けた。肝臓がぼろぼろになっていたことが原因だった。一時は酒をやめて体力も回復したが、再び飲み始め、2000年9月9日、肺水腫のため都内の病院で亡くなっている。享年48だった。
お酒は逃げ場ではないよ。