写真:川瀬一絵(ゆかい)
『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』あるいは『でんぢゃらすじーさん邪』というマンガを覚えておいででしょうか!
主にハイティーンから20代の男性なら、あー!!!!!!! と叫びガタンと席を立ってくれるでしょう。そうです月刊コロコロコミックでずっと続いている、控えめに言ってすっげえくだらねえギャグマンガです。児童ギャグマンガの大傑作と言っていいでしょう。子供向けのマンガだと思われがちですが(実際にそうなんだけど)、大人が読んでも充分楽しめる内容なんですよね。マンガの文法を壊しにかかるメタ視点のギャグも炸裂してるし。
今日は「でんぢゃらすじーさん」シリーズの作者曽山一寿さんのインタビューをお送りいたします。
コロコロを愛し、コロコロとその読者に愛される曽山先生の貴重なインタビューをお楽しみください!
マンガよりコミックスを作りたかった
──失礼ですが、こういったインタビューというのは。
ないですねえ。
──読者が主に小学生男子だとすると、インタビュー読まなそうですものね。2001年に『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』がはじまって、その時小学生だった人たちがいまちょうど20代ですよね。うわさでは20代男子が集まって、子供の頃の思い出話になるとやっぱり「じーさん」の話になるとか。
あー、ありがたいですね、それは。
──でもですね、実は大人になっても「じーさん」は面白いと思うんですよ。僕も大人になってから読んだわけですけど、ものすごく面白くて。大人が「じーさん」を読むキッカケになればと。
はい。わかりました。
──最初に、曽山さんがそもそもマンガ家になったキッカケを教えていただけますか?
基本的に絵を描くのはすごい好きだったんですけど、キッカケとして具体的に覚えてるのは、小学校1年生くらいの頃、いま同じコロコロコミックで連載している沢田ユキオ先生(『スーパーマリオくん』の作者)が、別の雑誌でスーパーマリオのマンガを描いていたんですね。それが凄い衝撃的で。
──そんなに面白かったんですか。
それまで僕、マンガ家っていうのは藤子不二雄しかいないと思ってたんですよ。
──えー!
この世のすべてのマンガを藤子不二雄が描いていると思ってたんですね。で、その沢田ユキオ先生のマンガをみた時に「ああ!! マンガ家って他にもいるんだ!」っていうことを思ったんですね。
──小学生としては、それはもう大発見ですね。
そのマンガが本当に面白くて、ものすごい模写とかして、そこからいろんなマンガに広がっていきましたね。マンガで夢中になったのはそれが初めてでした。そこから『ドラゴンボール』だったりとか、いろんな大ヒットマンガに触れていく、そのキッカケになったと思います。
──いきなりすごい話で度肝を抜かれました……でもまだこの段階では読み手の意識ですよね。そこからマンガを描き始めるようになるのは?
それはやっぱりマネからはじまりますね。僕の場合は、コミックスってあるじゃないですか単行本ですね。あれにすごく憧れてて、自分でマンガを描いて、それでコミックスを作りたかったんですよ。それも何冊も何冊も。コミックスっていうのが、なーんかかっこよくて、それでとにかくコミックスをたくさん作ろうと思って、ほんとに、話はしょうもないマンガなんですけど。
──マンガそのものをすっとばしてコミックスですか!
そうなんです。あの『ドラゴンボール』のコミックスって背表紙が!
──あ! 絵がつながってますね。
そうなんです! アレがやりたくて、自分が作ったコミックスは1冊が10枚くらいの紙を束ねただけのやつなんですけど、それに強引に背表紙を作ってむりくり絵をつなげて。すごく楽しかったんですよ!
──それを作って自分の部屋に並べてたり。
そうですね。でも一冊が10ページくらいなんで(笑)。全然厚さが足りないから思ったようにきれいに並ばなくて、まあでもそんなことをやっているうちに冊数がたまっていきましたね。
──いっぱい作られたんですね。ちなみにそれって何歳くらいのことですか。
それは小学校1,2,3年生の頃で、その時はもうマンガ家になるって決めてました。
──素早いですね! この間まで藤子不二雄しかマンガ家いないと思ってのに。
はい。それでですね、マンガ家になるのは決めたんですえが、マンガ家っていうのは締め切りに追われているらしいと。小学校2年生の時には、その締め切りで追い立てられたらどうしようとかって悩んでましたね。すごい心配してました。
──早すぎますよ!
それで、友達と「売れっ子マンガ家ごっこ」というのをはじめました。ひとりがマンガ家で、もう片方が締め切りをすごく言ってくる編集者役で「どうなってる?」、「まだできないのか」って言ってくるんですよ。それに対して「いや、もうちょっと待ってください」みたいな遊びをすごいやってました。
──小学校2年生が! それは役割が入れ替わるんですか?
はい、入れ替わります。そういう意味では僕は編集者歴があります(笑)。
──ものすごく楽しそうです。
マンガを描く人って、描くのが好きな人と、人に読ませるのが好きな人の2タイプいると思うんです。僕は読ませるのが好きなタイプだったんですよ。だから学校でずーっと描いて、授業中とかもずっと描いてて、そうすると休み時間ごとにちょっとずつ進んでいくじゃないですか。その度にみんなに見せて、たぶん先生にはバレてたと思いますけど(笑)。描いて、見せて、描いて、見せてってことをずっとやってました。
──友達の反応はどうでした?
すごくいい!って言ってくれました。今考えるとみんなやさしかったんでしょうね。
学校って基本的にマンガを持ってきちゃダメじゃないですか。そういう中で、子供が描いたものとはいえマンガが読めるってなるとみんな楽しそうに読んでくれましたね。すごく嬉しかったです。
マンガ=コロコロコミック
──その頃、読んでいたのはどんなマンガですか?
実はその頃から「コロコロコミックでマンガ家になる」って決めてたんですよ。僕の場合、マンガ家=コロコロコミックなので。なので読んでいたのもやっぱり当時のコロコロに載ってた『おぼっちゃまくん』(小林よしのり)だとか、『つるピカハゲ丸』(のむらしんぼ)とか、そういうマンガにすごく心奪われてましたねえ。
──コロコロギャグ漫画の正統な血筋を受け継いでいるんですね。
自分でいうのもなんですけど、そうだと思います。コロコロ愛は、誰にも負けない自信があります。
小学校3年生の時にはじめてコロコロ買ったんですけど、それから今まで読み逃したコロコロは1冊だけなんです。いま思うとすごく悔やむんですけど、高校の時に一回だけ「コロコロを買う」ってことがすごく恥ずかしかった時期があるんです。「もう今月はいいんじゃないかな」みたいな。
──1冊だけっていうのもすごいですけど。
その1回だけ買い逃してしまって、それがすごく悔しいですね。皆勤じゃなくなってしまったんです!
──子供マンガに対して思うところがあったんですか?
いや、描くマンガは完全にコロコロ向けだったんですけど、読んでるのを誰かに見られたら恥ずかしい……という感情がわいてきまして、その一回だけ見逃してしまったんです。
──1冊だけってことは、次の号でもう元に戻ったんですね。
罪悪感でいっぱいになってしまって……これだけコロコロ愛があるのに裏切ってしまったような。そこからはかかさず買おうと思いました。
中学高校の頃は「おまえいつまで買ってるんだ。バカじゃないのか」とか言われてたんですけど(笑)。みんなジャンプとかにいっちゃうじゃないですか。それでも僕はずっとコロコロで。
──中学になっても高校になっても一番好きなマンガはコロコロに載ってるようなマンガだったんですか?
そうですね。高校くらいになっても……でもなんだかんだいって高校生じゃないですか。コロコロは子供が読むものじゃないですか。なので高校生の時に「コロコロ、すげえつまんねえな」と思う時期がありまして「なんか子供だましじゃねえか」みたいに思ってた時期あるんですけど。
──ひどい(笑)。
当然なんですよね。子供が読むやつなので。そら高校生が読んだらそういうこと思うとおもうんですけど、なぜかわからないけど買い続けてましたね。
それでですね、高校生くらいの頃は載ってるどのマンガより自分の描くマンガが絶対おもしろいと思ってて、それなのに僕のマンガを載せないコロコロ編集部はバカじゃないのかとずっと思ってました。で、その後、あの時の自分はすこしおかしくなってたなと思うわけなんですけど(笑)。
──ということはその頃はもう本格的にマンガを描かれていたわけですね。そこからどのようにプロデビューしたんですか?
コロコロに当時、藤子不二雄賞というのがあったんですね。でも僕の子供の頃は「15歳以下は送れません」っていう年齢制限があったんですよ。じゃあわかった、高校一年生から送り出そう!と思って、
──曽山少年はいまかいまかと15歳になるのを待ってたんですね。
はい。で、高校一年なってすぐに送って、一次審査は通ったんですけど、そこでダメで。それから何回か送ってもダメで。あ、そうか投稿じゃダメだ、持ち込みをしよう!ってなって、高1の三学期くらいかな。そこから持ち込みをはじめて、あーだ、こーだ言われて、えー、そこからちょっと闇の時代が来るんですけど……これはコロコロ的にはあまり載せてほしくない情報かもしれませんが(笑)。
──闇の時代ですか。
コロコロにはめっちゃ持っていってたんですけど、その時の担当さんが「おまえはもう来なくていいから。他所にもっていけ」って言ったんですね。
──ええええ! それはコロコロ愛溢れる人間にはキツイ一言ですね。
その時、僕18歳くらいの時ですが、コロコロでマンガ描きたいという一心は変わらないんですけど、18歳の若造がですね、大人から「もう来んな」と言われたら行けないですよ。怖いし。もう来んなか、そうかあ、となって。
──うわあ……。
で、そこで目をつけたのはコロコロのライバル誌『コミックボンボン』。はい。
──え(笑)。
コロコロに持っていってボロクソに言われたマンガを、まったく同じものを持っていったんですね。そしたらボンボンの編集さんに大絶賛されたんですよ(笑)。「きみすごいな!」みたいな。
──あー、やばいー。
うちでしばらくやろうぜやろうぜってなって。だから僕にはそこから2年間のボンボンの時代があるんです。
──コロコロ愛では負けないはずが……。
そこでボンボンの先生のお手伝いとかもして、ボンボンに持ち込んで、打ち合わせとかして、しばらくやってたんですけど、どうしてもやっぱりコロコロに載りたいなと。なんかちがうよなこの雑誌と思ってしまって。
──揺れてるわけですね。
そのタイミングでボンボンから連載の話がきたんですよ。 とあるアニメのコミカライズを、このマンガをやってくれませんかって。
──うわー。ドキドキしてきた。
その時ってコロコロから「来んな」って言われてから2年くらいたってたんですね。だから「もうあれから2年経つし、『もう来んな』って言ったアイツいないんじゃないかな」って思いまして。
──「アイツ」になってる(笑)。
それで、もう一回出しに行ってみようとなって、その出した作品が『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』の元になっている『ぼくのおじいちゃん』ていうマンガだったんです。それで新人コミック大賞佳作を獲ったんです。
──いい流れですね。しかし「佳作」というのがこれまた。
そうなんです。ボンボンからは連載の話、こっちでは佳作。で、どっちか選ばないとダメだと。両方はダメですよってなって。で、やっぱり、もともとコロコロで描きたかったので「どうもすいませんでした!」てなって、コロコロに戻ることになったんです。
──もうジャイアンツに行きたい清原とか江川みたいな話ですね。
そこまで壮大なストーリーじゃないです(笑)。
──しかしその決断が「じーさん」を生み出してくれたんですね。よかったです。
じーさんの誕生
──そこからはもうコロコロ一筋の人生ですね。
いやあ、あのですね、ちなみに、僕は一番なりたかったのはマンガ家だったんですけど、二番目になりたい職業が役者だったんですね。
──や、役者??
はい。高校卒業する頃に思ったのが、マンガ家になったらもう役者にはなれない。だから、マンガ家になる前に役者をやって、それですぐやめようと思って、高校卒業してから18-19歳の2年間劇団に所属してたんですよ。
──ちょっと待って下さい。趣味でやってたとかそういう話ですか?
いや、小学校とかに年に一回体育館にやってきて、芝居をやって帰っていくみたいなのがあったと思うんですけど、それをやってたんですね。一年に150公演くらいやりながら、全国を巡りながら、マンガを描くっていうへんなことをやってたんですよ。
──あの〜、それマンガ描く時間とかなさそうですけど。
北海道から沖縄とかまで全部行くので、一回旅立つと一ヶ月くらい家に帰ってこられないので、マンガの道具を持っていくんですね。北海道とか沖縄とかフェリーで移動するので船の中でマンガのペン入れをやって、船の中すげえ揺れるんですけど、締め切りに間に合わない、みたいな感じで一生懸命マンガを描いてました。で、編集部にそのころ持っていってたマンガはほぼダメでしたね。
やっぱり二足のわらじってあんまりよくないんだなって、その時わかりました。
──上演するのはどんな内容なんですか?
『オズの魔法使い』、『子象物語』、そういうのをやってましたね。やってる間は、本当にしんどくて、本当にいろいろあって、すごく濃くて楽しい2年間でした。
──まわってる先は小学校ですか?
そうです。その時はもう小学生ターゲットにしたマンガ家になるって決めていたので、役者をちょっとやりたいっていう気持ちもあったけれど、あわよくば子供の気持ちみたいなものが、ぼんやりとでもわかったらいいなっていうのもありました。
──取材じゃないけれど、それだけたくさんの生の小学生と触れ合う機会は貴重ですね。
僕の人生の中で間違いなく一番濃かった2年だと思います。
──まだマンガ家になってないじゃないですか(笑)。マンガに話を戻しますと、コロコロデビューのキッカケにもなり、のちのじーさんの原型にもなった『ぼくのおじいちゃん』はどういうところから生まれたものなんですか?
えーと、ちょうどそのときに「天才病」にかかってまして。
──次々出てくる! 今度は天才病ですか。
自分は天才じゃないかと。天才だから、よくあるマンガは描いちゃダメだと思ってたんですよ。ぜんぜん人が描いたことないものを描こうっていうのを思ってまして、ものすごいシュールなマンガを描いてました。
──天才の描いたマンガはどのようなものだったんですか。
主人公が人生に迷ってるんですよ。その時に「人生とはなんぞや」みたいなことをすごく丁寧に教えてくれるおじいちゃんがいて、実はそのおじいちゃんはたぬきが化けてたみたいなオチなんですけれど。今思うとさっぱりなんだかわからないものなんですが。
──それを小学生向けに描いたんですか。
はい、天才ですから(笑)。
で、内容はまったく面白くないんですけど、そのおじいちゃんの顔だけいい顔が描けたなと思って。そのおじいちゃんが、でんぢゃらすじーさんの、ほぼ外見そのまんまなんです。
──おお! 天才が描いたキャラクターだったんですか!
その外見のキャラクターを使って、まんま子供むけに描こうと思ってできたのが、あのじーさんでした。
──おお、ついに生みだされたんですねあキャラが。しかし、その頃って、こんなに長期連載になるとは思ってないですよね?
そうですね。まず読み切りで『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』が載りまして、それがありがたいことに結構人気が高かったんですよ。
──やりましたねー。
だけど、その頃それとはもう別の読み切りを描いてて、正直じーさんはもう描き終わったやつだから、どっちかっていうと今描いてるこれを描きたい! じーさんの人気が高くても、こっちが描きたいんだ! と思ってました。
──なんと。
そしたたらその時のコロコロの編集さんが
「君はコロコロのダウンタウンになりなさい」
って言ってくれたんですね。
──どういう意味ですか?
いや、そんなに意味わかってなかったんですけど、「わかりました!」ということで、それでじーさんを描きましたね(笑)。おそらくは君が今やってることはキワモノ芸だ、イッパツ限りの変なことをやろうとしてるから、しっかり長期的に人気のとれるものを描きなさいよ。という意味だと思うんですけれど。
──ついに『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』の連載スタートですね。ずっと夢だったコロコロで連載を持つことになってどんな気持ちだったんでしょう。
ドッキリだと思ってましたね。
──ああ。載る載る詐欺みたいな。
いや、載るって話がきたときじゃなくて、コロコロに載ってからもそう思ってました。僕が読んでるこの一冊だけに載ってて、全国に出回ってるやつには載ってないと思ってたんですよ。
──大掛かりなドッキリですね(笑)。
そのドッキリ疑惑から解かれるのに結構長いことかかりましたね。
まだやってんのかよ!って言われたい
──さて、いよいよ月刊『コロコロコミック』という夢の舞台の連載陣になりました。『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』とその続編の『でんぢゃらすじーさん邪』を合わせると15年の長期連載となるわけですが。
ありがたいですね本当に。『スーパーマリオくん』を描いている沢田先生が「まだやってんの!?」ってめちゃくちゃ言われるらしいんですね。僕はそれって素晴らしい言葉だなと思っていて、コロコロっていうのは子供が読むものなんで、小学校卒業したら「卒業」する雑誌だと思うんです。もちろんずっと読んでもらえるのは嬉しいですけれど、どこかでコロコロを読むのはやめる時が絶対来る。そうなったらコロコロでいま何が連載しているかなんてむかしの読者知らないと思うんです。
──確かにそうですね。
それが、大人になってからなんかのきっかけでコロコロを読む機会があった時に『スーパーマリオくん』が載ってるのを見て「まだやってんのかよ!」って言うんですよね。この言葉を、僕は目指してやっているようなところがあります。じーさんも「まだやってんのかよ!」って言われたらすごく嬉しいです。当時読んでて、今になって久しぶりにコロコロを手にしたらまだやってて、全然変わってないみたいなのが理想です。
──じーさんはもうそうなっているんじゃないですか? 僕この取材のために通して読んでみたんですけど、実は『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』の12巻の次に間違えて続編の『でんぢゃらすじーさん邪』の13巻を読んじゃったんですよ。なのに全然気がつかなくって。
ははは。あるあるですね。ありがとうございます。うれしいですね。話のつながりとか全然ないので。コロコロだとそれが王道なんです。話は一話完結。子供はそれが一番読みやすい。一番いいパターンだと思いまして。
──驚くくらい、ずーっと同じですよねえ。
それはすごく心がけているんです。成長する部分はするんだけど、しない部分はしないで行こうと思うんですね。
今年でじーさんって15年めとかだと思うんですけど、読んでる子は当然15年も読んでないわけですよね。むしろ今月号から読み始めた子どもたちもたくさんいると思うので、その子達にむけて描かないといけない。15年描いてきて、いま16年目の気持ちじゃなくて、ほんとに最近はじまったばっかりのマンガの感じでやろうと。
──逆に「前回」というのを前提にしちゃいけない世界があるんですね。
ええ。その気持を、若干忘れてた時期っていうのもあって、たぶん『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』の17-8巻くらいの時期だと思うんですけど、そのころはちょっと病んでまして、読者のことよりも自分が面白いと思うものを描こうという方向に特化していて、シュールになってて、いま読み返すと、あ、これはよくないな、という時期がありましたね。
──あの、ところで、2010年に『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』が20巻で完結して、すぐに『でんぢゃらすじーさん邪』が始まるじゃないですか。中身ほとんど変わってないですよね。あれはいったいどういうことが起こったんですか?
あれはですね、たしか15-16巻くらいの時に担当の方が、「いっぺん1に戻しませんか」って言ってくださって、あ、じゃあ、20まで待ってください。20になったらキリがいいので1に戻します。っていう約束でやってましたね。
というのは、やっぱり子供が「コミックス買うぞ!」ってなった時に、じーさんの17巻ってなかなか買いづらいと思うんですよ。
──確かに(笑)。
いきなり「17巻、よし買おう!」っていう子供ってまあ~~稀だと思うんですよ。でもそれは本当に好きな子ですよね。それはありがたい話なんですけど、本当に好きな子は買ってくれると思うんですけども…。
──さっきの話とも矛盾しますよね。はじめて読んだ子が気に入ってコミックス買おうとしたら17巻て。
そうなんです(笑)。やっぱり1巻から読み始めたいですよね。重くなっちゃいますね。
──じーさん読んでると「ああ、小学校男子のあたまん中ってこんな感じだよなあ」ってしみじみ思うんです。だけど、その小学生男子感覚を15年にも渡って描くことができるのって、どうやったらできるんだろうって思うんですよ。小学生男子感覚をどうやってキープしているんですか?
それは基本ずーっとコロコロを読んでたっていうのがデカいと思うんです。
──コロコロを読み続けているから、わかるってことですか。
普通のマンガ家さんは、コロコロで描くことになったらまず最初に「コロコロ向けに描かなくちゃいけない」というのがハードルになると思うんですよね。でも僕はそれはないんです。マンガ=コロコロなので自然とクリアできる。そういう意味では他の作家さんよりやることがひとつ少ないんですよね。
──でも例えば、うんこネタとか出てきますよね。うんこのネタを15年一定のテンションで描き続けることができるということがなんかものすごいことだなと思うんです。
それはですねー、へんな言い方ですけど、うんこひとつとっても、面白いうんこと、面白くないうんこがあると思うんです(笑)。
マンガの中でしゅっちゅううんこが出てくるんですけど、安っぽいうんこじゃなくて、ちゃんと面白いうんこを描こうっていうのはすごく思っていますね。
──安っぽいうんこ……胸に突き刺さる言葉ですね。
僕子供の時から思ってたんです、このマンガは単純にうんこを出しすぎ。出せばいいと思ってる。だけどこっちのマンガはうんこの使いどころを見極めて出してるから、こっちはちゃんと面白い。そういうことを子供ながらになんとなく思っていたので、今の子供もわかると思うんです。
──本物には本物のにおいがするんでしょうね。うんこだけに。しかし、続けているとネタが「これ前にやったな」とかそういうことはないんでしょうか?
ありますあります。はい。確信犯的に前やったものをまんまやることもあります。それが悪いことではないな、と思っています。特にコロコロに向けて描くならば。結構開き直ってやってますね。王道パターンだったりとか、アンケートで評判が良かったやりかたはもう一度やってみようとか。前はそういうことを気にしていた時期あったんですけど、もう、過去にやったとかどうとかそういうのはとっぱらって、その時面白いと思ってることをちゃんとやろう。そしたら子供は初めてみた感じで笑ってくれるんじゃないかなと思って描いてますね。
──深い世界ですね……。こうした児童マンガのギャグって、多くの大人は「子供っぽい」とか思って敬遠している人が多いと思うんですよ。でも、ちゃんと読んでみると、大人の笑いの世界にはない豊かな世界があるなあとしみじみ感じるんです。
はい。いまでも、コロコロは大人が読んでも面白いと思えるマンガがいっぱいあると思うんです。だから、なんかの機会とか、たまたま時間があったりしたら久しぶりに読んで見るのもいいと思いますね。あの、ドリフってあるじゃないですか。あれ子供のころめちゃくちゃおもしろかったじゃないですか。でも大人が見ても面白いと思うんですよ。だから僕の目指すところというのはドリフなんです。
──ああ! じーさんは確かにドリフ的ですね。
単純明快で子供がみても面白い、そして大人も楽しい。ドリフってそうじゃないですか。こういうところにいけたらいいなあと思っていますね。
──ドリフがもっているようなギャグの普遍性というか。
舞台袖からクルマが突っ込んできたりとか、タライがたまにオチてきたりとかもう無条件で面白いと思うんです。無条件で面白いものが描けたらすごく自分の武器になると思いますね。
──ドリフがやっている、あるいみテレビの文法を壊すようなものってすごく曽山先生のマンガに似てますよね。はじまってすぐ殺されちゃうみたいな。常識をバンバン壊していく感じが。
僕ってマンガ家のほうで画力がかなり下のほうだと思うんです。うまいか下手かでいえば確実に下手の部類です。
そうだとしたら、画力を伸ばすよりも他の自分の武器になるもの、長所の部分を伸ばしたほうが絶対に読者は喜んでくれるだろうと思うんですね。その自分の武器になる部分という部分というのが、話始まっていきなり死んじゃったみたいなインパクトのアイデアを出せること。そこを他の人に負けないようにがんばろうと思っています。もちろん絵の練習もするんですけど。
──長く活躍されているギャグマンガの作家さんって、4コマの人は別にして、ずっとギャグの人って意外と少ないと思うんです。ギャグでデビューしてもストーリーマンガを描いてみたり、身辺エッセイの方に行ってみたり。曽山さんの場合はずっとギャグですよね。
やっぱりなんだかんだいってギャグの世界は深いなと思っていて、確かに同じようなギャグマンガを描き続けているんですけど、自分なりにテーマが時期によって細かく変動しているんですね。この時期はこういうことを心がけて描いてみよう、ここを勉強してみようとか。だから描いていてマンネリになるというのはないんです。
──ずーっとギャグの世界を掘り続けていると。
あとは『コロコロコミック』と同時に『コロコロイチバン!』という雑誌でギャグバトル連載をしていて。
──『わざぼー』とかですか。
はい。それを描くことで、気持ちの切り替えというかメリハリがついてすごくよかったなと思います。
じーさんばっかりやってるよりも、違うマンガがはさまることで、またじいさんに戻ってくることが新鮮で、心地よかったですね。
全面断崖絶壁の山で、技の名前を適当に叫べばその通りの技が出る不思議な棒「わざぼー」を使って敵と戦うギャグバトル。棒が相手の体のどこかに触れていないと技を出すことができない。
──『わざぼー』も大好きなんですけど、これはじーさんと全然マンガの作り方が違うのかなと思いました。断崖絶壁の上で「わざぼー」という相手に触れないとならないという極限状態が最初にセットされていて、毎回、えー、これどうやって勝つの? って考えるという。どうやってお話をつくるんですか?
『わざぼー』って、実はお話のパターンが2種類しかないんですよ。「わざぼー」というすごい武器が効かないか、届かないか、このどっちかしかないんです!
──確かにそのふたつですね。
そうなんです! 今回は届かないパターンにしよう、今回は無効化しちゃう話にしよう、このふたつをごちゃまぜにやっていくことで結構長続きしました。すごく楽しかったです。
──作るの難しい設定だなあと思って読んでました。しかし続の『わざぐー』という作品は、届く届かないが関係ない世界になりますよね。
そうなんです(笑)。さすがにどうにもならなくなって。
この時期にもうひとつ衝撃を受けたことがありまして。『コロコロイチバン!』のアンケートがあるのですが、それを見たら全体の1/3の子供たちが、この号で初めて『コロコロイチバン!』を読んでいたんです。
──1/3! そこまで多いんですか!
『わざぐー』は続きもののお話だったので、ああ、これはダメだと思いました。1/3が初めてだったら残りの2/3も2冊めか3冊めだなと。
──続きもののストーリーは成り立ちませんね。
それで『わざぐー』の幕を下ろして、そして一話完結の『みかくにん ゆーほーくん』が始まったんです。
──そういう流れでしたか。結構アンケートって影響力あるんですね。
あ、これは自覚してるんですけど、他の作家さんよりも圧倒的にアンケートを気にしてるんです。順位をすごい気にしてるので、そのアンケート結果で一喜一憂してます。こう、じーさんの人気アンケートとかで、低かった時に悪口言われるとすごく落ち込むんですけど、高ければ何言われても落ち込まないです。
──喜んでもらえてる実感があれば悪口も気にならないと。でも曽山先生の作品って悪口にするようなポイントありますかね?
「あたまがおかしい」とか。
──それ褒め言葉じゃないですか?
「あたまがおかしい」って褒め言葉ですか? ちがうと思いますよ(笑)。
日本一の児童マンガ家になる
──ちょっと生活のことや今後のこともお聞きしたいのですが、いま現在読まれるマンガってどんなものが多いですか? やっぱりコロコロ関係が多いんですか?
今でも『月刊コロコロコミック』を一番よんでますし、『別冊コロコロコミック』、『コロコロアニキ』も読んでます。あとはジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンは読んでます。それと「大人気」と言われてるものは読もうとしてますね。
やっぱり古くなっちゃうのがちょっと怖くて。なんとか新しいものを取り入れたい気持ちはあるんです。
僕の絵って古いんですよ。だからなんとか。
──古いというか、正統派のマンガというか、マンガらしいマンガの味わいですね。でも新しいものも取り入れたいと。
まあ、でも資料として読んでいるというより、もちろん楽しんで読んでますね。資料だとかいうのは後付ですね。そう言ってたらかっこいいじゃんみたいな。
──ライバルと思っている作家さんはいますか?
4人います。
──即答!
1人目はコロコロで『デュエル・マスターズ 』描いてる松本しげのぶ先生。コロコロで一番おもしろい!と思っていて、それを倒そうというのが目標です。2人目がコロコロで『ケシカスくん』を描いている村瀬範行先生。コロコロの作家で小学館漫画賞を2回獲るのは誰なのか、俺だ、いや俺だっていうことでバチバチした関係です。3人めがコロコロで『100%パスカル先生』を描いている永井ゆうじ先生。
僕はじーさんが始まった時に天狗の時期があったんですよ。誰にも負けねえという自負があったんですけど、それを数字の上で見事に負かして来たのが永井先生です。それと僕は自分のマンガで「雑誌の発行部数を上げる」ことはできてないと思うんですね。でも永井先生は『ペンギンの問題』でそれができた。それが僕の中でコンプレックスになっていて、彼に勝ちたいなーと常に思っています。
──ここまで全員コロコロの作家じゃないですか。
最後の4人めは少しちがっていて『コロコロイチバン!』で『タイムボカン24』を描いている杉谷和彦先生。彼は高校の同級生なんです。
──まじですか。
高校の頃からお互いマンガを描いていて、どっちが先にデビューするか競ってたんですね。だけど彼が高校在学中にジャンプにプレゼント懸賞イラストが載ったんですよ! この時僕はもう完全に負けたな、と思いました。それからずっと意識してます。
──めちゃくちゃ負けず嫌いなんですね。
最後に今後のことをお聞きしたいのですが、野望のようなものはありますか?
僕は、人生の目標が日本一の児童マンガ家になる。ってことなんですよ。僕の人生を賭けてその夢を叶えようと思ってます。
──おおお。
それを志したのがたぶん高校生の時なんですね。その時、日本一のマンガ家ってどうしたら成れるんだろう? と考えまして、出した結論が、単純な話で、誰よりも面白いマンガを誰よりもたくさん描いたやつが日本一だと思ったんです。
だから僕はアンケートの結果と、それとページ数をすごく気にしているんですね。アンケートで誰よりも面白いと評価され、ページ数も誰よりも多い。この2つをずーっと気をつけているんです。
──それ自体がマンガのストーリーになりそうですね。
それで、とりあえずの目標として生涯でコミックスを100冊出したいんです。
じゃあ100冊出すにはどうしたらいいんだってことを考えた時に、1年で3冊ペースで出せたら34年で100冊になる。じゃあ1年で3冊出すにはどうしたらいいのか? 4ヶ月に1冊出せばいい。4ヶ月に1冊出すには、1ヶ月に45ページ描けばいい。つまり毎月45ページのペースで34年間描き続ければいいんだ、ってことでアンケートを気にしながら、これを目指して日々描いてます。
──すごい……ある意味子供の頃に10ページのコミックスを量産してた時からブレてないですね。
そうですね(笑)。あの、児童マンガで100冊出してる人ってかなり少ないと思うんですね。それを目指してやろうかなと。それが終わったら、そっから先はそんときまた考えようかなと思ってます。
──いま何冊ですか?
この間50冊めがでて、やっと折り返し地点です。
──おめでとうございます!
これはあんまりしゃべらないです。恥ずかしいんで。でも常に頭の一番上においてますね。自分の中で大事なことなので。
──名言だらけのお話ありがとうございました。
名言のところ太字でお願いします!