1 はじめに
石森章太郎はかつて自らの主催する肉筆回覧誌を、正岡子規の随筆のタイトルを借りて『墨汁一滴』と名づけました。日本のマンガは基本的にモノトーンです。白い紙面に黒いインク一色で描くことができます。若き日の石森が看破した通り、マンガ表現の本性とはインクの染みにほかなりません。
インク壺に浸したペン先を紙面に走らせて、作者はマンガを生み出します。したがって、先の命題は次のように言い換えられます。すなわち、マンガ表現とはインクの線である、と。この現実は印刷物においても変わりません。ツールがデジタルに替わっても事情は同じです。
とはいえ、私たちがこの現実を意識することはほとんどありません。視線を紙面に走らせて、読者は線分の集合体を「線画」「枠線」「文字」といったカテゴリーに分類します。また「線画」を例にとれば、さらに「人物」「背景」「音喩」「形喩」といった下位カテゴリーへと分類します。しかも、こうして弁別した図像群を、読者は同時に記号として解読します。こうした分類・解読を行なうには、当然マンガ文法の習熟が必要です。しかし、慣れてしまえば、判断は即座に無意識裡に行なわれるため、マンガ表現が紙面上のインクの線であるという現実は普段忘却されているわけです。
インクの線で構成されたマンガ表現は、イメージ(図像)であると同時にシンボル(記号)でもあります。しかしながら、それはそもそも、作者が走らせたペンの痕跡です。このインデックス(指標)性が前景化すれば、読者の意識は必然的に作者の身体へ、さらに作者の精神へと遡及的に肉薄することになります。
言い換えれば、マンガ表現が透明化して直ちに読者のなかで安定した意味を結ぶ場合には作品の自立性が、表現自体が意味を凌駕して前景化する場合には作者の私性が担保されると言えます。
2 作者・作品紹介
今回ご紹介するのは、浦部はいむ『高校生を、もう一度』(全1巻)です。夜間の定時制高校を舞台にした青春群像劇です。イースト・プレスが運営するウェブメディア『マトグロッソ』に2019年8月から2020年5月にかけて連載されました。
主人公は21歳の赤山七海です。クラブ活動で孤立したのをきっかけに全日制の高校を中退し、工場でアルバイトをしていますが、先行きに不安をおぼえて高校に通い直すことを決意します。入学当初は年の差を気にしていましたが、次第に同級生たちと触れ合うようになります。
浦部の力の抜けた絵はほとんど落書きのようです。タッチはやや荒れていますが、読者が読みにくさを感じるほどではありません。人物の線質と絵柄には水木しげるの影響が見てとれます。『not simple』の頃のオノ・ナツメの影響もあるかもしれません。比較的等身が低くて愛嬌があり表情も豊かです。
画力はそれほど高くありませんが、センスが感じられます。作中にはタカオという正面と真横の二方向から見た顔を合成したキュビスム風のキャラクターがいます。[図1]遊び心のある造形です。作者が楽しんで描いている気分が伝わってきます。
作者は居酒屋でアルバイトをしていた20歳の頃、仕事や人間関係に悩むなかで「本当にしたかったことをしよう」と発起してマンガを描き始めたといいます。(*1)2018年10月からは四頁の掌篇を定期的に描くようになり、過去作とともにTwitterで発表、それが編集者の目に留まり単行本化に繋がった、作者はこのように商業マンガ家となった経緯を語っています。(*2)
3 『あ、夜が明けるよ。』
作者の初単行本『あ、夜が明けるよ』は独立した14作品で構成されています。長さは様々で、なかにはわずか一頁の掌篇もあります。このうち商業媒体に発表されたのは「僕はトイレが怖いんです。」(『月刊!スピリッツ』2017年8月号)のみで、残りは前述したTwitterのほか無料ウェブサイトとかきおろしです。
主人公たちは社会から疎外されていたり経済的に困窮していたりする弱者です。彼らは孤独を抱え、他者との繋がりを希求しています。その願いが裏切られる作品もありますが、ある種の救いが示される作品が大半を占めます。
筆者はいましがた「救い」と述べました。ただし、これはあくまで登場人物たちの主観に基づくものです。彼らの感覚は世間とは明らかにズレています。常識に照らして彼らの繋がりを救いと言いうるかどうかは甚だ疑問です。ここに作者の独自性が見出せます。
例えば、アルバイト先で親しくなった後輩女性の家はゴキブリ屋敷です(「ゴキブリハウス」)。同じくアルバイト先で親しくなった後輩男性は人殺しの吸血鬼です(「震えてる??」)。幼馴染みで心優しき妻は人ならざる怪物です(「僕はトイレが怖いんです。」)。これらの話は普通の感覚ではホラーにほかなりません。しかし、彼らは記憶の隠蔽や主観的な思いの強さによって世間から疎外された者同士の繋がりに安らぎを見出します。
作者は本書のあとがきで「絵柄からは想像できないような悲しいお話だったり怖いお話だったりする漫画に凄く惹かれます。(略)自分の描く漫画のテーマは「不気味だけどちょっと優しいお話」です」(*3)と述べています。この言葉の通りに、作者は可愛らしい絵柄で、客観的には「不気味」でありながら彼らの主観的には「優しい」世界を描いています。
4 夜の闇
『あ、夜が明けるよ。』は、しかし、裏を返せば「優しい」けれど「不気味」な世界を描いています。生きづらさや満たされぬ思いを抱えた読者には癒しや慰めとなりえますが、とりわけホラー紛いの作品が読者を選ぶのは確かです。
作者はあとがきで「収録されている漫画は自分の体験を元に描いてたりします」(*4)と告白しています。先述の通り、作者は仕事や人間関係を苦悩するなかで創作活動を開始したといいます。私見ですが、初期創作において作者のマンガを描く行為には自己療養の面があったのだと推察します。
本書には可愛らしい絵柄よりも乱暴な線の印象が勝る作品が多数収録されています。紙面は総じて黒く、陰鬱です。インクを叩きつけるかのような荒々しいタッチで原稿用紙に描かれた歪んだイメージ(図像)は、シンボル(記号)として意味をなすより先に、作者のペンのインデックス(指標)であることを自ら暴露しています。読者は否応なく、ペンを紙面に走らせた瞬間の作者の心身へと思いを致します。作家はペン先を通して現実生活で溜まったドス黒い鬱憤を白い紙に吐き出したのではないか、そうした想像が自然と働きます。[図2]
しかし、Twitter等に発表した作品が反響を呼び、単行本さえ上梓できたことで、作者は他者からの承認を実感したに相違ありません。巻末には『高校生を、もう一度』を予告する作品が配置されています。夜の闇を払うかのような、心温まる短篇です。一冊を読み通した読者の胸には優しい余韻が残ります。
5 夜明けの光
本書には、夜空を模倣した14枚の濃紺の作品扉が、読み進めるに連れて書名の通りに徐々に白んでいく仕掛けが施されています。このアイディアが作者のものか装幀を担当した井上愛理のものかは不明ですが、美しいデザインです。穏やかな読後感に大きく貢献しています。
巻末には表題作「あ、夜が明けるよ。」が収録されています。三本ある単行本のかきおろし作品の一本です。収録作のなかで最新のひとつと考えられます。
主人公は事務員として働く一ノ瀬サツキです。彼女は職場の仕事や人間関係に悩む日々を送っています。そんな折、高校時代の級友・多田あおいと五年ぶりに再会します。朝晩チラシのポスティングをしているというフリーターのあおいは、悪気なく「会社員って(略)楽そうでいいなー」と口にします。サツキはこの一言に逆上し、「たかがバイトに偉そうに言われたくない!」と鋭く言い放ちます。
ストレスに耐えかねて、サツキはほどなく会社を辞めます。働くことに怖れを抱くなか、サツキは再びあおいと遭遇します。あおいは失言を謝罪し、サツキをポスティングのアルバイトに誘います。研修を兼ねた仕事の初日、夜通し町を歩き回り、長い坂道を上った先で二人は夜明けを迎えます。サツキは暴言を謝罪しますが、あおいは「謝らないで(略)/それに今とっても嬉しいの!/高校時代に戻った感じがして…楽しかったから!」と応じます。一頁大の最終コマでは、朝日が現在の二人とともに高校時代の二人をも優しく照らしています。[図3]
6 『僕だけに優しい君に』
二冊目の単行本『僕だけに優しい君に』(ウェブコミックサイト『COMIC MeDu』2018年7月から2019年3月)には、ある変化が現れています。一冊目の作品集には誰かと繋がり救われたい、という祈りが顕著に見られました。本作ではそこから一歩前進し、誰かの力になりたい、という願いが表現されています。描き込みが多めで、紙面が全体的に黒っぽい点は変わりませんが、タッチの荒れは抑制されています。時系列を入れ替えて読者を牽引する話法と併せて、物語を多くの人に届けたいという意志が強く感じられる仕上がりです。
主人公の陸夫は高校卒業後スーパーに就職し、親切な先輩・福木と出会います。しかし、人間関係の悩みを相談した陸夫に、福木は厳しい言葉をかけます。逆恨みした陸夫は魔女を呼び出して呪いをかけ、福木は失明します。他方、陸夫も呪いを受け、年を重ねることも死ぬこともできない体になります。彼の左手は他人の夢を叶える魔法の力を得ましたが、必ず一日一人を幸せにしなければなりません。魔女の使い魔であるカラスのクロたんの指示を仰ぎつつ、陸夫は人々の願いを叶えていきます。そんな折、ボランティアとして訪れたフリースクールで、陸夫はお絵描きが好きな少年・タロスケ君と出会います。この運命の出会いが二人の未来を変えていきます。
職を転々とする日陰者の陸夫とマンガ家志望のタロスケ君は、ともに作者の分身といって差支えのない存在です。私性を多分に織り込む創作法は従来と変わりありません。しかし、執筆動機が異なります。過去の自分と同じように先が見えず藻掻き苦しんでいる誰かに向けて、作者はペンを執っています。
本作は過去の加害行為を悔いる主人公の贖罪の物語です。作者は、負債を傷つけた相手に返すことが叶わないのならば、代わりに努力を続けている若者に返済すべきであるという倫理を提示しています。この贖罪のテーマは『高校生を、もう一度』の第五話で変奏されます。
興味深いのは、カラスのクロたんと主人公の関係性です。クロたんは墨ベタのシルエットで表現されています。主人公の外部に形象化された呪詛の象徴と言えます。単行本かきおろしの後日譚(電子版)で、陸夫はこのクロたんを「一緒に住んでる」「家族みたいな」存在だとタロスケ君に紹介します。彼は、すなわち、自らの負の感情と折り合いをつけることに成功したと言えましょう。
7 『高校生を、もう一度』
以上を踏まえて『高校生を、もう一度』を見てみましょう。作者はあとがきで定時制高校に通った過去を明かしています。曰く、15歳で全日制の高校を中退し、16歳から工場で四年ほど働き、このままでいいのかと不安になっていた19歳の頃、テレビドラマ『夜のせんせい』(TBS、2014年1月から3月放送)を視聴し、夜間学校に通いたいと思った、と。(*5)主人公の七海や周囲の人物、あるいは個々のエピソードには少なからず作者の実体験が反映されています。
『僕だけに優しい君に』と同様に、作者は本作を自己療養のためではなく他者を賦活するために描きました。「あの時定時制のドラマを観ていなかったらきっと学校に通ってなかったと思います/あの日の私のような人に届いてほしいと思って定時制のお話を描きました」。作者はこのようにペンを執った動機を語っています。呪詛の籠った線は影を潜め、紙面の多くを白が占めています。
主人公の七海が触れ合う同級生たちは年齢も境遇も異なり、それぞれの事情を抱えています。非行に走る中学三年生の娘の模範となるため高校卒業を目指している32歳のシングルマザー(第三話)、中学時代にいじめと不登校を経験して心を閉ざしてしまった音楽好きの少年(第四話)、学生アルバイトへのパワハラを叱責されて鬱病になり勤務先のスーパーを退職した28歳の元正社員男性(第五話)、志望校に合格できず自信を失くしリストカットを繰り返している元優等生の少女(第六話)などが登場します。彼らの多くは苦難を乗り越え、再生の道へと歩み出していきます。単行本かきおろしの最終話には、卒業後の彼らとともに、夢への一歩を踏み出す七海の姿が描かれます。
作者は自身の経験を語りつつ「いつでもチャレンジできる」(*6)と読者に訴えています。本作は壁を前にして立ち止まってしまった壊れやすい卵の再チャレンジを、そっと後押ししてくれるはずです。
8 おわりに
作者は最終話において、あるマンガ作品にオマージュを捧げています。その作品とは、本レビューの初回で取り上げた村上かつら『淀川ベルトコンベア・ガール』(『月刊!スピリッツ』に2009年10月号から2011年9月号)です。
定時制高校の友人たちとの触れ合いを経て、七海は応援してくれる職場の人たちの愛情に気づき「ここが好き」だと思い始めます。そんな七海に対し、先輩の女性が声をかけます。「あなたは若いんだからここじゃもったいないわよ……」「本当はやりたいことあるんでしょう? やったほうがいいわ」。この言葉に後押しされて、七海は工場を辞めて絵本作家を目指しはじめます。[図4]
このやりとりは『淀川ベルトコンベア・ガール』の終盤、食品工場に勤める主人公のかよが先輩のスミ江に外の世界へ出ていくよう促される場面にそっくりです。村上かつらは長く休筆しています。しかし、スミ江に託された彼女の思いは、いまもなお若いマンガ家の胸の内に温かな光を灯し続けています。
村上の作品に幾許か背中を押されて、浦部は本作を執筆しました。同じように浦部の作品に背中を押されてマンガ家を志す描き手が現れることを、マンガを愛する者として期待せずにはいられません。
[註]
*1 浦部はいむ「あとがき漫画」『僕だけに優しい君に』ジーオーティー、2019年7月、193頁。
*2 浦部はいむ「あとがき」『あ、夜が明けるよ。』KADOKAWA、2019年5月、157-158頁。
*3 同上、160頁。
*4 同上、158頁。
*5 浦部はいむ「あとがき」『高校生を、もう一度』イースト・プレス、2020年10月、259頁。
*6 同上、263頁。