壊れやすい卵のための21世紀マンガレビュー(第2回) やまもり三香『椿町ロンリープラネット』

壊れやすい卵のための21世紀マンガレビュー(第2回) やまもり三香『椿町ロンリープラネット』

1 はじめに

 藤本由香里は、かつて「少女マンガの根底に流れているのは、「私の居場所はどこにあるの?」という問い、誰かにそのままの自分を受け入れてほしいという願いである」(*1)と明言し、つぎのように論じました。

彼女の存在の根拠が揺らいでいるそもそもの原因は、多く、本来なら最も無条件に彼女の存在を受け入れてくれるはずの他者――つまり両親――からの自己肯定が得られず、そればかりか積極的に否定さえされてしまう、というところにある。だから、少女マンガには「家族」をめぐる話が実に多い(略)。考えてみれば恋愛ものだって、その先に「幸福な結婚」がおぼろげにせよ措定されているとするならば、これも「家族回復」の物語だといえる。(*2)

 かくして藤本は「少女の「居場所探し」の旅はそのまま「あり得べき理想の家族」の回復への旅に他ならない」(*3)と喝破しました。

 少女マンガとは少女による居場所探しの旅であり、それはとりもなおさず理想の家族を回復する道行きである。これはジャンルの芯を捉えた命題です。ただし、親の否定により存在の根拠が揺らぐのは、なにも少女に限った話ではありません。優れた少女マンガは、年齢性別を問わず、居場所を希求する「壊れやすい卵」に向けた処方箋たりうるはずです。

2 作者・作品紹介

 今回ご紹介するのは、やまもり三香『椿町ロンリープラネット』(全14巻)です。集英社発行の王道少女マンガ誌『マーガレット』に201512号から201918号にかけて連載されました。

 作者のマンガで真っ先に目を惹くのはカラーリングセンスです。本作の単行本の装画は和服の色合わせを意識しているようですが、全巻を通じて美しく、思わず手に取りたくなります。

 線画のセンスと技術も少女マンガ界最高峰だと思います。特筆すべきは人物作画です。上品な顔立ちにしても、すらりとしたプロポーションにしても、華やかさと色気を備えた見事な造作ですし、描き出す線は端正かつ繊細です。筆者はページをめくる手を止めて見惚れている自分に気づくことがしばしばでした。

 とくに美麗なのは人物の横顔でしょう。筆者は岩館真理子、谷川史子、志村貴子を密かに「三大横顔美人マンガ家」と称して崇めてきましたが、その称号を「横顔美人マンガ家四天王」に改めたことを告白します。

 演出力も申し分ありません。作者はコマ割り、モノローグの配置の仕方、トーンワーク等の技法に関して、いくえみ綾を筆頭に惣領冬実、谷川史子の影響を公言しています。(*4)並み居る名人に学んだ実力は本物です。とりわけ本編の最後の数ページでは、高い演出力を遺憾なく発揮しています。人物と台詞を極力排し、背景と静物に最小限のモノローグを重ねながら静かな幕を下ろす演出は、温かな余韻を残します。

 このように表現面において、作者の突出した才能は疑いようがありません。一方、内容面においては、あまり尖ったことは描かず、いわゆる「王道」を好む性格です。物語の導入を見てみましょう。

 主人公は女子高生の大野ふみです。母親を早くに亡くし父親と二人暮らしでしたが、その父親が多額の借金を背負ってマグロ漁船に乗り込みます。ひとり残され、家も失ったふみは、家賃と生活費を浮かせつつ父親の返済費の一部を工面するため、気鋭の時代小説家・木曳野暁の家で住み込みの家政婦として働くことになります。ところが、顔を合わせてびっくり。年配だと思い込んでいた小説家は、なんと若くて不愛想なイケメンだったのです! こうして一つ屋根の下、胸キュンラブが始まります。

3 想定される批判

 本作が描き出すのは、時代小説家の男性と、住み込みで彼の身の回りの世話をする女子高生の恋愛です。よく言えば少女マンガの「王道」ですが、悪く言えば「n番煎じ」です。ご承知のとおり、家なき子の少女が男子と同居する先行作は枚挙にいとまがありません。

 しかも、この設定は、類型的だ、ご都合主義だ、といった批判に収まらない倫理上の問題を孕んでいるように思われます。住む場所さえない貧乏な女子高生と、社会的地位が高く一回り年上の俺様系イケメン作家との閉鎖的な権力関係を肯定的に描いている、といった厳しい見方もできるからです。女性側が男性優位社会を嬉々として承認する悪例としてフェミニズムの観点から糾弾されかねません。

 本作は、なるほど、見ようによっては少女の居場所探しを悪用した俗悪な物語のように見えます。しかし、そのような理解は端的に言って誤りだと考えます。以下ではそうした誤解の解消を目指します。

4 『ひるなかの流星』

 反論に先立ち、『椿町ロンリープラネット』の論点を明確化すべく、同様に女子高生と「先生」の年の差ラブを描いた前作『ひるなかの流星』(『マーガレット』201112号から201423号)の整理を行ないます。

 『ひるなか』の主人公は、両親の海外転勤を機に石川県の田舎町から上京し、叔父の家から吉祥寺の高校に通うことになった与謝野すずめです。すずめは上京初日に道に迷い、熱を出して倒れたところを偶然通りがかったイケメンに助けられます。このイケメンは、なんと転入した高校のクラス担任の獅子尾でした。ご多分に洩れず、すずめは次第に獅子尾に惹かれるようになります。他方、上京して初めて友だちになった同級生のイケメン・馬村に、すずめは思いを寄せられるようにもなります。

 すずめは、黒王子・獅子尾と白王子・馬村というタイプの異なるイケメンの間で揺れ動きます。『ひるなか』は、読者がそうしたヒロインの感情に同期して楽しむことを主眼とした王道ラブストーリーだと、ひとまずは言えます。

 正直に言えば、すずめのことを「ちゅんちゅん」というあだ名で呼び、さしたる逡巡もなく教え子に手を出そうとする獅子尾への反感から、筆者は本作が苦手でした。2017年公開の実写映画では、すずめを演じた永野芽衣のあどけなさにより、三浦翔平の演じる獅子尾のヤバさが際立っています。

 映画版は永野芽衣が嵌まり役で、その表情に時折はっとさせられるものの、全体の出来はいまいちです。しかし、おもしろいことに、筆者はこの冴えない映画に原作の可能性の中心を教えられました。映画化に際して捨象された要素に着目したことで、原作の最良の部分に思い至ったのです。

 藤本由香里が述べたように、少女マンガは弱者が居場所を得る物語を提供しつづけてきました。しかし、すずめは弱者ではありません。当初こそ新しい環境に馴染めるかどうか不安を抱えていましたが、性格はむしろ図太い方ですし、友だちにも恵まれます。ルックスも人並み以上です。要するに、居場所を求める読者には共感を寄せにくい人物造形といえます。しかし、この事実のみをもって『ひるなか』が少女マンガの理想から外れていると断じるのは早計です。

 『ひるなか』には、じつは明確な生きづらさを抱えた弱者が二人登場します。白王子役の馬村と、すずめの親友のゆゆかと恋仲になる土牛先輩です。馬村は彼の幼少期に社内不倫の末に家を出ていった母親のせいで女性恐怖症です。土牛先輩は貧困状態にありながら、それを隠して学校生活を送っています。映画版では、尺の都合でしょうか、馬村の心理の掘り下げは行なわれません。土牛に至っては存在すら消されています。しかし、『ひるなか』の中核を占めるのは、じつは彼らの居場所探しなのです。

 原作の最大の長所は、この二人がそれぞれすずめ、ゆゆかとの恋愛を通じて自己肯定感を得る救済の物語として機能している点です。この点において、本作は正統な少女マンガといえます。すずめが馬村に本心を告げる場面で、馬村が「床ドン」されるお姫さま側なのは偶然ではないのです。

 『ひるなか』が内包しているのは、女性が男性に居場所を与える二つの物語です。この読みは思いつきでも付会でもありません。その証拠が、番外編に収録されている短篇「男女逆転 ひるなかの流星」です。全キャラクターの性別が反転した『ひるなか』世界を描いたこのセルフパロディの存在は、作者にとって男女の役割が容易く反転可能であることを如実に示しています。

 以上のように、やまもり作品では男女は基本的に等価であり、役割も流動的です。事実、『ひるなかの流星』は少女たちによる少年たちの魂の救済を描いています。それでは『椿町ロンリープラネット』はどうでしょうか。

5 孤独なふみ、孤独な暁

 本作の主人公のふみはとても「いい子」です。寂しいときも辛いときも、ほとんど弱音を吐きません。しかし、それは他人に頼る術を知らないからです。彼女はずっと心の奥に孤独を隠して生きてきました。

 物語の序盤、暁に自分以外の恋人ができることを想像して泣いてしまったふみは、暁の留守中にひとり押し入れに籠ります。これは彼女が幼少の頃、父親の留守中によく行っていた遊びでした。「外は宇宙空間で出れない」という設定を作り「もし今お父さんがこの扉を開けたらゲームオーバー」、「その時は罰ゲームとして本当のことを言う」というルールを設けていましたが、結局その日は訪れませんでした。

 押し入れのなかで膝を抱えて、彼女は思います。「今もあの時もかわらない 小さくてちっぽけな宇宙でずっと1人 誰かが来るのを待っている」。[図1]しかし、今回は違いました。帰宅した暁が扉を開けてくれたのです。ゲームオーバー。彼女はついに「罰ゲーム」を遂行し、暁を相手に本音を打ち明けます。「1人で さみしかったんです たぶんずっと さみしかったんです」。[図2]暁との生活で、ふみは魂の孤独から救われます。

図1 やまもり三香『椿町ロンリープラネット』3巻、集英社、2016年3月、101頁。
図2 同上、106-107頁。

 作者は、ふみという名の孤独な惑星が家族を回復する道行きを描き出します。しかし同時に、より強い筆致で、作者は暁を描き出します。『ひるなか』と同じく、本作の主題も男性の家族回復にあります。

 暁もまた不器用で孤独な人間です。コミュニケーションが不得意で、いつも言葉が足りず、人を遠ざけてしまいます。そんな暁が初めて手放したくないと思えた相手がふみでした。ふみとの生活で、暁もまた魂の孤独を癒されていきます。

 作者は二人の結びつきが自然に深まっていく過程を、とても丁寧に描き出します。配置されるエピソードはありふれたものばかりですが、そうした日々を積み重ねることで、二人は素直に思いを伝え合うことの大切さを学んでいきます。

6 暁と母親との和解

 先述の通り、やまもり作品では性別という差異は無化されています。ただし、無化されるのは性別だけではありません。二人で遊園地を訪れた際、暁はふみに「同い年デート」を提案します。もちろん実際に「同い年」になることは不可能です。あくまで、ふみに自分への敬語を禁じるルールを冗談めかして表現した言葉にすぎません。しかし、この戯れに批評的な意味を見出すならば、やまもり作品では年齢差もまた無化される、こういって差し支えないと思います。

 年齢・性別の違いを無化した対等な立場で互いに思いを伝え合う大切さを知り、暁はようやく彼の孤独の原因である母親と向き合います。本作の最大の山場は、両者の和解にあります。母親と息子の関係性の回復を主題とした作品にはあまり馴染みがありません。希少な物語といえましょう。

 母親との対話を終えて、暁は述懐します。「親にもちゃんと人格があって 他の人と同じように弱くて脆いことを初めて知った(略)あの人はあの人なりに悩んでいたんだな」。ふみとの交際を経たことで、暁は母親もまた一人の不完全な人間にすぎないと気づくのです。

7 おわりに

 最後に、やまもり作品の美しい横顔について、いま一度言及します。マンガは一枚絵のイラストとは異なり連続するコマからなる表現形式です。そこでは横顔が強力な武器となります。

 横顔の利点は人物同士が対面したり、ともに同じ対象を見ていたりする状況を描きやすいことです。二人の対話を重視する作品内容を支えているのは、横顔で繊細な表情を表現する作者の高難度の技術だといっても過言ではありません。

 日本のマンガは右から左へ、上から下へと視線を移動させて読みます。それに付随して、読者の心理は、いってみれば、右から左へと風に押され、上から下へと重力に引かれています。横顔を大胆に多用することで、この読みのベクトルと同調したり相対したりする手法が作者の得意技です。

 とびきりの名場面を実際に見てみましょう。先述した暁の述懐に連なる場面です。母親との対話を終えて、二人は実家の暁の部屋で就寝前の寛いだひとときを過ごします。暁はふみに膝枕をせがみ、自室に女性を入れたのは初めてだと告白します。母親の部屋から漏れてくるラジオの音楽に包まれながら、二人はキスをします。[図3]キスの主体はふみですが、『ひるなか』に描かれたすずめの「床ドン」よりも、ずっと自然で繊細な愛情表現です。

図3 やまもり三香『椿町ロンリープラネット』14巻、集英社、2019年9月、16-17頁。

 キスで結ばれる二人の姿は、まるで陰と陽が不即不離の関係にある太極図のようです。孤独な二つの魂は、年齢と性別を超えて一つになったのです。この少女マンガ史に永く刻まれる最高のキスシーンをもって、無粋なフェミニストへの反論を終えます。

 

[註]

*1 藤本由香里『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』朝日文庫、20086月、143頁(初出、藤本由香里「あなたのための場所」『イマーゴ』199110月号)。
*2 同上、144-145頁。
*3 同上、145頁。
*4 やまもり三香(インタビュー)「やまもり三香『椿町ロンリープラネット』女子高生と時代小説家のひとつ屋根下ラブ! 最新刊は新キャラ登場で、ますます恋がヒートアップ!?」、ウェブサイト『このマンガがすごい!WEB20174月、https://konomanga.jp/interview/101505-2/2、最終アクセス2020121日。

記事へのコメント
ひるなか、椿町ときての「うるわしの宵の月」だと思うと感慨深いものがあります。 やまもり三香先生ってやっぱりすごい…

ひるなか、椿町ときての「うるわしの宵の月」だと思うと感慨深いものがあります。 やまもり三香先生ってやっぱりすごい…

@名無し

どれも男女の関係が独特で繊細ですよね。毎回惹き込まれます…!

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