大和田秀樹の政治大河コミック『疾風の勇人 所得倍増伝説』全7巻 続きが読みたいあのマンガ その4

 今回取り上げるのは、大和田秀樹の政治大河コミック『疾風の勇人 所得倍増伝説』だ。講談社の青年誌『モーニング』で2016年9号から2017年20号に連載。単行本はKCモーニングから全7巻で完結している。

『疾風の勇人』

 主人公は1960年7月19日から64年11月9日まで内閣総理大臣を努めた池田勇人。彼が生きた太平洋戦争後の復興から高度成長へと向かう動乱の時代を、第1章「日本独立編」、第2章「総理への道編」、第3章「死闘! 55年体制編」、第4章「宏池会爆誕編」の4部で描くはずだった。
 しかし、第2章が完結しないまま2017年27号で連載は終了。単行本最終巻の7巻では大幅な加筆修正がなされた。
 唐突な終わり方だったために、ときの政権からのクレームに屈したのではないか、などさまざまな憶測がめぐらされ、当時の岸田文雄自民党政調会長(現総理)が単行本第7巻に帯コメントを寄せたのにも裏があるのでは、と深読みする向きもあった。だが、2017年5月30日付け『JCASTニュース』によれば、前日に『モーニング』編集部に電話取材したところ「去年くらいから、このタイミングで終わることは決まっていました」という返答だったという。
 一方で、大和田は同年5月27日のツイッター(現・X)で「突然ですが次週でおしまい。第三章『死闘!55年体制編』、第四章『宏池会爆誕編』の再開は未定」と書き込んでいて、たしかに謎の多い打ち切りだったのである。

 物語は、1947(昭和22)年、敗戦の混乱が続く東京の闇市にひとりの男が現れるところからはじまる。「眼光はやたらと鋭く 一目で常人には非ずと誰の目にも」わかる男は、闇市を仕切る愚連隊を相手に市のアガリの5分を「ウチに納めてもらう」と切り出した。この男こそ大蔵省次官・池田勇人だ。そして、勇人のあっぱれな行動を見ていた老人がいた。前内閣総理大臣・吉田茂である。

講談社モーニングKC第1巻12〜13ページ

 アメリカに事実上占領され、内閣もアメリカの傀儡と化す中、吉田はGHQを追い出し日本を独立させるために必要な人材を集めようとしていた。その名も「吉田学校」。吉田は学校リストの一番目に池田の名を入れた。
 そして、吉田が2番目に名を挙げたのは、運輸次官で池田の長年のライバル・佐藤栄作だった。吉田の意を受けた終戦連絡事務所次長の白洲次郎は池田と佐藤、そして池田の部下・大平正芳を吉田邸へと招いた。
 吉田は、自らの政権を支えることのできる強力な守護役、ひとりひとりが政策運営能力を持った人材を集め日本を独立させる、と彼らに訴えたのだった。
 さらに、1年生議員ながら言いたいことを言う新潟出身の衆議院議員・田中角栄が切り込み隊長役で加わり、日本をGHQから取り戻す戦いが動き出す。

 戦後政治や歴史認識といった難しいことを考えなくても青春群像ものとして十分に面白い内容だ。池田勇人も佐藤栄作も田中角栄も大平正芳も、みんなかっこいい。そして、熱い。
 対するGHQや社会党などの悪役ぶりも素晴らしい。日本統治を踏み台にして大統領選挙に打って出ることしか考えていないマッカーサー。野球と税収アップにしか興味がない経済科学局(ESS)局長・マーカット。吉田茂を裏切り社会党片山政権の中枢に入り込んだ芦田均。芦田たちを操るGHQのケーディス大佐……。悪役が光るマンガは盛り上がる。
 池田の官僚から政界への転身。国際社会での東西対立の激化。電力分割。朝鮮戦争による特需景気とインフレ。マッカーサーの解任……。戦後日本は目まぐるしく動いた。
 そして、1951年8月31日。池田勇人は全権大使として吉田茂たちとともに、講和会議に臨むためにアメリカ・サンフランシスコに飛ぶ。ここまでが第1章だ。
 独立を手にした日本だったが、池田たちの前には新たな敵が現れる。GHQから公職追放処分を受けていた初代自由党党首・鳩山一郎たち旧世代の政治家たちだった。憲法改正と再軍備を目指す鳩山は、ある密約をもとに吉田の引退と総理の座を要求した。
 A級戦犯として公職を退いていた、佐藤栄作の兄・岸信介が政界に復帰するとさらに政局は大きく揺れる。1954年12月10日、民主党の鳩山一郎内閣が誕生。一時代をつくった吉田茂は政権を離れ、池田たち吉田学校の面々は下野することになる。
 このとき、池田は「数は〝力〟」を肝に銘じ、「泥をすすってでもその〝力〟を手にする」と誓ったのだった。

 いよいよ本番なのだが、先にも書いたように連載はここで終わっている。
 ただ、作者の大和田は2019年から秋田書店『ヤングチャンピオン』で、田中角栄を主人公にした『角栄に花束を』を連載中で、2023年12月発売の単行本10巻では、『疾風の勇人』7巻の時代にたどり着いている。これからの『角栄に花束を』には、『疾風の勇人』第3章、第4章が形を変えて描かれるはずだが、ここでは池田勇人視点の続編を考えてみよう。

 鳩山政権の2年間、冷や飯を食らうことになった池田たちだが、池田は大蔵省内の人脈を駆使して鳩山内閣の大蔵大臣・一万田尚登に揺さぶりをかける。一方、国際政治では日ソ国交回復交渉が進んでいた。
 サンフランシスコ講和会議で、ソ連政府代表が講和に異議を唱えてきたことなどから、ソ連に深い不信感を持っていた池田は「国交回復をするなら自由党を脱党する」と抵抗したが、最後には矛を収めた。
 1955年になると、左派、右派の社会党が合流して誕生した日本社会党が第2党に躍進。危機感を持った民主党と自由党は保守合同によって自由民主党を結党した。裏ではアメリカCIAの動きもあった。
 かくして、55年体制が始まる。ここまでが第3章。
 この時期から池田と岸の確執は激しくなる。かつては盟友だった岸の弟・佐藤との仲も複雑になっていた。
 鳩山退陣後の後継争いで池田は反岸派に加担。三木武夫を抱き込んで、石橋湛山内閣を成立させると大蔵大臣の座に復帰。石橋と池田は「1000億円施策。1000億円減税」の積極財政を打ち出した。
 ところが、石橋が病に倒れたため池田は再びピンチになる。政敵の岸が総理大臣になったのだ。池田は岸内閣でもはじめは蔵相を務めたが、内閣改造で一万田尚登に蔵相の座を奪われる。他のポストを蹴った池田は、再び冷や飯を食うことになった。
 雌伏中、池田は健全財政と積極主義を共に実現するため自らの政策集団「宏池会」を旗揚げする。1957年10月のことだった。
 宏池会には自民党の党員だけでなく、財界や経済学者なども協力して、池田はようやく数という〝力〟を手にしはじめたのだ。
 出る杭を打つために、岸は「派閥解消」を訴えたが、池田は着実にその足場を固め、「所得倍増政策」を練り上げていく。
 岸と池田の確執は一層深まり、1958年5月の解散総選挙では、党4大派閥が「宏池会の議員には党の公認を出さない」という決定を下した。池田は非公認で立候補した全員の応援演説のため全国を駆け巡り、ついに50人を当選させた、こうして宏池会=池田派は自民党第2派閥に名乗りを上げた。
 第4章のタイトルが「宏池会爆誕編」であることも含め、マンガとしては、このあたりで余韻を残して終わるのがいいのではないかと思うのだが、どうだろう。

講談社モーニングKC第4巻86〜87ページより

 

 

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