「老人の生態漫画を描いている!」「生態というか…かなり死んでいく!」「これは新しい!いや、古い!いや、かえって新しい!」…などなど、ともかく令和の時代に話題騒然の77歳漫画家、齋藤なずな先生なんであります。謎が多い。なぜ40歳デビューなのか。なぜ77歳で活筆なのか。なぜこんなに面白い漫画を作れるのか。取材班は、甘いケーキときれいなお花を手に、雨降る中をバスで突っ切って停留所を降り、東京の奥深い土地にある団地=ご自宅を急襲。にゃー、にゃー、にゃー。ニャンコが女主人をガードする中をなんとかかいくぐって、生の声をインタビューしたのであった。「顔編」「猫編」「幼少期編」の3回に分けてお送りします。
取材/文/撮影:すけたけしん
カメラで撮っちゃうと目が休んじゃうというかね
「いらっしゃい」とドアを開けてくれたのは、美しいご婦人。誰か来たの?と足元にはニャンコ1号(4号までいます)が興味深そうに見上げていた。メガネのツルが複雑な彫刻できれいな色…おしゃれだなあと第一印象を覚えながら入室いたしますと、これがまた、お部屋が完璧にきれいでらして(漫画を教わりに生徒さんが来るからだそうですが)、ニャーと猫が一匹、驚いてスポンと押し入れに隠れました。「まあまあ、そこにお座りください」とお茶を出していただいて、インタビューは始まりました。
──先生は昭和21年のお生まれ。というと、堺正章さん、藤岡弘、さん、海外ではスティーブン・スピルバーグ監督なんかと同じ年ですね。
ああ、そうなんですか。(にゃー)
──にゃー。って、先生のお隣に猫ちゃんが一匹座りましたね。先生のお隣に座った猫ちゃんが、先生と一緒にご返事いただいて。
ええ。モモちゃんね。こっちの部屋はモモちゃんの陣地なんだけど、わたしがここに座ることが珍しいので。喜んでいるんですね。(にゃー。にゃー) 撫でてほしいって。
──しかし、あれですね。こちらのニャンコは人馴れしていますね。僕の匂いをわざわざ嗅ぎに来てくれましたし。
ええ。漫画を教えていて、生徒さんが来ることがあるので。
──そうそう、先生は漫画を教えていらして。以前は京都精華大学で授業を持ってらしたりとか、いまはこの街で漫画の教室を持っていらしていると聞きました。
いま、生徒はね、下は4年生。10歳の男の子です。いたずら描きを描いてくる(笑)。それを漫画に見えるように直したり。上は、あの方おいくつだっただろう、65歳かな。昭和のおじさん。昭和の思い出を漫画化しております。みんな描きたいものは千差万別。主婦の方でいいお話を作るんだけど絵がまだもうひとつな方がいて、もっと上手になるようにお話ししたり。
「ジャンプ+」で連載を勝ち取った方もいます。その方は、もともと漫画を描いてらしたんだけど、ネームが通らずに(※担当編集者に下書きを見せても、出版に至らないの意)いたところをうちに来るようになって。「どこが悪いか見てもらいたい」って。生徒はいま13人くらいいますかね。でもね、みんな「ネーム(下書き)を描いてきてね」というと、途端に来なくなる(笑)。構想したり、イメージを沸かせたり”まで”はいいんですけどね、ネームが描けない。素人なりに苦しんで。うんうんと。
──そうですか。ネームで苦しむのはプロもアマも変わらないのですね。先生は、2019年に20年ぶりに出された単行本の『夕暮れへ』が文化庁メディア芸術祭の優秀賞をお取りになって。それから、『ぼっち死の館』のシリーズを「ビッグコミック」(小学館)で精力的に発表されています。
はい。
──先生は40歳でデビューなされたこともあって、謎が多い漫画家さん。まずは先生がお描きになる、「顔」についてお聞きしたいです。
はい。
──齋藤なずな作品の大きな魅力である「顔」。どうやって、あんなにいい顔を描かれているんだろう、と。それもさまざまな顔。次々と新しい顔。
いい顔? ははは。いい顔ってわけじゃないけれど。普通の漫画家は連載があって、いくつかのキャラをパターンで描いているんですよ。わたしは色々なタイプを描けているとは思います。それは…そうだと思うんですが…、そうね、それはやっぱり、イラストレポの仕事をずっとやっていた、その名残ですね。
それと、漫画の登場人物を描こうと思って世の中を見ていますと、色んな人がいますからね。「色んな人がいる」ということを強調して描きたい。だから、色んな顔を描くんだ、ということは、常々思っていますね。
──イラストレポの仕事とは興味深いですね。お話いただけますか。
サンケイスポーツ。スポーツ新聞ですね。そこで、ルポルタージュの仕事を毎週、8年やりました。24歳から32歳までかな。
──8年!
すごい絵の訓練になった。なにしろ、その日に取材して、すぐに締め切りになりますから、急いで描かなきゃいけなくて。それを毎週毎週8年。
──ざっと、50週X8年とすると、400本。取材に行ってお描きになられた。
そう。もう中身は忘れちゃったわ(笑)。取材先は、まずはスポーツ関係。サンケイスポーツですからね。相撲の巡業先に行って、様子をレポートしたり。プロ野球だと、野球の試合前、ホテルから出ていく選手たちの様子だとか。
──昭和49年(1974)~57(1982)年あたりというと、昭和49年は長嶋茂雄の引退の年、…それからざっと、猪木vs.アリや、ロッキード事件や、日航機ハイジャック、お相撲は輪島・北の湖の全盛期で……
あとは、お色気ものね。載るのはエロ記事面なんです。駅売で、ラテ面(※ラジオ、テレビの番組表が載っている面)の代わりに入っているエロ面。わかります?
──ええ、わかります。
だから、エゲツないものもいっぱい描きました。風俗のお店に行ったりね。かと思えば、翌週は「モナリザが日本に来た!」なんてのをやったり。だからもう、あらゆるジャンルのことをやったんです。ただひたすら、あたふたしていた記憶。すぐに次の週が来るから。
──スポーツ新聞独特の雑多な感じはいいですね。
めちゃくちゃでしたからね、あの日々は(遠い目)。旅行もよく行った。あっちこっち。明日から四国だー、と言って、徳島は阿波踊りの練習風景だったりね。もうやりすぎて覚えてないです。
──翔んでる女! 翔んでるルポライターガールですね。
文章を書く記者の人と、絵を描くわたしとふたりで行くんです。
カメラマンはいないんですよ。あの頃はスマホなんてないですから。デジタルカメラがないですからね。撮ったぞといったって、現像して焼き付けして…時間がかかるわけじゃないですか。それをして一枚の写真を作るのにすごい高いお値段がかかるし。シャッターを切っても何が撮れたかなんて全然分かってなかったのです。
なんせ新聞ですからね。時間勝負だから。だから、絵で描くの。わたしみたいなのがついていって、描くんです。描きまくるの。
あと、カメラで撮っちゃうと目が休んじゃうというかね。そういうことはありますね。
観察眼がなくなるというか。写真を見ても細かいところはわからないし。目で見て描いた方がよっぽど早いし、再現性が高いんですよね。
──うぉぉ、”目が休む”のですか。うかがっていると、反射神経で描くというか、運動神経で描くというか。
そうですね。
──その時代に、たくさんの人の顔を見たんですね。世の中には色んな人がいるぞ、と。
そうです。やっぱり、目の前にいる人に似させて描きますから。色んな顔を描きましたね、だから、何かが貯まっていて、いま、色んな顔が描けるようになったのかもしれない。だからひとつひとつは…いちいち覚えていないけれど、手を動かしてたから、特徴をつかまえる力も、省略する力もついたのかな。とにかくね、咄嗟にやらないと!
──咄嗟ですね(笑)。
そ。咄嗟が大事なの(笑)。
──そうやって人間観察をギュウギュウにしていた鍛錬期があったんですね。あの… 先生のお描きになる女性の顔の中には、時折、とびきり色気のある顔があるんです。あるんですが、それはたとえば、その時代の風俗レポートのご経験と関係がありますか。
色気のある顔? それは意識したことがないですけどね。
──20代の女性の画家がエッチな現場に行くなんて、当時はかなりの「時代の先駆け」じゃありませんか。1970年代でしょう?
まあ…そうね。普通の女の人が絶対に行かないようなところは、いっぱい行きましたから。ただ…風俗の方々にことさら色気は感じなかったですよ(笑)。色気のあるなしはね、別問題ですよ。むしろ、なんだか色気を装っていて、ひどいな!ってのを描いていましたよ(笑)。
──はははは。それはもう、先生の諧謔の精神というか、ちょっといじわるで、ちょっとユーモアがあって、ちょっと裏をめくってやろうというお気持ちがそうさせるのですか。
そうね。それはあるんでしょうね!
──その才能は、幼少のときからあるんですか?
たぶんね(笑)。装ってるけど…色気になってない無惨さ、というかね、はっははははは。気がついちゃうし。気になっちゃうし。思い出したら笑えてきちゃったわ。そういうところがいっぱいありましたね。そういうところをずっと描いてきたのかもしれませんね。
困ったな、もう恋愛は描けない(笑)
──顔の話に戻ります。そういうご経験で見る力、覚える力、描く力が養われたということですけど、いちばん新しい話を書くときに、新しい登場人物がありますでしょ。「こんな顔をしている」というのはどうやって決めるのですか。
んーと、そうですね。「こういう性格しているんだったら、こんな顔をしているんじゃないか?」ですね。
──性格が形作る人相ですね。
そうそう、それを想像で描くんですね。まずは話があって、その人の考えや性格があるじゃない。だとしたら、こんな顔の感じかな、って。
あとは、ちょっとタレントや俳優を参考に描こうとするときもあります。ドラマになったらあの人がやりそうだな、と俳優の写真を見たりして。ということもやることはやるけど……
──劇作家のあてがきみたいな?
……あんまり成功しないのよね。
──お好きな役者さんはいるんですか?
全然いない。もう、いまの俳優は誰も知らないです。かといって、昔の俳優も特にないですね。
──そうしますと、顔を作るとき、その人がどういう性格かが大事なんですね。
ええ。
──ひとつの話の中で、登場人物の幼年時代の顔と、現在の老いた顔が両方出てくる話をたびたびお描きじゃないですか。あれはどんなふうに経年を顔に描きこむんですか。それも架空の人の。白髪にして、ほうれい線を入れりゃいいってものでもないでしょうし。
それは想像して描くだけで(笑)。漫画家ですから。
──あれは読者としてはグッとやられますね。
そうですか。
──ええ。「この何枚かのページをめくっているうちに、何十年も入っている!」と思いながら、先生の漫画を読みますのでね。タイムマシンみたいな。漫画でしかできないすごいこと。ああいうのは描いていて面白いんですか。
いやもう、あがきながら、描いているだけだから。そういうときは、「なんとかネームを通さなきゃ」しか考えてないですよ(笑)。ね。なんとかしなきゃ、って。漫画を読むのは楽しいけれど、漫画を作るのは、楽しむようなものじゃないですよ!
──では、お話を作るときは、どうやって作るんですか。
ふふ、そんなこといわれてもね。話に関しては、わかんないんですよ。絵は形作っていくうちに、できるんですけどね。話はね。やり方がわかるなら教えてほしいですよ。
なんかね、読んでいた本の一行が刺激になるとかね。そういうことがあるんですよ。ああ、深い、面白い、というか。与謝野晶子の恋を描いたとき、(『月明』/「恋愛列伝」収録/小学館)は、新聞の「今日の短歌」みたいなコーナーに載っていた歌を見て。すぐ話が出来ちゃった。もうできちゃった。
梟よ 尾花の谷の 月明に
鳴きし昔を 皆とりかへせ
って歌ったのね、与謝野晶子が。これが気に入っちゃって。わ、いい。これだ!と。
──与謝野鉄幹をめぐって、ふたりの歌人、与謝野晶子と山川登美子が燃え上がるお話を作られました。
そうですね。あれは、もうこの一文、このひとつの歌からできましたね。あなた、山川登美子さんの写真、見たことある?
──あ。ないです。先生の描いた漫画の顔は見ています。え。もしかして?
美人に描きました(笑)。そうじゃないと、ね、お話にならないもの。写真ではね…まあ、あれですけれど。
──はははははは。先生、漫画を描いてらして、いちばん楽しい瞬間は?
それはうまくいったときですよ。やったぜ!と思うとき。うまく展開されたり、絵がピッタリハマったりすると、自分で、おお!と思う。非常にいい気分ですけど、たいがいは、うわぁあ! です。どうしよーー!って(笑)
──「うわぁ、どうしよう」、からの、直して、「やったぜ!」に変化するパターンはありますか?
……やっぱり、それは、ものすごく大変なことなんですよね。
色々考え続けて、明け方にうつらうつらしているときに、ああ、こういうシーンにできるなあ、って浮かんでくるわけですよ。これだ!って。まあそういう感じ。
あとは風呂につかってるときね。頭がゆるんでるときに浮かぶ。
すごい考え続けてないと浮かんでこないんですけど、色々と考えて考えて、キリキリして、ふっと力をぬいたときに、なぜか、現れるという。そんなとこですね。現れないことが多いです(笑)。
たいへんなんですよー、ほんともうーー!! いつまでこれをやるんだよーー!! って。楽隠居をしたいですね。ねー。
──お気持ちはわかりますけれど、新作を待っている読者がいてね。多くの漫画家さんが先生の作品に影響を受けていると思いますけれど。
先生の漫画の読み応えは独特で、二転三転があるし、ウルトラ展開があるし。油断しきってめくったら驚かされることがたびたびあって。だから、そのマジックはどうやって作るんですか? とついつい聞きたくなっちゃうんです。不思議さに惹かれています。
ふふふ。
そうですか。苦し紛れに描いていますよ(笑)。
──さて、ここ最近は、人の最期に近いところ、死の話を描いていらっしゃってますけれど、死ぬ人を描くとか、死ぬ顔を描くとか、死に行く時間を描くとか、見送る人を描くとか、テーマがそこになっているじゃないですか。「死を描く」…これがどうにもインパクトが大で。そうなってから、先生の中で変わったことはありますか。
いや、あのー、自分の身近なことしか描けないわけですよ。(ニャーーーー。猫が急に鳴いた)。
自分が若けりゃ若いときのまわりの状況を描くし。いまはまわりは亡くなる人ばっかりなんですよ。だから、普通に暮らしていると、死ぬ話になっちゃうわけですよ。ここらあたりも亡くなる人ばっかりですから。
だから別に、時期的にテーマがそういうところに入っていったわけじゃなくて、「まわりの状況を描く」と、「自然とそうなっちゃう」ということです。困ったな、恋愛はもう描けない。
──ほら、先生、そういう何気ない一言の言い方に「色気がある」と申し上げているんですよ。先生からしたら、『ぼっち死の館』のシリーズはごく普通の気分で、ごく普通に描いてらっしゃるんですか。
そうよ。いたって普通ですね。普通なんです。
──評論調に言うと、「来るべき時代に現れた作品」とか「老年のほにゃららを鋭く抉る」とか、ややもすると「特別だ!」と声高に書きたくなっても不思議じゃない作品群なんですけれど…。
全然そんなんじゃない。普通。ただの普通。まわりを見渡すとそれなんです。ただ見渡せばいいんです。どんどん亡くなっていきますから。
──「齋藤なずなは、身のまわりを描いていた延長線上で、いまの身のまわりの普通を描いている」、という作家さんなんですね。
そうです。
──ってことは、スタイルは不動なんですね。
そうなりますね。(にゃー。と上目遣いで一匹が鳴きました)
齋藤なずな(さいとう・なずな)
1946年3月30日、静岡県富士宮市生まれ。40歳のときに漫画を描きはじめ、1986年、『ダリア』で「ビッグコミック」新人賞を受賞。同作でデビュー。遅咲きの新人として作品を作りつづけていたが、2019年に過去作と新作を交えて刊行した20年ぶりの単行本『夕暮れへ』が、第22回文化庁メディア芸術祭でマンガ部門優秀賞を受賞。現在、シリーズ連載『ぼっち死の館』が完結し(単行本は小学館より発売)、次回作を執筆中。
(以下、『猫編』に続く)