13、4年前、山手線にラッピング電車が走り、原作から抜け出たような実写映画が公開されました。
間違いなく日本中が『NANA』で頭がいっぱいでしたよね。
現在、「ALL TIME BEST 矢沢あい展」が全国巡回中です。
もちろん行ってきました。なにがすごいって、矢沢先生、途中からデジタル原稿で描いてるんですが、見てるほうはアナログ原稿なのかデジタルなのか、全然わからなかったです。それほど原画が美しかった!!
それからグッズの可愛いこと!
「矢沢あい」を知らなくても普通使いができるデザインで、あれもこれも揃えたくなりました。
男子高生ふたりがウキウキと買い物カゴに商品を入れ、
「やばい、これ“万”いくわ……!」
と繰り返し叫んでました。キミたちも可愛いな!
さて、そんな熱に浮かされて、実に13年ぶりに『NANA』を読み返しました。
当時もすごく夢中になっていたのですが、今読むとまた視点が変わって面白かったです。
とりあえずタバコ吸ってるキャラが多い!!
喫煙者数は年々減っているので、連載時よりもさらに今はレア感がありますね。連載が始まった2000年の日本の喫煙者率は男性が53.5%、女性が13.7%(JT全国喫煙者率調査)、2018年はそれぞれ27.8%と8.7%なので、がっくり減ってますね。ちなみに1965年は男性82.3%だったらしいです。コーヒー飲むくらいの勢いでみんなタバコ吸ってたんですね。
さて『NANA』のハチです、とにかく甘ったれでだらしなくて、計画性がなくて、20歳の頃の自分のことのように思えてなりません。
和久井は短大を卒業して20歳で働かなくちゃいけませんでした。なにができるわけでもなく、やりたいこともなかった。夢中になれるものもなくて、なんでもすぐ飽きて放り投げてしまう。なりたいものもわからない。何のスキルも展望もないからつまらないお茶くみ事務仕事しかできなくて安月給。周囲の高学歴な友だちらは大企業に勤めてキラキラと仕事をしている。羨ましくてたまりませんでした。仕事も楽しくないからすぐ辞めちゃうし、クビになったことも何度もあります。このあたり、淳ちゃんやブラストのみんなを眩しく思うハチとまるで一緒です。
出版社で仕事を見つけたハチは、かっこよく働く自分を妄想するけれど、結局仕事なんか二の次なのですぐにクビになってしまう。そして缶コーヒーを飲みながらこう思うんです。
のどが乾いたら 110円でコーヒーは飲める
だけど あたしは かわいいカフェでお茶をするのが好きおしゃれな部屋に住みたい
流行の服が着たい
話題の映画が観たい
最新の携帯に替えたい
車の免許が取りたい
海外旅行に行きたい
若い頃の欲望って無限大ですよね。どれも諦めたくなくて、お金なんかいくらあっても足りないのに、全然稼げない。
ハチを見ていると、自己否定感とあせりで生きるのが辛かった頃を思い出します。
和久井とハチの違うところは、和久井は残念ながら有名人と関わる機会がなかったし、どっちの男性にしようかなんて悩ましい(羨ましい?)状況になったこともないことです。でも働くのが嫌で結婚に逃げました。結果すぐ離婚になりました。
『NANA』のテーマのひとつは自立でしょうか。
ナナもハチも、恋愛や友人関係において、沸き上がる独占欲と葛藤しています。このあたりも、狂おしい恋愛をした人にはビンビンきそうです。
いつでも一緒にいたい。相手には自分以外の誰のことも考えないでほしい。でも一緒にいると、焦ってくるし不満も出てくるし、どこか辛い。
辛いと思っているところに別れが来ると、今度は屋台骨を失ったように中心を失って立ち上がれなくなる。泣いてねじれ上がって食事も取れなくなったなんてこともありました。
で、今『NANA』を読み返して思うのは、
「そんなこともあったなー」
です。
なんだかんだ今、なりたかったクリエイターのような仕事はしてるし、専門学校も大学も卒業したし、できることもだいぶ増えました。フリーランスなので朝早く起きなくてもいいし、いやな上司もいない。上司がいないっていうか、会社を経営しているので自分が上司です。まさかこんなことになるとは。
『NANA』はハチの成長譚でもあるので、作中、ハチの変貌っぷりはすごかったですね。
でもあれは単なるフィクションじゃないって思えます。社会に出たとき、どんなにアホな人間でも、そこから抜け出そうと頑張ればなんとかなる。『NANA』は共感の詰め合わせからーの夢がギッシリ詰まっていて、本当に名作だなと思います。
一方で『後ハッピーマニア』で厳しいアラフィフの現実を突きつけられたら、それはそれで「あるある」って思うんですけどね。
ちょっとだけ気になるのは、『NANA』の登場人物たちの会話です。
「なんで××しないんだ!」
「××してくれたらよかったのに」
といった相手の行動に対する否定のセリフが多いことや、
「見送りなんかいいのに」「その言い草はねえだろ」
など否定の応酬で会話が成立していることです。
これ、前に読んでいたときにはまったく気にならなかったのですが、今はけっこう「みんなキツいな」と思ってしまいます。
70年代の少女マンガを読んでいると、割と暴力シーンが多くて、DV当たり前みたいな風潮があることに驚かされます。相手を否定する言葉の使い方も、もしかしたらここ10年で淘汰されてきているのかもしれません。
ハチの葛藤に誰も共感しなくなる日がいつかくるのでしょうか。
それならそれで、すごく幸せなことだなと思います。