下宿が舞台の70年代傑作人情少女マンガ 樹村みのり『菜の花畑のむこうとこちら』

『菜の花畑のむこうとこちら』

 1970年代は少女マンガの黄金時代だった。それ以前も、もちろん今も素晴らしい少女マンガがたくさん描かれているが、70年代には次々に新しい才能が登場して、読みきれないほどたくさんの名作が生み出されていたのだ。今回はその中から、樹村みのりの『菜の花畑のむこうとこちら』を紹介しようと思う。なにしろこの作品は優れた人情少女マンガなのだから。
 作者の樹村みのりは、64年『りぼん増刊号』に読み切り短編「ピクニック」を発表してデビュー。当時まだ中学3年生だった。大学卒業後の休筆期間を経て、74年『別冊少女コミック』の読み切り短編「贈り物」で再デビュー。75年から78年にかけて『別冊少女コミック』で「菜の花畑」シリーズとして断続的に発表された本作は、小学館のフラワーコミックス『ポケットの中の季節』全2巻に収録。その後、ブロンズ社から『菜の花畑のむこうとこちら』にまとめられた。現在は電子書籍版で読むことができる。
 ひと口で言うなら素人下宿を営む家族と住人の女子大生4人の交流を描く作品である。
 幼稚園の年長組に通うまあちゃんの家は、春になると一面に黄色の花が埋め尽くす菜の花畑の目の前にあった。まあちゃんと一緒に住んでいるのは、お茶とお花と書道の先生をしているお母さんの春代さんと、お母さんの姉でフリー著述家の冬子おばさんのふたり。もうひとりお母さんの妹・あきおばちゃんがいるが、いまは結婚して近所に暮らしている。
 3人で暮らすには広すぎる家を有効に使おうと考えた冬子おばさんと春代さんは、2階を改築して学生下宿を始めることを決めた。
 ふたりは男子学生に貸すつもりで広告を出したが、やってきたのは4人の女子大生。彼女たちは、暮らしていた学生寮で、規則改善を訴えるストライキ騒ぎを起こしたために強制退寮処分になったのだと言う。まだ、学生運動の名残があった時代だった。
 行き場がない4人のため、冬子おばさんは、彼女たちが別に部屋を見つけるか、男子学生の間借り人が見つかるまでは、部屋代なし食事代だけで仮住まいしてはどうかと提案した。
 今日では珍しくなってしまったが、70年代にはまだ「賄い付き下宿」というものが普通に存在していた。
 部屋と食事を提供してもらって大家さんの家族の一員として暮らす「賄い付き下宿」は故郷を離れて都会で暮らす学生や若い社会人にはありがたい存在だった。80年代以降廃れてしまったのは、門限や食事の時間が決まっていることなどが、人とのふれあいより自由を重視する現代の若者気質にあわなくなったからかもしれない。

 75年1月号に掲載されたシリーズ第1作「菜の花」は大人になったまあちゃんが菜の花を通して、高校時代の憧れの先生、かつての下宿人のひとり、小学校時代の先生を思い出すという物語。菜の花の可憐な花びらのように心の片隅に残る佳作だった。マンガファンたちの間ではかなり話題になったと記憶する。
「菜の花」から派生した2〜4作目は「菜の花畑のこちら側」として月1回連載された。5作目以降の「菜の花畑のむこうとこちら」「菜の花畑は夜もすがら」は77年、「菜の花畑は満員御礼」は78年の発表だ。
 人情マンガらしさという点では「菜の花畑のこちら側」の3作が優れていると思うが、中でもまあちゃんの家にたけしという男の子がやってくるエピソードが好きだ。
 たけしはあきおばちゃんの義理の兄夫婦の子ども。実は義兄夫婦は離婚の危機に直面していて、妻の実家で最終的な話し合いをするため、義妹の家にたけしを預けていったのだ。あきおばちゃんは、大家族の味を知らないたけしに、女子大生4人を迎えてにぎやかになったまあちゃんの家の暮らしを経験させようと考えたのだった。
 ところが、たけしは手がつけられない悪ガキぶりを発揮する。とうとういたずらはお隣の家にまで及んでしまう。
 たけしのいたずらは家に戻りたいため、と気づいた冬子おばちゃんは「どんな子どもも みんな大きくなって かしこくてよい人間になるんです それでなかったら 大きくなる意味がないでしょう」と諭す。
 それからたけしは少しずつみんなと仲良くなっていく。やがて、離婚を思いとどまった両親がたけしを迎えに来た。まあちゃんはちょっと寂しくなってしまったのだった。
 続く怪談めいたもエピソードも怖さよりも優しさが伝わってくるストーリー。
 朝日ソノラマ(現・朝日新聞出版)のソノラマコミック文庫版カバー見返しには「読み終えて本を閉じたとき、読む前よりもほんの少しだけしあわせな気持ちになっていただけたら、作者にとってこれ以上の喜びはありません」というコメントがある。
 このマンガを読むと「人間という生き物はいいものだなあ」と思える。それが「ほんの少しだけ幸せな気持ち」につながるのなら、作者の思いはしっかりと読者に伝わっているってことなのだ。

 

ソノラマコミック文庫版74〜75ページ

 

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