着たい服がある

ロリータハウツー本ではない

着たい服がある 常喜寝太郎
漫画を読む女S
漫画を読む女S

ロリータ服のハウツー本では全くなかったです。着用の心得とか、立ち居振る舞いのコツとか、メイク方法とかそういうのは一切無いです。ちょっとそういうのに興味があったのです… ロリータ服をきっかけとする、主人公の気づきと成長と出会いの物語とでも言いましょうか… 登場人物の中でもカヤさんは素敵です。毎日酒場(バー)に強めの服を着てやって来てビール類を流し込んでいるお嬢さんです、昼は介護福祉士、夜はバーテン?、働き者のうえ人間の出来た素晴らしいお嬢さんなのです。主人公は偶然彼女と出会いますが、この出会いなくしては物語が成立しませんマジで。全編通して一番好きなシーンはカヤさんちにお泊まりして着せかえごっこ遊びをするとこです。うらやましいぞ。 物語は終盤小澤君を掘り下げて進んでいきますが、羽根をむしって丸裸にしてから建て直しまでの流れの無駄のなさがお見事だと思いました。中盤のSNSで主人公が攻撃される、生徒が改心するまでのくだりも、きつすぎる悪意の描写は無い(ひかえめ)なのが美点だと思いましたが、小澤君の過去と現在の描写も、つらいけど必要最低限というか、過激ではないのが良かった。 ※ここで言いたい過激っていうのは、よく広告である、見た人の興味をひくことだけを特化したような思わせぶりでショッキングで醜悪なシーンの寄せ集めのアレみたいなことです ストーリーの流れありきの、材料の1つとしてのロリータ服なんだな!と勝手に思っていたら、作者インタビューにロリータ服を描きたかったという発言を見かけて今「????」ってなっています。ロリータ服の魅力を伝える的な要素は限りなく薄かったように感じたのですが、、、、???

運命を信じない彼が言うには

読んだ衝撃・勢いでクチコミを書きました(男子も読んで!)

運命を信じない彼が言うには おむ・ザ・ライス
なかやま
なかやま

わたしは「少女マンガ」を読まないのですが、単純に 作者さんの名前「おむ・ザ・ライス」というワードに興味を引かれて手に取りました。 「ザ」ですよ!「The」! Omu 「the」 rice! 正直、トライガンのGUNG-HO-GUNS以外で聞いたことないですよ! ドミニク・ザ・サイクロプス グレイ・ザ・ナインライブズ オム・ザ・ライス ザジ・ザ・ビースト ニコラス・ザ・パニッシャー ほら!違和感ない! そんな、導入で手に取りましたが、少女マンガというカテゴリに収めておくには勿体無い作品です。 運命の赤い糸が見える主人公「藤(27)」と彼が密かに好いている大学の同期「ゆか(26)」 自分たちの赤い糸が繋がっていない事を知りながら、もがき苦しむ主人公 運命に抗う系が好きな男子にもめっちゃ刺さります 1話1話の締めのコマも話を濃縮したような良いコマで「くぅー!」とさせてくれます。 そんな物語が大きな動きを見せないわけがなく、5話で雰囲気が変わります。 6話目がちょっと読むのにひと呼吸いるぐらいドキドキしました。 こんな感情を味わったのは シグルイ の伊良子VS虎眼先生 以来かもしれません。 もうコレは見届けるしか無い!藤くんガンバレ! 男子も是非読んでくれ!

大長編ドラえもん

大長編の異色作「夢幻三剣士」

大長編ドラえもん 藤子・F・不二雄
ひさぴよ
ひさぴよ

大長編ドラえもんのシリーズ14作目となる、三銃士をモチーフとした編。 > 夢はいいなあ・・・。 > 現実の世界はどうしてこんなにつらくきびしいのだろう・・・。 日々の現実がイヤになったのび太は、ドラえもんに懇願し、思い通りの夢を見ることができる道具「気ままに夢見る機」を未来デパートから取り寄せてもらう。自分の思うがままに夢を楽しむのび太だったが、現実世界に謎の使者トリホーが現れ、『夢幻三剣士』という夢カセットを見るようすすめられる。その夢の内容は、RPGゲームのような剣と魔法の世界だった。そこでは”ユメミル王国”を侵略しようとする妖霊大帝オドロームと戦うことになり…。 一見すると、小説『三銃士』を題材とした冒険活劇かと思いきや、一気にシリアスな流れへと変わってゆく。 この作品、他の大長編と特徴を比べてみると、かなり異色であることに気付かされます。 例えば、 ・夢の中が舞台なので、現実世界の動きがほとんど無い ・ジャイアンとスネ夫の影が薄い(のび太の夢の中に出てくる人格に過ぎない) ・しずかちゃん本人も夢の中の人格として現れる ・仮想世界でも死ぬと本当に死ぬ ・トリホーの目的、ラストシーンの意味が謎のまま終わる などなど。 非日常が日常を侵食する怖さ、みたいな不気味さは今までのシリーズでもありましたが、読み終えたときの拭い去れない違和感みたいなモノは、子どもの頃からずっと残っています。 此処ではないどこか違う世界へ行きたい、別世界で活躍してみたい、という願望は誰しもが抱くものですが、それを仮想現実という舞台で時代を先取って見せてくれたのが、この無限三銃士であると思います。 子ども向けとはいえ、現実と虚構の境界をまざまざ見せつけられたようで、その境界線とは何なのか?うなされるように悩んだことは忘れません。 ラストシーンを読み返すたびに、江戸川乱歩の「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」という言葉が浮かぶのでした。

映写室のわかばさん

技術の進歩で風化される専門技術を思う

映写室のわかばさん 青山克己 神田川あゆ
六文銭
六文銭

時代の流れとともに、昔は人の手でやっていたことがボタン一つで片付いてしまう。 そんなところに、なんとなく哀愁を感じるんですよね。 電気をつけるのも昔は木から火を起こしていたわけです。 それがランプになって、今はスイッチひとつですよ。 手作りだった下駄も、今は工場であらかたつくってしまうわけです。 映画の世界も、時代はデジタル再生です。 なんなら人もいないかもしれない。 映写機を使ってフィルムでみれる映画館もどんどん減ってます。 本作はそんな希少職業の一つ「映写技師」のお話。 スクリーンに写す映像を、フィルムで順次流し込む仕事です。 映画1本で、巻き尺みたいに巻かれたフィルムの束を何本も使うこともしばしばで、そのつなぎこみをうまくやる熟練のテクニック。 1分1秒を見逃さず、観客にむけて映像を絶え間なくきちんと流す。 純粋にすごいのですが、機械に取って代わられてしまった技術なんです。 それでも人の手でやることに、私は味があると思うんですよね。 面倒だからという理由で、簡素に効率化して失われてしまったものたち。 そこに、本質があるんじゃないかと思ってしまうわけです。 本作の主人公も、そんなレトロな技術に没頭します。 これから先、使い物になるかどうかわからない技術なのに、 打算もなく、純粋にただ好きで楽しむ姿はすごく良いです。 あぁ、まだこんな世界があるんだなと痛感させられる作品でした。 やっぱり人が関わっている、人がつくっているっていいもんです。