第15回 香港発。永劫に殺し合う恋人たち―リトルサンダー『わかめとなみとむげんのものだがり』

第15回 香港発。永劫に殺し合う恋人たち―リトルサンダー『わかめとなみとむげんのものだがり』

ここしばらく韓国のマンガ(パク・ゴヌン著『ウジョとソナ―独立運動家夫婦の子育て日記』)、台湾のマンガ(游珮芸、周見信『台湾の少年』)、中国の作家がフランス・ベルギーで出版したマンガ(李昆武、フィリップ・オティエ『チャイニーズ・ライフ―激動の中国を生きたある中国人画家の物語』)と、東アジア関連のマンガをいくつか紹介してきたが、東アジアということで言うと、香港のマンガも忘れてはならないだろう。

以前、筆者が編集長を務めていた海外マンガの情報サイト「Comic Street」で、香港漫画店のてんしゅ松田さんに「香港漫画入門」の記事を5回にわたって執筆していただいたことがある。香港のマンガってどんなものなのだろうと興味がある人はぜひそちらを読んでみていただきたい。

ここ数年で日本語に翻訳された香港マンガは、残念ながら決して多くはないのだが、マンガ好きにぜひオススメしたい作品がひとつあるので、今回はその作品を紹介しよう。リトルサンダーわかめとなみとむげんのものがたり』(野村麻里訳、リイド社、2020年刊)である。トーチwebでたっぷり試し読みすることができるので、まずはそちらをぜひチェックしてみてほしい。

 

リトルサンダー『わかめとなみとむげんのものがたり』(野村麻里訳、リイド社、2020年刊)

 

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本書『わかめとなみとむげんのものだがり』は1巻完結の作品で、序章から終章まで全6章の構成になっている。

各章にタイトルがつけられていて、序章は「わかめ」。章題の下には「UNIVERSE 13」、「417年/秋」という謎めいた言葉が記されている。ちなみにこの序章だけ「其の一」、「其の二」、「其の三」と3つに分割されている。

扉をめくると、白黒のマンガが始まる。パッと見、日本のマンガに近い絵柄で、違和感なく物語の中に入っていくことができるのではないかと思う。

物語の語り手は章題にもなっている少女「わかめ」である。本書の主人公のひとりで、中学生か高校生くらいだろうか。彼女によると、わかめのパパ(その見た目はナマズを連想させる)は、ママの亡霊を見るようになってから、精神に異常を来たしてしまった。ある日、彼は大量の海藻を購入してきて、「これで幽霊を追い払える」と、その海藻を貪り喰い、さらにはわかめの口にも押し込む。彼の奇行はそれで収まらず、「お前は死んだ方がいい」と、わかめの首を絞め始める。

 

ママの亡霊に怯えるパパとパパに首を絞められるわかめ(P012-013)

 

パパ曰く、ママを殺したのは自分で、次はわかめが死ぬ番なのだ。そこにわかめショップの店主「なみ」が現れる。本書のもうひとりの主人公である。凶行現場を目撃した彼は、「俺のわかめを無駄にするな!!」と叫び、わかめのパパの背中に錐のようなもの(わかめの加工にでも使う道具だろうか?)を突き立てる。

一命をとりとめたわかめは、なみが経営するわかめショップに身を寄せる。そこでは店主のなみとわかめ以外に、意地悪な少女・石子(ぺブル)とその弟で音楽が好きだが演奏は下手な甘草(リコリス)、いつも同じ本を読んでいて現実には興味がない饅頭(バン)、なみが好きだと公言する新入りの花子(フローラ)、そして一本角を生やした一角猫(ユニキャット)が、生活をともにしている。

「あなたは? なみのこと好き?」と花子から聞かれたわかめは、反射的に「嫌い」と答える。父を殺されてからというもの、わかめはなみに対する殺意を育んできたのだった。父の9回目の命日、わかめはついになみを殺害する。なみがわかめの誕生日をひそかに祝おうとしてくれていたことを知らずに……。

 

わかめはなみの耳に錐を突き刺す(P028-029)

 

なみを殺して初めて、わかめは自分がなみを愛していたのだと気づく。彼女は血の海に身を横たえるなみにこうつぶやく。「次に出逢ったらその時は…/わたしを殺して…/わたしの身体はあなたのもの…」と。

こうして、わかめとなみの物語は、ひとまず幕を閉じる。

続く第二章のタイトルは、「わたしの身体はあなたのもの」。第一章のわかめの最後のセリフである。章題の下の文言は、「UNIVERSE 4B」、「2019年/夏」となっている。

序章の白黒から一転、今度はカラーで物語が語られる。なんと紙まで変わっている。序章で使われていた紙よりもクリーム色がかった、マットな、触れると手触りを感じる紙が用いられている。

物語の舞台は学校。高校だろうか。なみとわかめは、ここでは同級生として席を並べている。教師は序章でわかめの父親だったナマズ顔の男。石子や甘草、饅頭の姿も見える。なみの腕時計のアラームが鳴る。すると、授業中であるにもかかわらず、なみは錐を取り出し、わかめの頬に斬りつける。ナマズは目を伏せるだけで、特に止めようとする様子もない。

 

第二章の舞台は学校。今度はなみが錐でわかめに斬りつける(P036-037)

 

わかめが教室を飛び出すと、なみは彼女を追いかけ、鍵盤ハーモニカで追撃する。しばらくして腕時計のアラームが再び鳴ると、なみは傷ついたわかめを廊下に置き去りにして、教室に戻っていく。

不思議なことに、帰宅すると、わかめの傷がみるみる癒えていく。翌朝、すっかり回復したわかめが登校すると、隣の席では、なみが今度は日本刀の柄を磨いている。ところが、その日、席替えが行われ、わかめとなみの席は離れ離れになり、わかめが授業中に襲われることはなくなる。放課後、機関銃を持って校門の前でなみを待ち伏せしていたわかめは、なみが現れると機関銃を押しつけ、「今よ!! わたしを殺して!」と叫ぶ。一度は狙いを定めたなみだが、やがて機関銃をほうり投げ、わかめと熱い口づけをかわす。

続いて第三章。タイトルは「にげられない」、章題の下の文言は、「UNIVERSE 4A」、「2019年/夏」。第二章の4Bが4Aに変わっている。ここでもまた違う紙が使われている。今度は極度にツルツルした紙だ。第三章も第二章同様カラーなのだが、紙質のせいか、カラーの雰囲気が違う。

章題下の文言がほぼ同じ(違いはAかBかだけ)ことを反映しているのだろう、物語の舞台は第二章と同じ学校である。ただし、わかめが学生のままであるのに対し、なみは教師になっている。第二章と同じように、なみはわかめを追いかけるが、今度はなみのほうから暴力を奮うことはない。わかめはなみにこう言ってのける。「わたしのこと好きなんでしょ? 知ってるよ/でもわたしはもう愛さないって決めたの」。

 

わかめは教師のなみの目の前で教室の窓から外に飛び下りる(P058-059)

 

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このように本書は、序章で提示されたわかめとなみの愛し合い・殺し合いの物語を、絵柄や紙質まで変えながら、第二章、第三章…と次々に変奏していく。マンガを読み進めていくと、章題に添えられた「UNIVERSE」が並行世界なのだと気づく。おそらくはその数だけ、わかめとなみの物語も変奏されていくのだろう。第五章は「UNIVERSE 666」だから、少なくとも666もの変奏があるということになる。

ところが、いくら変奏を重ねようと、わかめとなみの運命が変わることはない。ふたりは終章の「むげんのものがたり」で、そのことを思い知らされる。そこは「UNIVERSE 1」、「1年/NOW & NEVER」と記された、いわば始原の世界である。

「UNIVERSE 1」であるにも関わらず、ふたりは長い戦いを終えたように疲弊しきっていて、文字通り全身ボロボロである。ここでふたりは、ふたりの物語のシナリオがあらかじめ決められていたことを知る。ようやく物語の結末近くに辿り着いたはずなのに、わかめは再び冒頭に戻ることを、それこそ「むげんのものがたり」を生きることを運命づけられている。所詮マンガの登場人物であるわかめとなみに自由はない。

 

全身ボロボロのふたり(P140-141)

 

本書の原書が香港で出版されたのは、逃亡犯条例改正案に端を発するデモで香港が揺れていた2019年夏のこと。奇しくも本書の第二章と第三章の時代は、「2019年/夏」に設定されている。出版された状況に思いを馳せると、物語はたちまち迫真性を帯び、あれこれと深読みしたくなってしまう。わかめとなみの愛憎劇は何を象徴しているのか? ナマズの姿をした父親や母親神(マザーゴッド)と呼ばれる母親は? いつも同じ本を読み、現実に興味がない饅頭(バン)とは何者なのか……。

わかめとなみのふたりは、自分たちに自由がないことを知り、読者の好奇の目にさらされるしかないことを悟る。そのときふたりがどんな行動に出るのか、物語の最終的な結末は、ぜひご自身の目で見届けていただきたい。

ちなみに本書には、デザイナーの略歴と序文が、作者のそれと並んで掲載されている。『illustration』No.218に掲載されたインタビュー(オンラインで読める)によると、リトルサンダーはそのデザイナーKatol(カトル)と、2012年からずっと仕事をし続けているらしい。デザイナーの略歴や序文が掲載されるというのは、マンガでは(マンガ以外でも)珍しいのではないかと思うが、本書においてカトルは、そういった扱いも納得の仕事を成し遂げている。本書はもともとリトルサンダーとカトルのインディーパブリッシングなのだそうだが、だからこそ、これだけきめ細やかで大胆な本作りができたのだろう。ぜひそういった部分にも注目しながら、本書を堪能していただきたい。

 

 


筆者が海外コミックスのブックカフェ書肆喫茶moriの森﨑さんと行っている週一更新のポッドキャスト「海外マンガの本棚」でも、2023年6月2日更新回で本書『わかめとなみとむげんのものがたり』を取り上げている。よかったらぜひお聴きいただきたい。

 

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