齋藤なずな『ぼっち死の館』小学館【夏目房之介のマンガ与太話 その18】

齋藤なずな『ぼっち死の館』小学館【夏目房之介のマンガ与太話 その18】
【図1】齋藤なずな『ぼっち死の館』小学館 2023年 表紙

 

 高齢者にはグサッと来るタイトル。作者は齋藤なずな。何となく想像はつくし、まさに想像通りの作品でもある。主要登場人物すべて独居老人で、彼らの住む団地周辺だけで話が進む。同じような年齢になった私には、もはや「あるある」の話である。そもそも「ぼっち死」は、私なども心のどこかで覚悟せざるをえない事態で、いつそうなるかわかったものではない。とはいえ、本作はけして悲惨な物語ではない。地味~な当たり前の日常が、地味~に描かれる。ただ、そのいちいちが身につまされる。独居老人の男性が書く「購入品リスト」のメモなんて、私も日々生産している。あ~あ、とか思いながら読んでしまう。

 

【図2】同上 P.118

 こんな地味な話を読者に読ませる作家の力量は凄い。そして、私には確実に身の内に残る作品となった。老人を描いた漫画はけっこうある。海外でも同様の漫画はある。世界的に漫画の支持層だった戦後ベビーブーマーがせーので高齢化しており、作家も読者もこうした共感を共有するようになったのではないか。ただ、ほとんどの場合、どこかで「老い」をオブラートに包んでいる気もする。極端なのは「まだまだ青春」などと訳わからん妄想でまとめようとする。私は若い頃からこの手合いの欺瞞が大嫌いであった。それに比べて、本作は作者本人とおぼしき人物も出てきて、あー絶対あるなコレと思うような日常の現実感がある。けして器用ではない絵の、ある種の切実さがもたらすところもあるかもしれない。男性作家が描く「老い」には、やはりどこかロマンティックな逃げがある感じもする。
 本作の切実さは同時にユーモアに覆われている。その点で読者も救われる。ユーモアはオブラートではなく、むしろ老人になった者が自分や周囲を見て自然に身に着けてしまう、自己防衛的な態度である。そこんとこは、自分や周囲のことを思い返せばよくわかる。
 にしても、同じ老いでも、女性達はかくも元気なのだなあ、と感心する。彼女たちは団地で出会った仲間と飽かずに会話し、「満鉄お嬢」だの「マダム・シャモ―」だの「パープル星人」だのと楽しい仇名をつけて噂話に励む。あと重要なのが野良猫の世話話(これは私の身近にも見られる)。噂話の結びつきはあなどれない。それは彼女たちの紐帯であり娯楽でありストレス解消であり脳の老化防止でもあるのだ。他方、男性独居老人はどこか偉そうで、プライドを捨てきれず、噂話コミュニティに参加しようとしない(つか、できないのよ)。私自身そうなので、まことに身につまされる。わしらは存在として弱いのだなあ、と思う。
 本作の、亡くなった奥さんの声が聞こえる作家かライターの老男性は、バスに乗り込むなり「なんだ ヨレヨレのバァさんばっかりだな。」と思う。すると彼の背中から奥さんが「男の人って、 自分もどっちこっちないジィさんなのに、すぐそういうこと言うのよね。」とつっこみを入れる。ホントにそうだよね、と私も思う。

 

【図3】同上 P.138

 ちょっとインテリな彼は、生前の奥さんに「バカ」と言ってしまう癖があった。奥さんの回想(妄想?)の中でも「バカ!」と言ってしまう。すると奥さんの幻影が「よっぽど自分が利口だと思ってる? 人のこといつもバカバカって。」とつっこむ。彼は「そもそも言葉というものはだな、全て関係性の中にあるんだよ。 本気でバカと言ってるのか その…ナンダ、愛というもんが含まれたバカか、 そんなこたぁ語調とか脈絡の中でおまえにだって、 わかるはずだ!」などと、いかにも半端にインテリな受け答えをして振り返る。
 が、そこに奥さんはいない。

 

【図4】同上 P.122

 うわあ、これは俺だ! と思わずうんざりする。凄まじく恥ずかしい。「バカ」と言ったかどうかはともかく、少なくとも態度に同じものが出ていたはずだ。昔、似たようないいわけをした気もする。もともと傲慢で人を小バカにする癖があるので、多分大勢の人にウザがられているだろう。ホントに情けない。私もまたここで描かれる老人の一人なのだ。
 そんな感じで申し訳なく読んでいると、この短編冒頭で彼が噂されている描写の衝撃が蘇る。「ダンカイ ジーンズ ジジイ。 年くったことに気づかず 若い時のまま安物ジーンズはき続けてる団塊!」として「DJJ」と略号化されている。そして私も今だに普通にジーンズをはいている。そうか、もはやジーンズはいてるだけでも彼女たちにはこきおろされるのか。そういえば、先日近所の定食屋でおばさん達が「トシとってユニクロ着てるのダサいわよねー」と噂していた。私もそんな一人で、平然とユニクロを着ている。いやはや、まったく。
 正直、そんなこと気にし始めたらきりがない。自己像がズレて来るのは男も女も同様だろうし、ジーンズやユニクロが問題なのではなく、個人的なセンスの問題が大きい。それもわかってはいる。が、以前から嫌味で怒りっぽいジジイにはなりたくないけど、俺はなるだろうなあと思っている私としては、せめて小奇麗には見せたい。でも、見透かされているんだろうな。けっこう自尊心が傷つく。
 その後ちょっとばかりお高いジャケットやコートを思い切って購入し、以前ほどジーンズもユニクロも身に付けなくなった今日この頃である。

 

 

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