※通常、未読の方の為に詳細な作品内容を書かないようにしておりますが、今回の作品は現在読むのが困難な為、物語の内容を細かく記述しております。御了承下さい。
皆さんは「読むと泣くからなるべく読まない」、なんて漫画はありますか。私はまさに水島新司さんの『カンコロめし』がそうです。
お酒が入った状態で読むと体力を持っていかれるくらい号泣するので、飲酒しながら読むのは禁止しております。今回この記事を書くにあたってかなり久しぶりに読みましたが、やっぱり泣いてしまいました。
水島新司さんもそこまで泣かせようとしてこの作品を描いたわけでは無いと思うのですが、私にとって特別な感情を抱く漫画なんですよ。
野球に深い愛情を示し今も描き続けている水島新司さんですが、本格的に野球漫画を量産する前はこういった人情漫画を多く描かれてます。
笑いも折り込まれ最後にほろっとくる良い話ばかりですが、現在読む為には古書店を巡るかオークションサイトなどで出品されているのを探すくらいしか手立てが無いでしょう。
私は水島新司さんという漫画家を語る上でこの数多の人情漫画は、後の野球漫画へと至る過程として戦後漫画史的に大切な財産だと考えます。
それ故にこの現状が残念でなりません。
その水島さんの人情漫画の一つである『カンコロめし』、小学校低学年だったか高学年だったかさっぱり憶えてませんが私の家にありました。
想像の域を出ませんが、漫画ばっかり読んでる子供の為に親かもしくはその周辺の大人がどこからかもらってきてくれたのではないかと思います。
『カンコロめし』はA5版サイズのいわゆる貸本漫画です。発行年度の記載はありませんが、巻末の広告に1966年と入っているので昭和41年頃の作品と考えていいでしょう。
作中の時代背景はもう少し前の昭和30年代ではないかと思われます。
当時の私の境遇と似ている設定があった為、自分に重ねて何度も何度も読みましたよ。そして大人になって突然の再会。長い漫画人生の中で最も大切な1冊です。
作品の舞台は東北のある小村。そこで暮らす長男と次男、長女の3人の子供が物語の主人公です。
「農閑期に入ると一家の主人の七割もが東京方面へ出稼ぎにゆく。おさない子供がけなげにも留守を守っているのは珍しいことではなかった」(原文まま)
長い冬が終わりを告げようとし、春の声が聞こえる季節(作中で3月頃)に出稼ぎに行った父親達が帰り始め活気づく村。
本宮文太(長男、作中に明言無し。扉ページから判断して6年生)みのる(次男、未就学)加津子(長女、2年生)の3人も父親を迎えに駅へ集います。駅まで父親を迎えに行く時の文太はとてもはしゃいで陽気に駅へ向かいます。しかし文太が笑う描写はここまで。
乗っている筈の列車から乗客全員が降りても父親の姿はありません。文太にすがりついて「とうちゃんがかえってこない」と泣くみのると加津子。
母親がいない(作中に理由は書かれてません)この家族、父親が出稼ぎに行っている間は長男の文太が弟と妹の面倒を見る親代わり。気丈に「もう泣くな。明日は絶対帰ってくるさ、こーんなでっかいおみやげを持ってな」となだめます。
ところがその後も「おとう」は帰って来ず、雨の日も雪の日も風の日も駅のホームでうなだれる3人の子供の姿が早々に涙を誘います。そしておとうは村でただ一人の帰っていない出稼ぎ者となり、以降切ない物語が続きます。
ある日の学校の昼休み、生徒の弁当が盗まれている事が発覚し、疑いは昼休みになると裏山へ行き姿を隠す文太へ向けられます。盗んだ弁当を隠れて食べる為に裏山へ行っているに違いないと。翌日は他の子の弁当が盗まれ、やはり裏山へ行ってその場にいない文太が犯人に間違いないと騒ぐ生徒たち。
そこへ間が悪く加津子が文太を訪ねて教室へ入ってきます。矛先を加津子に向ける生徒たち。泣きながら教室を出た加津子はそのまま校舎裏で泣き続けます。
水島さんが描く可憐な姿も相まって、文太の代わりになじられて泣きだす加津子が可哀想でなりません。
裏山から戻った文太は泣いている加津子を見つけ事情を聞くと激昂し、泣かせた生徒らと大喧嘩になります。放課後、職員室で二人の先生と向き合う文太。学校に以前からいる女の坂本先生は文太の事をよく知ってます。一方、町から赴任してきたばかりの男の嵐先生は状況証拠で文太が犯人の可能性もあるかもと考えます。
加津子が持ってきている弁当は芋だけの「芋弁当」だから文太もきっとそうで、恥ずかしいから教室で食べないのではないか。坂本先生からそう聞かされていた嵐先生は昼休みに裏山へ行く理由を文太に問い詰めますが「こんなこと言いたくない」と頑なに話しません。
業を煮やした嵐先生はあろうことか文太に対して弁当泥棒とまで言ってしまい、文太はたまらず職員室をとび出します。帰る前に畑で芋を掘って、文太が家の近くまで来ると夕飯の支度中にみのるがいなくなったと加津子が駆けよってきます。
空を見て吹雪になるかもしれないとあわてる文太。山へ探しに行きますがよりによって熊に遭遇し、必死に逃げながら家に戻ると付近を探した加津子が村の人が協力してくれないと文太に言います。
そう、弁当話が広まっているのです。閉鎖的な空間です。疑いがあるだけで冷たくされる、やり切れません。
そこへ駅長さんがみのるを背負ってやってきます。一人で駅まで来て最終列車までおとうを待つと言い張って結局寝てしまったと。駅長さんはおとうが帰ってこない3人を気遣って帰ります。末っ子がおとう恋しさに一人で遠い駅まで歩いて行く。切ないです。
駅長さんの優しさが救いですが、おとうが帰って来ない限り苦難は終わりません。その後の2日間はみのると加津子が風邪をひいた為看病のために文太は学校を休みます。しかしその2日間は何故か弁当は盗まれません。ますます文太犯人説は濃くなり、状況から見て疑わざるをえないと嵐先生。
どうしても文太がそんな事をする筈はないと信じる坂本先生は文太の家を訪ねます。文太は畑に行っており不在でしたが寝床に横になって休むみのると加津子から事情を聞いて、学校を休んだ理由もわかり安心して帰ります。
翌日登校した文太を皆が疑いの目でしか見ません。そしてこの日弁当は盗まれてしまいます。「ほれみたことか、やっぱり文太が犯人だ」と騒がれ、悔しさのあまり今度は椅子を振り回しての大暴れ。止めに入った嵐先生が他の生徒の訴えを聞き、疑いの眼差しを文太に向けると我慢の限界に達し学校をやめると坂本先生に告げて加津子を連れて帰ります。
家に帰るとみのるの様子がおかしく、続けて加津子も体調不良を訴えます。おとうが出稼ぎに行っている間は備蓄の食糧と仕送りで凌ぐのですが、帰ってこない為食糧は残りわずか。現金は0円です。
文太は「あけてもくれてもカンコロめしばっかりだった、肉を食べさせてないが故の栄養失調だ」と考えます。周りに弱みを見せない文太ですが、この時ばかりは空に向かって帰ってこないおとうへ不満を叫びます。
この場面でようやく、そして作中たった一度だけ「カンコロめし」という言葉が出てきます。
「カンコロめし」の説明は本の最初、扉ページにあります。
具が少ない鍋のお粥の事で、食べ進めると水ばかりになり木のしゃもじが鍋の底とふれあってカンコロカンコロと音をたてるところからこの呼び名がついた、と。水島さんが意図してなのかわかりませんが、文太達3人が「カンコロめし」を食べる描写は出てきません。
個人的には無くて正解です。帰ってこないおとうを思いながら子供3人で具が少ない鍋を囲む場面。あまりに重たいじゃないですか、そんなの。
何故食べる描写もなく作中に一度しか出てこない言葉が作品名になったのでしょうか。貧乏の象徴を意味し、題名として覚えやすい事だからではないかと推察しますがどうなんでしょう。だとしたらその効果は十分にあったと思います。
その頃学校では床下でごそごそと音を立てる人物を嵐先生が捕まえる騒ぎが起き、村にいる浮浪者(作中ではこじきと書かれてます。時代ですね)が弁当泥棒と判明します。では何故文太は昼休みに裏山へ行くのか。
通りかかった村のおばあさんが文太が昼休みに裏山へ行くのは弁当を持ってこないからで、皆が食べている教室には居られないからだと説明します。文太の無実と、自分は持ってこないが妹には弁当を持たせる立派さに涙する坂本先生。
疑った自分を恥じる嵐先生に「あんたはあの子をうたぐってたんか?ばかたれ!!町の先生があきれるわい」と怒る村のおばあさん。
この理詰めで考えて判断し生徒に向き合う町から赴任したばかりの嵐先生と、以前から学校にいて生徒の内情を把握して寄り添う坂本先生との対比が物語の重要な要素です。町から来た先生の方が立場が上、赴任期間は関係なし。男の嵐先生は生徒に優しい女の坂本先生の意見を聞きはしますが理詰めの考えを優先し、結果文太と加津子はつらい思いをします。
ここで対比される都会と田舎、男と女という格差は当時東北も九州も関係なく存在していたと思います。令和の今はどうなんでしょうね。少なくとも教育の場においては無くなったと信じたいところです。
水島さんはこういう描写の時に極端に善と悪を分ける事もありますが、この作品はそこまでではありません。小さな村の中での出来事、本当はみんないい人で最後はめでたしめでたしで終わり。子供向け人情漫画の爽やかな読後感を呼び込むにはこの曖昧さが大事です。
一方、文太は役場へ相談に行きますが「おとうがこの程度帰ってこないくらいでは何も出来ん」と突っぱねられます。何とかしてみのると加津子に肉を食べさせないと、と切羽詰まった文太はとうとうよその家のニワトリを一羽盗んでしまいます。すぐに見つかり追いかけられ、逃げる途中で今度は文太が栄養失調で倒れます。
意識を失いかけますが気力で立ち上がろうとする文太。そこへようやく帰ってきたおとうが家路への途中通りかかります。文太!と声をかけるおとう。おとうに抱きつく文太。
感動の再会と思いきや、水島さんはそんな展開にはしません。
なんでもっと早く帰ってこなかった、肉を買うお金が無いから泥棒までしたと泣きながらとおとうをなじる文太。おとうが帰ってこない、弁当泥棒と疑われる、妹と弟が共に体調を崩す。それでも頑として時には意地も張って困難に立ち向かった文太がやっと帰ってきたおとうを前にして喜ぶより先に弱さを見せ大泣きし、すがる。
これが泣かずにいられましょうか。水島さん、上手すぎます。
おとうは包帯が巻かれた手を見せて出稼ぎ先の現場で腕を折って入院しており仕送りもできず、更に心配かけたくなかったから黙ってたと謝ります。そこへ文太に追い付いていながら陰から様子を見ていたニワトリの持ち主が出て来ます。文太は両膝をついて謝りますが、おとうが帰って来ずに困窮していたのは狭い村ですから当然知ってます。
「文太、おとうが帰ってきてよかったの」
「こいつは逃げ出しよった。連れて帰ると他の鶏に逃げグセがうつるかもしれんから文太にあげるよ」
とニワトリを置いて帰ります。見つめ合う文太とおとう。家に帰り、寝ているみのると加津子を起こすおとう。ようやく帰ってきたおとうに無邪気に喜び抱きつくみのると加津子。文太が作った鶏鍋を一家四人で睦まじく食べるところでこの物語は終了です。
最後のページをめくると後書きが掲載されてます。
出稼ぎに行ったまま何年も行方不明になってしまう事例があり、そういった方へ「この漫画を読んだならどうか家族へ連絡してください」と。そして留守を守る子どたちへの応援の言葉も。
水島さんは新潟出身です。
農閑期、出稼ぎ、父親、家族。
きっと御自身にとって想うところが大きく、この作品を全ての出稼ぎ者たちとその家族に向けたメッセージとして描かれたのではないかと私は信じます。
東北の小さな農村という舞台は、九州の県庁所在市に住む子供の私にはなじみがありませんでした。また読んでいた昭和40年代は作中の時代背景よりだいぶ後です。
それでも子供ながらに共感したのは、当時私の父親も出稼ぎで一年のほとんどが不在だったからです。季節労働者の「おとう」と違って現場職人の私の父は、日本各地の高度成長に乗ったリゾート開発や大型の施設建設を渡り歩いて収入を得ていました。
父の顔を見るのはそれこそ盆正月くらい。父が帰ってくると姉、私、妹の3人の子供は沢山並べられた各地のお土産に目を輝かせ、久しぶりの家族が揃った夕食は楽しいものでした。
不思議なもので、今思い出せるのは父が帰って来た時の記憶のみです。何故か休暇を終えてまた出稼ぎに戻る父の姿は思い出せません。それくらい父が帰って来た時は嬉しかったということでしょう。
おとうが帰ってくるのを心待ちにしながら連絡も無しに帰ってこない。私には母がいましたが、それでも文太、みのる、加津子の気持ちは痛いほどわかります。
水島さんが母親がいない設定にしたのはこの3人の子供の不安を強調しつつ、文太のたくましさを生かす為だといっていいでしょう。
それにしても文太は立派です。厳しい時代ですから当然かもしれません。きっといたる所で多くの子供が文太と同じ様に頑張って貧乏を、困難を乗りきっていたのでしょう。我が家も決して裕福ではありませんでした。しかし文太達と違い子供3人の間でギスギスする事の方が多かったと思います。
私が中学生の頃に父は出稼ぎをやめ、地元の建設会社に身を置いて家族と共に過ごすようになり家庭環境も変わりました。立派な文太からは何も学ぶ事が出来なかった子供の私でしたが、父親が出稼ぎ者という共通点がずっとこの漫画を記憶の片隅にとどめて成長していきます。
いつしか姿を消してしまったこの本、24歳の時に突然私の眼前に現れます。高校卒業後九州を離れて6年過ごした大阪から色々あって神奈川へ居を構え、少し落ち着いたら行くと決めていた神田神保町。この頃は日本のSF作家の古い本を好んで買っておりましたが、何の知識もなく前を通りかかりふらっと立ち寄った漫画専門古書店。
小さな店内に特に目立つ置き方がなされていたわけでもなく、棚の中で背を向けて並んでおりました(後で知ったのですが著名な劇画家の方がやっていたお店でした。現在は閉店)。
「え?これ、この題名、まさか」と手にとって表紙を見た途端に子供の頃の記憶があふれてきます。すぐに買うと決めましたが、持ち合わせが足り無いという不覚。内金を入れて取り置きしてもらい後日残金を払って受け取り、一直線に帰宅。
はやる気持ちを抑えてゆっくり噛みしめるように読みましたよ。
当然泣きましたけど、読み終わって本をまじまじと見つめて「残っているもんなんだな」という感慨にふけったのを憶えてます。
読めば泣くからと簡単に手に取れない場所へ保管するまでに何度か読み返しますが、大人になって読んであらためて気付かされた事。
それは加津子の可愛さ。
兄を慕い、頼る、儚くて可憐な妹。子供の時には気にしなかった必死に妹と弟を守る文太の人間的な大きさ。私に妹がいるのは先述しました。勿論現実の生身の人間ですから漫画の中の加津子とは違います。子供の頃は重ねようがありません。
末っ子の妹は事あるごとに母に守られ、上の子としてはややうとましい存在の時期もありました。そんな子供の頃を思い出して、私は兄として妹に何もしなかったではないかとの思いを強くします。
大人の私は「可憐な絵柄の加津子」を子供の頃の妹に重ね、あれやこれやを思い出しては「すまなかった妹よ」と心の中で謝ります。私が文太の様な兄であったならもう少し良き少女時代を過ごせたのではないかと懺悔の念は今も消えません。
高卒後、姉と妹とは離れて暮らす私が兄でもあり弟でもある自分を再認識させてくれた作品。だからこそ子供時代の様々な事を思い出し、重ね、悔やみ、自分を恥じる気持ちを強くして何度読もうと涙が止まらなくなってしまうのですよ(姉も妹もまだ健在です。念の為)。
この『カンコロめし』との再会と、店内に並ぶ商品を見て色々な古い漫画や雑誌が残っている驚きと懐かしさ。私は子供時代の漫画を古本で集める様になり、いわゆる古書漫画という世界にどっぷりはまっていきます。
以降長い長い間、古書漫画の世界をうろうろしながら紆余曲折の人生を歩み、その果てに現在の仕事にたどり着くことに。
今回の記事を書き、24歳の時に「カンコロめし」に再会した事が後の人生の方向に舵を切る大きな一因だったのだろうとあらためて認識を強くしました。
「棺桶にいれる」という表現にあてはまる(愛着のある本を燃やすなんてことは絶対にありえませんからやりませんが)、私にとって何よりも大事な大事な作品です。
そしていつの日か数多くの水島人情漫画が復刊される事を願ってやみません。
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