I【アイ】
東北の地より、生と死の意味を問う。宮城県の田舎町に生まれ、身寄りのないイサオ。一方、医者の息子である雅彦は、小学生の頃から、自分が生きていることの意味についてひそかに、深く悩んでいた。二人が中学生になったある時、イサオは恩師の臨終の場で、人の魂を己に乗り移らせたかのような不思議な力を見せた。そして、次第にイサオに惹かれいった。雅彦は、高校入試の日に、二人で旅に出ることを決意する。目的は、イサオが産まれた瞬間に目撃したという神様のような存在=トモイを探すこと。これが、二人の長い長い旅の始まりだった。
白血病治療のため、1年1ヶ月遅れで高1になった春太郎。オカマにしか見えない教師や優しいぽっちゃり少年などのバラエティ豊かな人々に囲まれ、どこにでもあるようでどこにもない学園生活が始まる!
作者が『週刊少年ジャンプ』に連載した大ヒット作を雑誌発表当時の扉も含めて完全再現し、新編集で復刻。主人公のひばりくんは女の子の容姿ながらじつは男の子という設定で、80年代という時代の空気を有名人や人気アイテムなどのポップカルチャーを通して表現。どこまでも軽やかに切りとってみせた時代感覚はいまも新鮮さを失っていません。江口ギャグのエッセンスが横溢する大傑作。
にれこスケッチ
鴨居まさね最新作!!! 28歳、恋も就職も見込みゼロ。職人修業はじめます! “にれこ”は、傘職人・清田(きよた)くんの工房でアルバイト3年目。しかし、20年来片思いの清田くんは既婚者だし、就職を狙うも「社員にはしない」と宣言されるしで、恋も仕事も先は見えない。そんな中、実家であるブラシ屋の跡継ぎに指名されたにれこは――? 「ブラシ屋なんて…地味すぎる!」三姉妹の末っ子・にれこのブラシ職人修業の日々
19世紀フランス――パリ。『月から来たような』少女・セリーヌは、自分が何をしたいのかもわからない14歳。“先生”の教えだけを頼りに上京したパリで、偶然出会った老紳士から”職業を体験する職業”を勧められ・・・・・・?19世紀パリ風俗を美しく描写する少女職業探訪記、ここに開演――。
ケッペキゲーマー
電脳空間なら、全ての者は対等だ!! 現実がどんなに過酷でも電脳空間ならどこまでも跳べる!! 極度の潔癖症のため、ずっとひきこもりだった少年は、ある日一人の少女と出会う。「ゲームでもする?」 彼女の一言とeスポーツの世界が、少年の運命を大きく変える――!
どげせん
土下座。それは、命への執着の究極形態、 命恋(いのちごい)である。 ヤクザに追われる女がいた。訳ありの女を助けたのは、1人の中年男。女を助けるために男のとった行動、それは…土下座だった。交差点のど真ん中で、何台もの車が行き交う中、土下座をしたまま男はヤクザに言う。
物語の主人公・キーチは、きかん坊で何があっても泣かない異色の幼稚園児。両親、先生、友達……多くの人に愛されてきたキーチ。しかし、親子三人で出かけたある日、キーチの目の前で両親が通り魔に襲われてしまう。たった4歳にして、尊敬するパパと大好きなママを失ったキーチ。両親の死を乗り越えるため、もがき苦しむが――「両親と会いたい」という希望が「両親に会えない」という絶望に変わる時、キーチは……!?
人々から「やせっぽち」と呼ばれ嫌われていた孤児の少女に声をかけたのは周りから「ふとっちょ」とからかわれていた少年・ダンだった。少女はジュリアと名付けられダンの父親が経営するレストランに住み込みで働くことに。そこでジュリアは初めて家族の温かさを知ることになる――。Webで話題のハートフルコメディ、描きおろし満載でついに書籍化!
「朝、目が覚めたらそこには美少女が…って俺!?」 アイドルオタクでクラスカースト最下位の主人公、逢坂陽介♂はある朝、めざめると超絶美少女の逢坂陽子♀になっていた!? キモオタ陽介のアイドル知識と美少女陽子の容姿を組み合わせ、目指せ理想のアイドル!! 第3回『次に来るマンガ大賞』webマンガ部門ノミネートタイトルの1巻、堂々発売!
骨肉腫で片足を失った女子高生、鈴。生きる気力すらなくしていた彼女だが、義足技術者・風見と、競技用義足・ブレードとの出会いによって人生が大きく変わりはじめる。二度と手に入らないと思っていた、「走って、風を感じる」こと。そしてクールな風見には、ブレード開発にかける過去があり…。走る楽しさが心ゆさぶる、青春パラスポーツ漫画!
よく「動物を擬人化させたマンガを描くひとは捻くれ者だ」と言われることがありますけど、なかなか本質を突いた言葉だなぁと思います。動物ではないですけど、実はアンパンマンなんかはかなりグロテスクですよね。それを戦中餓死しかけたこともあるというやなせたかしさんが描いたとなればこと尚更。まあ、おそらく、そういうひとたちは人間の目線では物事をみていない。というのは人間に絶望しているのか、人間が嫌いなのか、それはわかりませんけども、とにかく人間の外側からの目線を獲得したいという強烈な意志を感じます。 いがらしみきおも擬人化動物マンガを描いたひとりですけども、『ぼのぼの』は凄まじいです。第一話目からいきなり、ぼのぼのがただ川を流されてゆくコマが四つ続くという過激さ。起承転結という四コマ漫画の定石をまるで無視して四コマとも何も起こらない。ただ、ぼのぼのが川を流されているという事実だけが浮き彫りになる。この何も起こらなさを過激と捉えてしまうのは人間の目線でものをみているからなんでしょうけど、ぼのぼの以前のいがらしみきおは全人類を燃やし尽くすかのような過激でブラックなギャグをやっていたひとですから、やっぱり衝撃なわけです。 しばらくの休載期間を経てはじまった『ぼのぼの』ですが、休載期間に何か転機があったのか、おそらく、否定に否定をどこまでも重ね尽くしたひとにしか到達できないある種の肯定に辿り着いたのだと思います。まあ、菩提樹の下で悟りを開いたブッタのようなものです。 そして『ぼのぼの』で悟りを開いて、しばらく山籠りしていた仙人が俗世に下りてきたのが『Sink』や『I』になるかと思います。だから『ぼのぼの』の過激さがもっと分かりやすく描かれている。動物ではなく人間ですからね。といっても『I』ではほとんど動物めいた人間がおぞましく描かれている。そういう意味ではジョージ秋山の『アシュラ』に近い作品なのかもしれません。『アシュラ』も『I』も醜さや穢らわしさが一周まわって何か神聖めいた肯定的なものにみえてくる。この「一周まわって」というのがとても重要なことのような気がします。