私事ですが、先日岡山県玉野市に行きました。金がないから青春18きっぷで(もう歳なんだから18きっぷ+西成宿泊とかで旅をするな)。行ったのは、渋川マリン水族館(玉野海洋博物館)という入館料500円の小さな水族館が目的です。当方、中高と部活を生物部で過ごしたような人間なので水族館・動物園好きでして、旅に出る機会あれば積極的に寄ってるんです。この原稿書いてる時点のWikipedia「日本の水族館」に載ってる施設のうち78館(現存73、今はないの5)+載ってない2館(今年に開館したスマートアクアリウム静岡と、むかし福岡に存在しわずか3年で潰れたネイブルランド水族館)の80館行っとります。
で、この玉野市というの、ある漫画家と関わりがあります。
ご覧の通り、いしいひさいちの出身地なんですね。朝日新聞朝刊連載の『ののちゃん』は、この玉野をモデルにした「たまのの市」が舞台となっております。で、今回紹介する『ROCA 吉川ロカストーリーライブ』は、その『ののちゃん』内でサブキャラクターのストーリーが展開される「連載内連載」という形で進んでいたのが、いしいによると、
“朝日新聞のコアな読者にはたいへん評判がわるかった連載内連載、いわゆる吉川ロカシリーズは3月24日付(筆者注:2012年)朝刊の漫画をもって終了しました。シンプルなハッピーエンドを描こうとしたのですが、確信犯とはいえ場所をまちがっていました。
これからウェブサイトで新聞ではやりにくかった部分を順不動で埋めていきたいと思います。どうぞよろしく。”
(https://web.archive.org/web/20121209014016/http://www.ishii-shoten.com/honnmaru/manga/017HP20120319N017.html)
とのことで、公式サイト上やコミティアで出していた同人誌『ドーナツボックス』シリーズ上などで描き足される形で続いていき、そして先述の連載内連載終了から10年経った今年に入って同人誌の形で単行本が出たというものです。本は公式サイト上から購入することができます(https://www.ishii-shoten.com/honnmaru/rocaw09.html)。いしいが近年のコミティアで同人誌を出していたのは知らなかったという方も結構いるんじゃないかと思いますが、いしいひさいち公式アナウンスTwitterアカウントで、
自分の好きなように制限も締切もなく、自分で直接売りに行けて、普段なかなかお会い出来ない読者の皆様のお話も聞けて、商業誌では体験出来ない場と思っているんだけれど。
— 白玉あずき (@kagonoikeazuki) June 24, 2022
と「同人からスタート」と言っているように、いしい、若かりし頃に大学時代の仲間と「チャンネルゼロ工房」(後に株式会社チャンネルゼロ)を立ち上げて同人誌『チャンネルゼロ』を刊行していたという経歴がある人なんですよね。今の同人界からだとあまり想像できないですが、60〜70年代は、同人誌というのは漫画好きが複数集まってガリ版刷りとかで作ってるものだったんです(今では一般的な作家一人による同人サークルのことを「個人サークル」と呼ぶことがあるのは、この「サークル=複数人」が普通だった頃の名残ですね。あと現代でもいわゆる「学漫」、大学漫研等の部誌なんかはこの名残をとどめておりましょう)。この辺はむかし、京都国際マンガミュージアムや米沢嘉博記念図書館で「コミックマーケットの源流」として特別展が開かれていたこともありました。ちなみに、この同人時代の後、70年代後半に本格的に商業漫画家として活動し始めたいしいというのは、やはり同時期に本格活動を始めた植田まさしとともに「植田・いしい以前/以後」で4コマ漫画の歴史を分けられるくらい4コマ漫画界に革命を起こした物凄い新星だったんですよ(「以前」の4コマ漫画は基本的に、むかし漫画ゴラク創刊号の記事で書いたような「大人まんが」の系譜なんですね。で、『まんがタイム』など現在にも続く4コマ漫画雑誌は全て、「以後」である80年代前半以降に創刊されたものとなります)。
閑話休題。『ROCA』の話に戻りましょう。本作は、成績は全部ダメだが、天性のボーカルの才があり、ファド(ポルトガルの大衆歌謡で「宿命」を意味する)歌手を目指す高校生・吉川ロカと、
ロカの年上の同級生(高1を3回やらかした)で何かと彼女をサポートする、半分ヤクザみたいな商会の娘・柴島美乃(名字は”くにじま”と読み、いしいが大学時代を過ごした東淀川区の駅名から取られています)、
この二人をメイン登場人物とし、ロカがファド歌手として大きく羽ばたいていく様子を描くというのがメインの話となっている、ストーリー4コマです。
本作、まず単純に一本一本が4コマとして上手い。笑えるオチは笑えますし、上で引用したのにある「学校もわたしをいらないみたいだし」みたいなキレのあるセリフ回しも端々に挟まります。ロカの歌を聞いた客に、町の食堂(序盤のロカは、ストリートや、定休日の食堂でライブをしています)がリスボンの酒場に見えると言わしめる回なんかは、表現技法がべらぼうに上手いですね。
そして、ロカと美乃、この二人の関係性が何より素晴らしい。あまりジャンルのレッテルを貼ってしまうのも窮屈な読みだよなと思いはしますものの、普通に書いたら届かないかなと思う読者へのリーチを考えて記事タイトルにも書きましたが、一流の百合です。見てくださいよ、このやり取り。
「お前はオレのシマだ」「うれしい」ですよ。どうですこの切れ味。ナタの切れ味ですよ。
上京してデビュー後、ヘコむことがあったロカが、美乃の「ばか」を聞いて安心を取り戻す、このシーンなんかもキレッキレですね。
そしてこの二人に訪れるラスト、詳細は本稿では明かしませんが、本当にギューンと心に来ます。作中で「ファドで歌われる 切ないだけでない 儚いだけでない ひとことでは言われへん複雑な感情表現」と説明される「サウダージ」、これを作品自体が体現しているのです。
いしいが単にコミカルな4コマだけを描くのではなく、実験的なこともやったりする漫画家なのは『ののちゃん』でよく知られていたと思いますが(富田月子さんシリーズとか)、こんなサウダージな作品まで描ける人だったとはと、本当シャッポを脱ぐ思いですよ。今まで、評価していたつもりでまだ全然過小評価していたんだということを思い知らされました。
あと余談。最初の方の段で、「いしいが同人もやるのは、商業でやれないからではない」というようなことを書きましたが、ただ本作については、同人誌の形で出たのは”引き受けてくれる出版社がなかったそうです”とのことで、
ありがとうございます(^^)引き受けてくれる出版社がなかったそうです💦
— 白玉あずき (@kagonoikeazuki) August 28, 2022
不遜なことを言わせていただきますが、出版社の担当、いくらなんでも見る目がねえ。