麒麟・川島とかまいたち・山内が「面白いマンガ」に沼のようにハマって楽しむマンガバラエティ『川島・山内のマンガ沼』。今回は、先日放送された「マンガ家ガチアンケート・板垣恵介編」前編の模様を紹介していきます。
何百回とやらされた「五接地転回法」
川島 この番組、毎回とんでもない方がいらっしゃるんですけど、今日は特別緊張感があります。ずっと読んでてバイブルになってる作品の先生でもあるし、出現したら即しばかれそうな先生でもある(笑)。では登場していただきましょう、あの超名作『グラップラー刃牙』など『刃牙』シリーズの作者・板垣恵介先生です! ……あれ? 先生、なんでそんなに疲れてるんですか?
板垣 いつもだったら、まだ寝てる時刻なんで(笑)。
*収録は昼の12時30分から行われた。
川島 お疲れの中、来ていただいてありがとうございます。今年はなんと『刃牙』シリーズ連載30周年ということで、メモリアルイヤーでございます! それではまず、板垣先生のプロフィールから紹介していきたいと思います。山内くんよろしく。
山内 板垣恵介先生は1957年生まれ、現在64歳でございます。
川島 見えないなあ。
山内 北海道釧路市出身。陸上自衛隊に入隊。精鋭部隊である第1空挺団に所属。
川島 相当な環境だったと思うんですけど、この時期の知識や経験が、そのまま刃牙の世界に取り込まれているように思うんですけど。
板垣 取り込まれているというか、あんな目に遭ったら絶対描くしかない(笑)。
山内 ガイアのところとか、まさにそういうことですよね。パラシュートで降下するときに、体をひねって五点着地するという(*)。あれ、中学生のとき、やりました。「ホンマに無傷でいけるんかなあ」って。
*『グラップラー刃牙』15巻で登場した「五接地転回法」。落下の衝撃を五点に分散させるので、無傷で着地できるという。
川島 俺もフカフカの布団でやったりしたよ(笑)。これは実際に空挺で得た知識だったんですか?
板垣 もちろん。何百回もやらされたから。何度も何度も何度も。
川島 第1空挺団というのは、自分で選択できるんですか?
板垣 そう。当時、全国で最精鋭と言われてた部隊で。
川島 そこへ乗り込んでいって、所属されたと。
山内 その後の1987年、30歳のときにマンガ家を志し、『子連れ狼』で知られる小池一夫先生が主宰する劇画村塾に入塾。1989年に化粧をテーマにした作品『メイキャッパー』でマンガ家デビュー。1991年9月、34歳で少年チャンピオンで『グラップラー刃牙』の連載を開始。その後も『バキ』『範馬刃牙』『刃牙道』『バキ道』と、『刃牙』シリーズを描き続け、今年で連載30周年ということでございます。外伝やスピンオフを含めると、『刃牙』シリーズは現在150巻を超えるということです。
成り上がるには、これしかない
川島 デビュー作の『メイキャッパー』についてお聞きしたいんですけど、なぜ化粧をテーマにしたんですか?
板垣 バトルはいつでも描けるので、バトルじゃないもので描きたかった。
川島 バトルマンガで一山当てた後だったら、そうおっしゃるのもわかりますけど、もうデビューの時点で「バトルものならいける」という確固たる自信があったと?
板垣 あった。
山内 ええええええ(笑)!
川島 ご自分の中で化粧というのは、ちょっと苦手というか、わからない分野だった?
板垣 わかんない、わかんない。
山内 じゃあなぜわからないテーマで勝負したんですか?
板垣 当時、(女子プロレスラーの)ダンプ松本さんが引退したということで、ドキュメンタリーが放送されたんですよ。彼女の日常にカメラが入って、友達と談笑したりしてて。それがすごくかわいらしかった。「普段はこんな人だったんだ。本当はこういう顔をしたかったのかな」と思い始めて、これは作品になるなと思った。その頃、ちょうど(劇画村塾の)塾生だったので、課題に出したら「これでいい」と。
川島 塾生とおっしゃいましたけど、劇画村塾はとんでもないメンバーばかり集まってますよね。卒業生が、高橋留美子先生、原哲夫先生。先生も、ここの皆さんと一緒に……。
板垣 いや、高橋さんが1期生で、原さんは3期かな。俺は6期生だったから。高橋さんなんて、(自分が塾生の頃には)もう講師として来てた。
川島 じゃあ、ちょっと離れているわけですね。そこで腕を磨かれたと。
山内 どういうのを教わるんですか?
板垣 キャラクター。「マンガとはキャラクターなんだ」ということで、キャラクター作りをさまざまな角度から解説し、実例を見せて、課題を出して……というのを繰り返す。
川島 先生は自衛隊を辞められた後、なぜマンガ家を志されたんですか?
板垣 (自分は)才能あるなと思って。それは自衛隊のときから思ってて、それで辞めたから。矢沢永吉さんにあこがれて、「本当に成り上がるとしたら、これしかない」と。
川島 「これしかない」というのはマンガを描くということ?
板垣 いや、「(絵を)描く」ということ。それで自衛隊を辞めて絵を描き始めて、半年後くらいにマンガをやったんだよ。
川島 辞めてすぐマンガ家を志望されたわけではなかったと。
山内 絵画のほうもされてたということですか?
板垣 イラストとか、そういうこともやった。でもやっぱりマンガが一番早道だから。
川島 成り上がるには?
板垣 そう。「これは大金持ちになれるな」と。
川島 すごい自信ですね。「絶対俺は売れるんだ」という確固たる自信があった?
板垣 いや、そのときはそうじゃなくて、「一番可能性があるのはマンガだな」と。一番儲かるし、そしてたぶん一番理解できてる。そう思ったのが25歳のとき。劇画村塾に入ったのは30歳だから、その5年後。そこまでの5年は本当に苦しんだね。
川島 思い出したくない?
板垣 本当に思い出したくない。
山内 その間は何されてたんですか? バイトしながらデッサンしたりとか?
板垣 そのときには、もう家族いたから。
川島 でも言うたら失礼ですけど、収入はほぼ……。
板垣 うん、ひどいよ。本当に申し訳なかった、あれは。
川島 家族からは「もうマンガ家じゃなくて、ちゃんとしたお仕事をやってくれ」と言われなかった?
板垣 それはかわせるよ(笑)。
山内 お子さんはおいくつだったんですか?
板垣 27歳で1人目だから……。
川島 じゃあその5年の間に生まれたわけですよね。
山内 絶対お金がいる時期ですよ。
板垣 長女が幼稚園に入るとき、入園費がなかったんですよ。ちょうどそのときデビュー作の原稿料が入ったから、それをそのまま……。
山内 ギリギリで(笑)!?
板垣 その金を持って自転車で幼稚園に行きました(笑)。
川島 塾には30歳で入ったわけですよね。同期はもっと若かったんじゃないですか?
板垣 若い若い、10歳くらい違う。一番多かったのは18歳くらいじゃないかな? 俺は上から2番目だった。
川島 そういう状況でも、「この塾を経てデビューするんだ」という気持ちを持っていたと。
板垣 「誰も俺に勝てない」と思ってたよ。
川島 いやいや、幼稚園の入園費ギリギリやったんでしょ(笑)! よう自信ありましたね。
母親の夢を見て生まれた、おんぶのシーン
川島 では、先生に我々のガチアンケートに答えていただきました。最初の質問はこちらです。
「『刃牙』シリーズの中で、ご自身でも満足している美しく描けたシーンはありますか?」
川島 先生の回答はこちら。
・『グラップラー刃牙』(20巻)で、亡くなった母親を背負って歩く幻想シーン。
・『範馬刃牙』での、父・勇次郎との食事シーンのすべて(エア食事も含む)。
他多数。満足なしでは出せない。
川島 もちろんすべてに納得された上で、自分の中のベストを作品として出されてると思いますけど、強いて言えばやっぱりこの2つが、ご自身の中で印象深いという。
板垣 そういや、バトルのシーンがなかったね。
川島 ご自身で振り返ってみて、そうなんですね。(バトルにも)いろいろ印象的なシーンはありますけども。
山内 亡くなったお母さんを抱えて歩くシーン、怖かった記憶があります。
川島 見開きで、右ページが幻想、左ページが現実という構成になってるんですよね。幻想の中では母親に愛してもらって、「これぞ家族」という感じがするんですよ。でも現実ではもう亡くなっていて、遺体をおんぶしていたという。このシーンの思い出はどんなものでしょう?
板垣 これは(自分の)母親が亡くなる時期とちょうどかぶってて。このシーンを描く半年ほど前に、母親が亡くなったんだよ。スキンシップの好きな母親で、俺とくっつきたがるんだけど、俺も年頃だったから拒否してて。でも亡くなってから、一緒に手をつないで歩く夢をよく見たのよ。その夢で母親が「手をつないで歩いて恥ずかしくないの?」と聞くわけ。で、俺はそれに「いいんだよ。勝手に笑わせておきゃいいんだ」と言ってたから、あのシーンと非常に似てる。
川島 刃牙もそういうこと言いますからね。なるほど、その体験とこのシーンがリンクしてるんですね。
板垣 このシーンが強烈に思い浮かんで。だから(前週分の)作品をアップした次の朝に(次回分の)ネームがもうできてた。
山内 このシーンの少し前から、家族愛みたいな展開になってましたよね。お母さんは刃牙のことより勇次郎のことを好きと言い続けていたんだけど、最後、お母さんは刃牙を守る側に回って、勇次郎に殺される。それまで格闘路線で来てたところから、家族愛の方に行って、そこからのおんぶシーンだったので、すごく切ない気持ちになった記憶があります。
板垣 「勇次郎ォォッッ、あたしが相手だ!!!」のシーンは、泣きながら描いた記憶がある。
川島 あそこで手を出したら終わりですからね。
板垣 もう死ぬってことが決定してしまう。
川島 でもそれは先生の中では動かなかったんですか? 「母親をわざわざ殺さなくてもいいんじゃないか?」とか。
板垣 動かなかった。動かなかったけど、描き始めたときはかなりショックで。あんまり会わない親戚が亡くなるより、ずっとショックだった。
川島 本当に肉親が亡くなるような感覚だったと。かなり魅力的なキャラクターでしたからね。
板垣 「なまもの」を感じましたね。
川島 実際の先生のお母さんも、これくらいアクティブで強い女性だったんですか?
板垣 それはない。
川島 優しかった?
板垣 優しいっていうか……気まぐれで、たくさん欠点のある人ですよ。
当たり前のことを当たり前にするんだよ、勇次郎は
川島 このシーンが一つと、もう一つの美しく描けたシーンが勇次郎との食事シーン。これも読者としては衝撃的でした。勇次郎と刃牙が朝食を囲むというシーン(『範馬刃牙』30巻)、僕も本当に好きなシーンなんですけども、ありえないシーンじゃないですか?
山内 それまでは「出会ったらすぐバトル」みたいな展開でしたから。
川島 そう。なのに親父が家に来てくれて、あんな会話をするなんて。我々の世界では親父と「最近メカブよう食べてんねん」とか普通に話しますけど(笑)、この二人にこんな会話、こんな間が許されるなんて。食事しながら勇次郎が言いますよね。「防腐剤…着色料…保存料…様々な化学物質、身体によかろうハズもない。しかし、だからとて健康にいいものだけを採る。これも健全とは言い難い。毒も喰らう。栄養も喰らう」、これは先生の理念ですか? 「いいもんばっかり食べてても身体が弱るよ」という。
板垣 本当に身体にいいものだけを出すお店ってあるじゃないですか。でも、そういう店に来るお客さんより、絶対焼鳥屋さんの客のほうが元気いいと思う。
川島 名言(笑)。ちょっとくらい焦げようがガンガン焼いて、「いらっしゃいませーっ!」と声かけて、確かにどちらが活力あるかと言えば、ガード下の焼き鳥屋の方が活力ありますよね。そして食事シーンといえばもう一つ、刃牙と勇次郎が高級ディナーを食べるというシーンもあります(『『範馬刃牙』30巻』)。勇次郎がテーブルマナーを教えるという。それまで刃牙に対して教育らしいことはあまりしてこなかったんだけど、「(ナイフやフォークは)外側から使う」とか言ってて。
山内 勇次郎、物知りなんですよね。
川島 ちゃんと常識を持った上での非常識な行動だという。勇次郎のこういう一面は、初期にはあまりなかったキャラクター設定だと思うんですけど。
板垣 もちろん初登場の頃から比べたらずいぶん進化してますから。自衛隊辞めた後、ホテルでバイトもしてたんで。
川島 じゃあ、そのときの知識が?
板垣 そう、こういうの詳しいのよ(笑)。
川島 そして「エア夜食」、これも衝撃のシーンです(『範馬刃牙』37巻)。勇次郎と刃牙の二人だけには見えていて、ちゃぶ台ですらも空想という世界です。どういった意図でこの「エア夜食」を描かれたんですか?
板垣 (『範馬刃牙』が)最終回になるのが決まってたんだけど、お互いに加える攻撃が尽きちゃってて、どう描いてもショッキングなシーンにならない。それで食事のシーンだと。「これは誰も予測してないし、ショックを受けるだろう」と思って。
川島 まさにそうでしたね。バトル中に一回座るという、このへんのテンションの落ち着け方もすごく美しいなと思いました。
板垣 昔、パントマイムを見てすごくショックを受けて。ここに重たいバッグがあるとか、ここに壁があるとか、そこに本当にそれがあるとしか見えなかった。それを突き詰めていったら、あのシーンになって。「まるでそこにテーブルがあるかのように完璧に振る舞ったとしたら、テーブルがうっかり見えちゃうんじゃないの?」という。
川島 刃牙と勇次郎との食事シーンだと、勇次郎が食卓を前にして「いただきます」の会釈をするシーンがありますよね。刃牙も驚いてましたけど、読者も刃牙と同じ顔で驚いてたと思います。こんなことする親父だったなんて。
板垣 あれは描いててうれしかった、大好きなシーンだね。当時、モンスターペアレントという言葉が言われ始めていて。「金を払って食事をしているのに、なぜ給食のときに『いただきます』と言わせるのか」という抗議を学校に入れた親がいたらしいんですよ。そのときに「わかってねえ奴がいるなあ」と思ったから、それの影響もあるのかもしれない。
川島 食への感謝。
板垣 そう。
山内 「あの勇次郎でも感謝の気持ちを表すんだよ」と。
川島 まあでも勇次郎以上のモンスターペアレントはいないんですけどね(笑)。モンスターという意味ではたぶん世界一ですから。
担当編集 ネームが上がったときに、モンスターペアレントの話と、「当たり前のことを当たり前にするんだよ、勇次郎は。みんな知らないかもしれないけどそうなんだ」ということはおっしゃってました。
板垣 「父親にこういうふうに驚かされたかった」という願望が自分の中にずっとあって。落胆させるほうが多い父親だったから、「オヤジにはかなわないと思いたい」という気持ちがずっとあった。
川島 「落胆させられるほうが多かった」って、どういう意味ですか?
板垣 「こんな風になりたい」と思わせてくれた記憶がない。むしろ「こうじゃない生き方をしよう」と思わされたというか。
川島 ということは、別に勇次郎と似てる部分はないという。
板垣 真逆の存在ですね。
次回の『川島・山内のマンガ沼』は、「マンガ家ガチアンケート・板垣恵介編」後編を放送!
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(構成:前田隆弘)
【放送情報】
次回放送
読売テレビ●10月2日(土)深1:28~1:58
日本テレビ●10月7日(木)深2:29~2:59
「マンガ家ガチアンケート・板垣恵介編」後編を放送。
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