「若い子たち『動物のお医者さん』(佐々木倫子)のこと全然知らないんですよ!」
という話をちょっと前に小耳に挟みまして、それからずーっと気になってたんです。ほんまかいなと。そんなことありえるんかいと。なぜなら僕のスカスカの脳内マンガランキングで『動物のお医者さん』は、『ドラゴンボール』級とは言わないがTOP10に余裕で入る作品であり、誰でも知ってる傑作マンガと思っているからなんですね。
だって『動物のお医者さん』が大ブレイクしていた頃(大ブレイクしてたんです)、街を歩けばそこらじゅうにシベリアンハスキー(同作品の主役犬チョビの犬種)を見かけたじゃないですか。
寒冷地に強く夏に弱かいとか、半端ない運動量が必要な犬種ゆえに、ちゃんと飼えない人たちがわんさと登場して、社会問題化したりとかもしてましたよね。あんなにデカい、般若ヅラの犬がうじゃうじゃいたんですよ。つまり街の景色が一変してしまうような大ヒットマンガだったわけですよね。
しかし若い子たちは全然知らない、と? ホントかなーと思って、さっそく20代の人たちに聞いてみると、たしかに知らないという人が多い。もしくは、あー、なんか聞いたことありますね、とかいう反応が多数。
そうかそうか、ホントに知らないんだな。
では、どういうマンガだと思う? と聞くと
「んー。ほのぼの系4コマですか? 動物のお医者さんのところに来るペットのかわいい、笑えるエピソードとかの」
「動物のお医者さんは出てきますよね? ですよねー。そこにふんわりしたエピソードと、ちょっとシリアスなやつが混じってくるとか」
という具合。もう、この質問すること自体がすごく面白くなっちゃって、もっと! もっと! という気になってしまいました。みんなも聞くといいですよ。
また、何人かの「知ってますよ」と応えた人に、何きっかけかを聞くと、ドラマきっかけとのこと。菱沼さんを和久井映見さんが演じたアレか! と思い起こして調べると、そのドラマの放映も2003年のこと。つまりそこからも15年の年月が流れていたのであった。
『動物のお医者さん』というタイトルは、その内容を知っていれば内容にピッタリのよいタイトルだと思えるんですが、内容知らない場合はどうだろう。『動物のお医者さん』という名前で内容を想像すると、上記のようなものを考えてもまったく不思議じゃないよな、とも思う。
この「タイトルから内容想像し難い問題」については、単行本最終巻のあとがきというかメイキングマンガでも触れられているので、連載時からすでに問題だったようではあるのですが……。
しかし、確かに若者たちに読まれていない! これはゆゆしきことですよ。なんという機会損失でしょう。もっと届くべき人に届ける必要があるのでは〜〜〜! とだんだん鼻息荒くなってきました。
なので未読の人にオススメ文を書きたいわけですが、わたし『動物のお医者さん』好きすぎていつまで経っても書き終わる気がしない。例えば、台詞回しの巧みさや、スーパー複雑な時系列など語りだしたらキリがない。なので、今日は僕が特におすすめしたいポイント1点について書きたいと思います。
理系マンガ、ラボ・マンガとしての記念碑的作品
『動物のお医者さん』の舞台は札幌。H大の獣医学部の獣医師を目指す若者たちの日常を珍妙なエピソード満載で描いている作品です。
お医者さんの卵たちの物語というと、インターンや研修医たちの過酷すぎるものシリアスな「病院もの」がたくさんありますが、獣医師を目指すこの作品のトーンは全然違うんですね。理系の、大学の、講座(組織としての)を舞台にしたものです。講座という言葉に馴染みない人も多いでしょうが、ゼミとか教室とか研究室みたいなものですかね。つまり大学の中で、各専門分野に分かれてからの居場所が舞台だということです。ここではとりあえずラボと呼んでおきましょうか。
大学のラボというのは、はっきり申し上げれば奇人の巣窟です。常識のまったく通用しない教授や先輩たちがうじゃうじゃいる。奇人たちが動けば、自動的にすっとんきょうなエピソードが生まれまくる。しかしただの奇行の産地というだけじゃなくて、その奇行から世の役に立つことやまったく役にたたないけれどまだ誰も価値さえわからないような大発見が生み出されるのだから、たまらんですね。
『動物のお医者さん』は、ラボの面白さを描く端緒となったものであり、しかもその面白さをいきなり真芯で捉えて大ホームランをかっとばしたマンガだと思うのです。
大学ってすっげえ面白そう……と思わずにいられない内容。読んだ人たちもそう思ったのか、モデルとなった北海道大学獣医学部の志望者数が跳ね上がったとか言われておりますね。
ホントーの傑作というのは、それが歴史の転換点となって、その後の歴史がガラッと変化してしまうものだと思うんです。このマンガも然りで、たくさんの新しい表現を切り開いたと思うのですが、なによりラボがマンガの題材になる、理系的なエピソードがマンガになるってことを発見した功績は計り知れないのではないですかな。
たとえば『もやしもん』(石川雅之)はどうだろう。もちろんオリジナリティ溢れる作品であります。可視化された菌も結城蛍のキャラクター造形もすっばらしいと思っておりますが、農大が舞台の奇人変人登場しまくりラボものとしての部分は、『動物のお医者さん』という巨人の肩があってこそ、あらたな表現のステップを登ることができたのではないかな。
大学じゃないけれど『銀の匙 Silver Spoon』(荒川弘)にも大きな影響を勝手に感じてしまうし(単に北海道の話だからかも)、最近ではMk_Hayashiさんが連載で取り上げてた『へんなものみっけ!』 (早良朋 )は、博物館モノながら、多くの人が『動物のお医者さん』との共通項を見つけずにはいられない。
こういう豊かなマンガを登場する土壌を、『動物のお医者さん』は作ったんだなあと思うんです。
奇人賛歌としてのラボのマンガ
『動物のお医者さん』が切り拓いたラボのマンガのどこが素晴らしいかと言うと、めちゃくちゃ単純化して言うならば奇人賛歌だってことです。
奇人がいっぱい出てくる。でもそれは、常識人たちが「自分たちと違うタイプ」と遠くから面白がって消費してしまえるようなヤワな存在ではない。それぞれが独自のロジックを持ち、常識を越えていくんですよね。
ディズニーの3DCGアニメーションに『ベイマックス』という作品があります。14歳の主人公ヒロは飛び級できるあたまのよさを持ち、それゆえに疎外感を感じている。
そのヒロが工科大に通う兄のラボに遊びに行くシーンが最高に好きなんですよ。あぶれものだったヒロが、ラボの奇人たちやその研究を見せてもらうことで、ワクワクする感じが最高。あの感じ。ここはどんなに世の常識からずれていても、そのことは問題にならず、ただここにいて良いという雰囲気が、ラボを舞台にした物語で度々感じられるんだけど、どうすか。
『動物のお医者さん』の登場人物でいうと、やはりこのひと菱沼さんでしょう。
菱沼さんは院生で、主人公ハムテルたちの先輩です。連載当初は後期博士課程で、その後オーバードクターへ。ということで国家試験とって獣医になることがゴールじゃなくて、研究者の日常が描かれているわけです。オーバードクター描いたのも早すぎますよね。
菱沼さんは、公衆衛生学講座所属で、毎日細菌を培養しわし掴みにしています。でまあ、美人で、服もバチバチっとキメてきてるんですよ。当時の、理系のラボのいる女性のイメージとかけ離れている(今もか)と思うんですね。でもそのこと自体よりも素晴らしいのは、菱沼さんの美しさや洋服に対して、マンガではほとんど触れられないんですよね。単なるひとりの院生のいち個性というか「そういうもん」として、物語はスルーしていく。そこが実にいい。ラボの居心地よさを感じる。
(とはいえ、現代の視点で読むと、教授陣が菱沼さんに見合いをすすめるシーンなんかであわわってなりますが)
日本における理系女子のロールモデルがおらんというのはSTEM教育を啓蒙したい人々の間で度々話題になるわけですが、菱沼さんはロールモデルになりうるのではないだろうか。
ま、とにかく。
『動物のお医者さん』が読まれていないんじゃないかという疑念はますます濃くなったので、みんなで急にオススメしていこうな!
という話でした。