マンガの中のメガネとデブ【第6回】稲田多摩子(荒川弘『銀の匙』)

マンガの中のメガネとデブ【第6回】稲田多摩子(荒川弘『銀の匙』)

 マンガの中の定番キャラとして欠かせないのがメガネとデブ。昭和の昔から令和の今に至るまで、個性的な面々が物語を盛り上げてきた。どちらかというとイケてないキャラとして主人公の引き立て役になることが多いが、時には主役を張ることもある。

 そんなメガネとデブたちの中でも特に印象に残るキャラをピックアップする連載。第6回は[デブ編]、アニメ化、映画化もされたヒット作『銀の匙 Silver Spoon』(荒川弘/2011年~19年)の稲田多摩子である。

『銀の匙 Silver Spoon』は、北海道の大蝦夷農業高校(通称エゾノー)を舞台にした青春群像劇。主人公の八軒(はちけん)勇吾を中心に、個性豊かな面々の山あり谷ありの3年間がにぎやかに描かれる。農業高校だけあって授業内容もユニークというか実践的で、実習という名の肉体労働がてんこ盛り。八軒が所属する酪農科学科では、鶏や豚の世話も授業のうちだ。生徒には農家の跡継ぎも多く、入学時にすでに将来のビジョンを思い描いている者も少なくない。

 共同経営型大規模農場〈ギガファーム〉の娘である稲田多摩子もその一人。入学して最初の自己紹介で「農業経営を学んで世界に出ても負けない農業を目指します」と宣言する。合理主義者で数字に強く、農業経営のテストは100点満点。高校生離れした言動は、すでに経営者の貫禄だ。そんな彼女に無理して跡を継がなくてもいいと言う両親に向かって、「何か勘違いしてるみたいだから言っておくけど」と繰り出したのが次のセリフである。

「私はお金が大好きです!!!/合理的に!! スピーディーに!! スマートに!! 高い収益を出すことにえも言われぬ充実を感じます!!/今や農業戦国時代!! 世界と闘うには父さん達の経営方法ではまだまだスキがあるわ!!/私がギガファームに就職したいのは経営に口出ししたいから!! 私が入社したら父さんはお払い箱よ!!」【図6-1

【図6-1】多摩子の乗っ取り宣言に両親もタジタジ。荒川弘『銀の匙』(小学館)2巻p170-171より

 これには両親も度肝を抜かれる。「跡継ぎではなく乗っ取りを考えているなんて…!! 多摩子……おそろしい子……!!」と母親が白目をむくのも無理はない。借金が返せなくなり離農することになった農家の息子の同級生に「あれからあなたたちみたいな小規模農家もつぶれないで共存できる方法は無いかしら、ってずっと考えてるのよ」「待ってなさいよ、農業界に革命起こしてやるから!」と豪語する姿は頼もしすぎだ。

 こうした自信満々の言動に負けず劣らずインパクトあるのがそのルックス。名は体を表す卵型の豊満なボディは『不思議の国のアリス』のハンプティ・ダンプティのよう。パツパツに張りつめたツヤのある肌にキラリと光る鋭い眼光は、見るからにタダ者でない感を漂わせる。実際、金勘定に関してはタダ者ではない才能を発揮し、八軒が豚肉ファンド(実習で育てた豚を自分たちで買い取るための資金集め)を立ち上げたときには経理役を務め、出資した生徒たちに「稲田さんならえげつないくらい完璧に金管理してくれそうだから!」「超安心!!」と言わしめた。こう見えて運動神経も鋭く、野球部の男子相手に卓球で猛ラリーを繰り広げる。デブはデブでも動けるデブなのだ。

 しかも、「メガネを外すと美人」ならぬ「やせると美人」でもあった。夏休み明けに久しぶりに顔を合わせた同級生の中に見たことのない美女がいる。「誰あれ?」「あんな女子いたっけ?」と顔を見合わせる八軒たち。なんと、その美女こそほかでもない、夏バテでやせた多摩子だった!【図6-2

【図6-2】「(顔を)トリミングしたら美人」と言われていたとおりの美人に変身。荒川弘『銀の匙』(小学館)3巻p96-97より

「痩せたって言うかトランスフォームだろあれ……」と呆れるほどの変貌ぶりは、秋の学園祭でも再現される。美牛コンテストの客寄せとして美女バージョンで牛の曳き手を務めることを頼まれ、きっちり期日までにダイエットしてきた(報酬は食券5000円分)。その気になればいつでもやせられるというのもすごいが、男子に「おまえずっとそのままでいろよ」と言われ「いやよ! 貧血で倒れるわ!」と即答するのもすごい。それはつまり、太っていることに対するコンプレックスが一切ないということだ。むしろ本人的には太っているほうが調子がよく、肌のツヤもいいので、やせる気なし。

 一方、主人公の八軒は、多摩子とは対照的に自己肯定感の低いヘタレ男子だ。というのも、もともと進学校で勉強一筋だったのが挫折を味わい、高圧的な父親から逃げるようにして寮のある農業高校に入学してきた経緯がある。農家の後継ぎが多く体力勝負の農業高校において、一般家庭で元ガリ勉の八軒は異質な存在だ。それを象徴するのが彼のメガネ。八軒以外には、ほぼメガネがいない。ゼロではないが主要キャラにはおらず、勉強面で八軒をライバル視しているらしき男子と女子に二人ぐらいいるだけ。キャラの描き分け、性格付けとして非常にわかりやすい。多摩子もそうだが、脳筋的な野球部男子、血が苦手な獣医志望者、ビジュアルからして鬼軍曹的な先生など、登場人物みんなのキャラが立っている。

 そんななか、将来の夢も目標も特にない八軒は一番平凡に見える。しかし、持ち前の人の好さと真面目さから、周囲に人が集まってくるのが彼の長所。「断らない男」として体よく利用されてる面もあるが、彼の存在が触媒となりエゾノー全体を活性化し、彼にとってもエゾノーがかけがえのない居場所となっていく。そこでの経験を通していつのまにか自分の道を見つけ、具体的に行動していく彼のバイタリティは刮目に値する。

 ラブコメ的な要素も絡めた3年間の成長ドラマは、読みごたえあり。ただし、八軒のラブの相手は残念ながら(?)多摩子ではない。誰とどういう恋愛をするかは本編を読んでいただきたいが、高校生男子には多摩子の魅力はなかなかわからないだろう。逆に、多摩子のお眼鏡にかなう高校生男子もめったにいまい。そもそも多摩子自身が色恋にまったく興味なさそうだ。

 しかし、ビジネスパートナーとしてはこれほど心強い存在もない。八軒が学生起業をめざしたときに、真っ先に相談したのも多摩子だった【図6-3】。

【図6-3】八軒の企画書にダメ出ししまくる多摩子。荒川弘『銀の匙』(小学館)11巻p77より

 多摩子の卒業後の進路は、札幌農業学園大学経営学部。最終話直前、卒業から4年後のエピソードでもまったく変わらぬ体型で、「実家乗っ取り計画」着々進行中の様子だった。心身ともにブレない多摩子は、いろんな意味で無敵のデブなのである。

記事へのコメント

多摩子って自立してて優秀で本当にかっこいいですよね
一番好きなデブ(あんまり言いたくない言葉ですが…)キャラです

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