憲法で定められた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保証するための生活保護制度。ネガティブなイメージを持つ人も少なくありませんが、五十嵐タネコ先生の『東京のど真ん中で、生活保護JKだった話』は、親が生活保護を受けることで苦しい生活から救われた作者自身の高校時代を描いたもの。生活保護が厳しい状況に置かれた人を助け、次に踏み出すための力になっていることが確かにわかります。
五十嵐先生の一家は、貧しい普通の家庭だったものの、父親が病気で働けなくなったことで家計が立ち行かなくなります。母親も総合失調症で、働くことが難しい。親戚にお金を借りられなくなったことで、生活保護の受給を決断します。
お風呂のないアパート住まいの五十嵐家は、お風呂は週1回銭湯にいくだけ。周りの人からにおいを指摘されないように、寒い中台所で髪を洗い、体を拭く日々が続きます。親としては忸怩たる思いがあったかもしれませんが、作者自身は子どもとして「ホッとした」と当時の思いを描いています。
厳しい生活で悲痛な思いを描いているかと思えば、この作品の全体のトーンは明るいものです。五十嵐先生の子供のころの楽しみだったという漫画を読んで模写をしていた遊びが生きているのか、絵柄は少女漫画のようで苦しい生活の雰囲気を緩和しています。しんどいエピソードはうまく厳選され、いまつらい思いをしている人への助言にあふれています。そして何より、五十嵐先生自身が常に前向きなのです。自暴自棄にならず、貧乏生活から脱出するための武器として、勉強にも力をいれます。これが結果的に高校進学を助け、就職までの道を切り開くことになります。
母親に預けていたお年玉を勝手に使われるなど、必ずしも母親を含む親との関係がうまく行っているようには描かれません。
例えば高校入学時、制服は買ってもらえてもジャージなどそれ以外に学校生活で必要なものなどは買ってもらえない。高校受験をしたくても、塾に行く費用や私立校に通うお金は出してもらえない。ここは同じ子供でも、男性のお兄さんと差をつけられます。
そうした中でも五十嵐先生は、友人や、ボランティア活動で出会った地域の人との出会いで、現状を卑下することなく、前を向いて進んでいきます。ここからはどのように厳しい状況にいても、人とのつながりを維持し、コミュニティに所属することの大切さが伺えます。こうしたつながりが、目標である「家を出ること」の達成につながります。
五十嵐先生は、自分が家を出て生活することで、扶養義務を放棄し、家族を見捨てたと思われるのではないかという世間からの目に悩みます。そこで背中を押すのがボランティア活動を通じて出会った大人。「自分の人生を大切にすることと、家族を見守ることは両立する」として五十嵐先生が家族から離れて暮らすことを応援します。曰く「自分の人生を大事にしたうえで、家族も思いやればいい」とのこと。
五十嵐先生は高校受験や就職と、自分の大事な時期に理不尽なことあっても、やけにならず踏ん張って人生の舵をとろうとします。厳しい環境でも勉強を続け、かつ自分を後押ししてくれる人とつながることができた姿勢は見習いたいです。
柏木ハルコ先生の『健康で文化的な最低限度の生活』などを読んでもわかるように、どんな人でも貧困に陥る可能性があります。そうしたときにその境遇から脱出するための手助けとなるのが福祉です。五十嵐先生の生活保護の使い方は、まさにこれぞ正しい福祉の使い方といいたくなるもの。生活保護で衣食住が揃って落ち着けば、次に向かう気力が出てきて、結果的に五十嵐先生のように生活保護から脱することができることもありうるのです。是非、今しんどい子どもに読んでほしいです。