マンガ酒場【6杯目】酒場経営の神髄に迫る◎原作:久部緑郎・漫画:トリバタケハルノブ『三十歳バツイチ無職、酒場はじめます。』

 マンガの中で登場人物たちがうまそうに酒を飲むシーンを見て、「一緒に飲みたい!」と思ったことのある人は少なくないだろう。酒そのものがテーマだったり酒場が舞台となった作品はもちろん、酒を酌み交わすことで絆を深めたり、酔っぱらって大失敗、酔った勢いで告白など、ドラマの小道具としても酒が果たす役割は大きい。

 そんな酒とマンガのおいしい関係を読み解く連載。6杯目は、酒場経営の神髄に迫る『三十歳バツイチ無職、酒場はじめます。』(原作:久部緑郎・漫画:トリバタケハルノブ/2017年~18年)をご紹介しよう。

 

『三十歳バツイチ無職、酒場はじめます。』

 

 主人公・太田信吾は、タイトルどおり30歳、バツイチ、無職。22で就職し、27で結婚し、28で会社が潰れ、再就職もままならぬまま30で離婚したばかりという、いわば人生のどん底にいる。当然、お金もない彼の新居は、三軒長屋の真ん中の元飲み屋の物件。唯一営業している喫茶店が2年後に退去することが決まっており、その後は取り壊してマンションにするということで格安の家賃で借りられた。敷地面積は3坪、1階2階合わせて約20㎡。1階にはトイレと厨房、2階には風呂もある。そうした状況を最初にすべて説明してくれてわかりやすい。

 その元飲み屋の新居で、離婚&引っ越し祝いに訪ねてきた友人2人と酒を飲む。缶ビールかと思いきや発泡酒というところが、わびしい状況にぴったりだ。遠慮のない友人たちは「気ままな独身者の世界におかえりなさ~い♥」「またまた孤独が恋人だねっ?」などと軽口をたたく【図6-1】。

 

【図6-1】太田の離婚&引っ越しを祝って乾杯。原作:久部緑郎・漫画:トリバタケハルノブ『三十歳バツイチ無職、酒場はじめます。』(集英社)1巻p6-7より

 

 ところが、そうやって3人がワイワイ飲んでいるところに、営業中と勘違いした近所のじいさんたちが入ってきた。店じゃないことを説明しようとする太田を遮り、「当店はまだプレオープンの段階でして~ お酒は発泡酒か日本酒かウイスキー あとは簡単なおつまみくらいしかできないんですが…」などと言いだすお調子者の友人。仕方なく、自分たちで飲むつもりだった酒やつまみを適当に出していたら、なぜか次々と客が入ってきて、2時間後には満員の大盛況になってしまった。

 飲食業の経験もないのに太田は客をよく見ていて、「発泡酒2つ追加な」と言う友人に「ついでに黒シャツのお客さんの酒が空いたみたいだから注文聞いてきたら?」と指示を出す。すでにかなり酔った状態で入ってきて「なんなのよ この店ぇ~っ」「ロクな料理ないじゃない!?」と暴れる女性客には即席料理を提供する。その「ホット柿の種」と「ツナ缶のアヒージョ」は、簡単ながらうまそうだ。

 ようやく客も引けて“閉店”したあと、3人はあらためて乾杯。「飲み会するつもりが飲み屋をやっちゃうとはなー!」と楽しそうな太田を横目に、会計士の友人はしっかり売上の計算をしている。その結果、「客28人で売上26600円 食材費5821円を引いて利益が20779円也」「適当に値付けしたけど食材原価率は21%に抑えられてるからかなりの健全経営だね」とはさすが会計士と言うべきか。

 そこで「いや…なんか感動するな 自分でモノ売ってお客から現金もらうっていうのは……」と目を輝かせた太田は、なんとそのまま調子に乗って本当に飲み屋を始めてしまう。最初は何も知らず無許可営業していたが、隣の喫茶店のマスターのアドバイスもあり、食品衛生責任者の資格を取り、保健所からの営業許可も下りて晴れて正式オープンしたものの、日に日に客は減っていき、ついにはゼロに。さあ、どうする!? というところから、太田のチャレンジと創意工夫の日々が始まるのだった。

 どちらかというと酒より料理のほうに重点が置かれてはいるが、酒場をいかに経営していくかというテーマは客側の視点でも興味深い。メニュー構成はもちろん、外観や看板などによる情報発信、インスタ映えなどの話題性、客層の設定、調理や接客のオペレーションなど、考えるべき要素は山ほどある。そのなかで、太田の柔軟な発想、臨機応変の対応力には感心させられる。雨の日限定で店先にパラソルを立て、店内も立ち飲みにした「雨やどり酒場」のアイデアは秀逸【図6-2】。実は凄腕飲食コンサルタントだった喫茶店のマスターが、ド素人だった太田に「あなたには“酒場の反射神経”がある」と告げたのも納得だ。

 

【図6-2】雨の日を楽しむ企画「雨やどり酒場!!」。原作:久部緑郎・漫画:トリバタケハルノブ『三十歳バツイチ無職、酒場はじめます。』(集英社)2巻p98-99より

 

 酒に関するエピソードでは、ベテランプロレスラーが昔飲んだという「下町の黒ビール」の正体に「へぇ~」となった。太田が行きがかり上参加することになった大手居酒屋チェーンのメニューコンテストに登場したグレープフルーツサワーに黒コショウのドリンクや高アル高炭酸スピリタス・サワーも気にかかる。終盤に展開されるビール職人の挫折と再挑戦のドラマも胸アツだ。

 最終話「クラフトビール祭りはじめます!!」では、小規模ながらユニークなテーマのビール祭りを開催。そのテーマが何なのかは本編でご確認いただきたいが、「なるほど!」とヒザを打つ企画で、これぞビールの醍醐味とも言うべきものだった。

 なりゆきで始めた酒場が、人の縁をつなげながら自らも成長していく。ただ「酒を飲む場所」というだけではない酒場の魅力を再確認するとともに、酒場経営の面白さ、難しさも感じられる。元食堂の息子としても興味津々で読んだ。2年で取り壊しという最初の設定はどうなったのか、せっかく経営が軌道に乗っても移転したらまた大変だろう……など、その後のことを心配してしまうが、それはまあ、よけいなお世話か。

 ちなみに、原作者あとがきには、かなりトンデモない「その後」が記されている。もちろん冗談だとは思うが、〈続編『四十歳 バツ2 無職 キャバクラはじめます』は2028年春ごろ連載開始予定〉とあるので、それはそれで期待したい。

 

 

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