ワダシノブさんの『いいかげんなイタリア生活 – イタリア在住15年の私が見つけた頑張りすぎない生き方 -』は、文章のエッセイとイラストで15年になるイタリア生活を描いた作品です。イタリアという異文化での生活から日本人が感じ取った考え方が伝わってきます。
■日本から「解放」される
ワダさんは現在イタリアのトリノ在住です。イタリア人との結婚をきっかけにイタリアに移住しました。好きで移り住んだわけではないからこそ、日本と違う、イタリアのいいところも悪いところもあぶり出していきます。
例えばありがとうと嫌いは両立するということ。イタリアでは日本と比べ「自分はこれが嫌い」とはっきり伝えるという。つまり「好き」だけでなく「嫌い」も相手に直接伝えます。たとえ人の好意であっても嫌いなものを我慢しなくていいということです。
日本人の感覚では、「嫌い」と伝えることはあるものを勧めてくれた人の人格まで否定するように思えます。そのためなかなか「私はそれが嫌いです」とはいえません。
ワダさんによると、それがイタリアではむしろ嫌いと伝えることが相手のためという雰囲気があるそうです。なぜなら「嫌い」と伝えても、自分が嫌いなものを勧めてくれた人を否定するわけではないという共通認識があるからです。よく考えれば「嫌い」と伝えてもらえば、次からは勧めずにすむわけで、勧める側にとってもありがたいわけです。
こうしてワダさんは、日本の暮らしで染みついた考え方が、イタリアの考え方に出会うことで少しずつ変わっていきます。「他人の行動の理由を考えすぎない」「主人公メンタル」「自分が愛するもの以外は失礼でない程度に適当な扱いでいい」など日本で生活していると出会いにくい考え方をワダさんを通じて私たちも共有することができるのです。
■「日本」にこだわらない食生活
それは食生活も同じです。和食と洋食のどちらもならぶ日本の雑多な食卓をイタリアで再現しようとすると大変。しかしイタリアにはイタリアの土地が生み出すおいしいものがあります。ワダさんによると中心になるのはパスタ。そしてピッツァは日本のうどんのようなものだそうです。冷凍もあるし、デリバリーもあり、かつ自分でも作れると選択肢が多い。楽しいときもごはんを作りたくないときもピザはあうようです。
うらやましいのは晩ご飯の前のワインやカクテルをのみながらつまみをたべる「アペリティーボ」。日本でいうと晩酌が一番近いのかなと思いますが、少しのお酒という「過剰すぎない文化」は体験してみたいです。
そして「海外あるある」なのが日本食の進化です。日本の生魚を載せる寿司が独自進化したのが生肉を載せたイタリアの肉寿司。生肉を食べるというのは日本人には生魚以上にハードルが高そうですが、是非日本に逆輸入されてほしいです。
■意外にしんどい?イタリアの姿
もちろんイタリアは楽しいばかりではありません。ワダさんの描くイタリアの中にもなかなかに日本人からするとしんどそうなこともあります。
その1つがおひとり様に厳しいこと。お店だけでなく様々なところにいくのにパートナーが必要だという圧があるそうです。文化なのでなぜパートナー圧が強いのかを考えても仕方ありませんが、実際におひとり様が生活するのはかなり窮屈さを感じそう。この点は、日本のほうが気楽なのではないでしょうか。
イタリアは日本から遠いものの、海外旅行先として人気が高い地域のひとつ。旅行で行ったことがある人もいるでしょう。しかしワダさんのエッセイからは、子育てのコミュニティで感じる文化の多様性など旅行ではなかなかみることのできないイタリアが浮かび上がります。少し角度を変えてイタリアを覗いてみたい方は手に取ってみてください。